胸の中に穴が空いてるので無性に何かを可愛がりたい

何かを可愛がりたくてしょうがない時がある。と言ったら共感してくれる人はきっといることだろう。ただ私の場合はどうも少し、病的なものを含んでいるかもしれない。

私は自分の胸の中がいつもどこか空っぽな感じがして、虚しくて、不安で、心細い。そんな、心に空いた穴を埋めるために何かを好きになりたいというような気がするのだ。

愛だとか、恋だとか、とにかくなんでもよくて、何か温かい気持ちをこの胸の中に置いておきたい。そうすることで凍えないようにしていたい。そんな風に思っているみたいだ。

ある人は犬や猫にそういう気持ちを向け、またある人は自分の家族や恋人にそれを向けるのかもしれない。しかし私には向けられる先がない。愛を与える先に飢えている。

だから例によって空想に頼る。想像の中の人に愛っぽいものを向けようとする。頭の中で輪郭を、質感を、表情を、仕草を、思い描いては手を伸ばして撫でる。

鬱陶しそうにされることもあるし、心地良さそうに目を細めていることもある。そうやって受け入れてくれていると感じると、少しだけ満たされるような気がする。

なんだか無性に何かを抱き締めたくなり、荷物の入ったナップサックでも、さっきスーパーで買った食料でも、子供を抱えるようにして歩いていることがある。

ある時なんて、そのうちにそれが本当に自分の子のような気がしてきて、抱いている荷物の上に子供の姿を思い描き、よしよしと頭の中であやしていることすらあった。別に元々、子供なんてちっとも好きじゃないのにだ。

何かを可愛がりたいし、愛したいし、抱き締めたいし、守りたいし、私のことを必要としてほしい。私のそばにいてほしい。

私のそんな気持ちは寂しさだとか、不安感だとか、依存心だとか、あまり健康的とは言えない成分から構成されているようだ。しかもそういう気持ちが昔よりも強くなってきているような気がする。なんでなのか。

私が昔よりも深刻に孤独感を抱いているからなのか、それとも曲がりなりにも私も女だから、母性のようなものでも目覚めてきてしまったというのか?(もしそうだとしたら、とても気持ちが悪い。オエェ。だ)

別に、実際に子供が欲しいとかいうわけではない。とてもそんなことは考えられないし、むしろ私の方が誰かの子供になって、よしよしと甘やかしてほしいなんて気持ちさえある。

だから、これは代替行動なのかもしれない。本当は自分が甘えたくて、甘やかしてほしくて、子供みたいによしよしとしてほしくて、でもそれが満たされないから、代わりに何かを可愛がることで心を満たしたくなるのかも。

そんなわけで私は今日も、外出の道中、想像の人を常に傍らに置いて、頭の中でナデナデしながら歩いていた。こうしていないとすぐに心細くて不安になってくる。

もしかすると、こんなことをしてないと耐えられないのなんて、この世で私だけなんだろうか。だいぶおかしいんだろうか。

……という気はしないでもないけど、まあそれで多少生きやすくなるんだったら別にいいよね。開き直りっ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?