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#240 『存在の叫び声』を受け取ること

同じ職業であっても、その内容はそれぞれの分野によって異なります。

教員という職業1つとっても、地域、校種、教科によって、求められる職務や資質、社会からの理解もまた変わってくるでしょう。

「教育困難校」と定義される学校を聞いたことがあるでしょうか。さまざまな背景や問題を抱えた子どもが集まり、教育活動が成立しない高校のことです。

テレビドラマに出てくる「不良(ヤンキー)」がたくさんいるようなイメージを持つかもしれませんが、実は、そのような生徒だけではありません。

教育困難校は、教員を志す学生がほとんど馴染みのない環境だと言えます。
私自身も、教育困難校を経たわけではないし、そこで勤めた経験もありません。

教育困難校に赴任していた友人の

『お前は日本を引っ張る人材を育てることが仕事だろ?俺は犯罪者を出さないことが仕事なんだよ』

という言葉が衝撃的で、彼が私が知らない世界で必死に戦っていると強く感じたことを覚えています。しかし結局、その実態は「知識」としてしか入って来ないし、様々な問題を抱えた生徒と向き合う教員のしんどさは図りしれません。

教育困難校における生徒への教育支援の道筋を、藤崎浩大氏(仮名)は伝えてくれているような気がします。

記事の中で、藤崎氏は

教育困難校の生徒の多くに共通するのが、親が子育てを放棄している点だ。子どもに関心がなく、自分の生活や楽しみが優先。今でこそ少なくなったが、藤崎さんの着任当時は修学旅行のために積み立てたお金が惜しくて、生活がそこまで困窮していないにもかかわらず修学旅行を休ませるような親も少なくなかったそうだ。

うちへ入学してくる子は、まず学校にいい思い出がない子がほとんど。公立中学校は生徒の学力差がとくに激しいので、うちに来るような生徒は最後まで放っておかれたり、叱られ続けたりしてきたはずです。彼らにとって、教員は『敵』なのです。

と語っています。

人は自分の存在を誰かに認めてもらいたいという欲求があります。様々な教育環境の中で、自分の存在を認められないという感情は、暴力、嫉妬、不安、無気力といった、様々な負の感情を誘発し、そして暴走を始めます。

もちろん程度の差はあれど、これは教育困難校の児童・生徒にだけに当てはまる問題ではありません。

経済的にも教育環境的にも恵まれ、偏差値の高い学校に通って、社会から見れば十分以上に満たされているように見えても、その心の中に「魔物」を飼っていることもあるのです。

しかし、その心に少しづつでも「正の感情」を注ぎ込むことが大事だと、藤崎氏は述べています。

「この学校の生徒には、小学校と中学校でみんなと何かに取り組んだり、リーダーとして人をまとめたりしたことがなかった子も多い。責任を持って成し遂げるという成功体験を重ねさせる必要があると思いました。以前よりも前向きに登校する生徒が増えたように思いますし、やっぱり彼ら自身にも『現状を何とかしたい』『楽しい学校生活を送りたい』という気持ちがあるんです」

21世紀を生きる私たちに本当に必要な教育とは

一人ひとりの「存在の叫び声」をしっかり受け取り、その心を満たすことなのだと思います。

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