僕は箱の愛好家

先ほど会社の倉庫にいた時、会社のすべての持ち物が倉庫という箱の中に入っているなと思いました。今はスペースの関係上、外の駐車場に停めてある僕の所有する年代物の車もかつては同じ倉庫の中に長年保管されていました。

箱というのはおそらくもう、うんと昔に発明されたのだと思いますが、今に至るまであまり形を変えていません。デザインでたまに(バレンタインの時期など)ハート形とかの箱もありますが、基本的に箱といえば長方形です。ものを収納するにおいて、長方形の箱はおそらく合理性の究極を具現化しているのでしょう。今では電子化が進み様々なものがどんどん小さな箱に入れられるようにはなりましたが、例えばハードディスクだってSDカードだって言ってみれば長方形の箱です。ですからサイズは変われどこれはもう、どこまで行ってもきっと変わらないと思います。

倉庫の話に戻ります。僕の40平米の倉庫は天井の高さが約4m。間口が約10m、奥行きが4m強ですからこれは長方形です。これが僕にとっての最も大きな箱です。この空間の中に大きなもので60cmx40cmとかの箱がいくつかあり、その箱の中にも厳密にはいくつもの小さな箱が入っています。今これを書いている仕事場にしても同じです。こちらは90%統一が進んでいて1つのデザインで二種類の大きさの箱がいくつもあり、各年度ごとの申告にまつわる資料、仕事で取り扱った資料、機材、手紙etc...こういったものが保管されています。

人間のなし得るアウトプットは、人間の頭の中にあるものを上限とする、と昔、養老孟司教授に教わったことがあります。養老孟司教授曰く、ピアノなども複雑な仕組みの楽器のように思えるけれども、脳の入力にまつわる神経細胞はちょうどピアノの鍵盤のような形状になっているらしいです(僕は人の解剖をしないので確かめてません...)。手塚治虫先生などは未来を好き勝手描きまくって時に預言者のように言われていますが、要するに人間が思い描くものは基本的に具現化することができるということでしょう。少し話が横に逸れましたが、僕がなんとなく想像するに、我々の脳内の情報の整理、保管の仕方が、きっと箱のようなものの中に入れておくという形をとるがゆえに箱は世の中に存在している気がします(間違ってたら教えてください笑)。

めったに買い物に出かけませんが、時々誰かが誘ってくれたりするので出かけると、僕はどういうわけか、箱ばかり見ています。一人で買い物に出かけても、大抵僕は植木鉢や収納系の家具を見ています(あと箱)。去年、新しいショッピングモールが有明にできたということで、有明に住む友人が案内してくれました。どのフロアでも僕が箱ばかり見ているので「ひょっとするとそういう病気があるのかもしれないね」と不思議そうに言っていました。まぁ昨今なんでも病気になるのでそこは無視していいと思うのですが、僕は基本的に箱が好きな人間です。学生時代は箱に加えて、ノートが好きでした。学生は基本的に情報を日々扱いますが、情報は文字と紙です。そういうものを入れられるものがなぜか子供の頃から好きです。延長で筆記用具も随分と好きでした。そしてその筆記用具を入れる箱も。そしてその筆記用具を入れるカバンも。そして大人になってからはそれを入れて移動する箱的な空間である自動車も(ちなみに好きというのは買いまくるわけではなく、いいと思うものを選んで買って長く使うがあくまでも僕のスタンスですが)。

皆さんは箱がどれくらい好きでしょうか。僕は例えばどこかに食事に出かける時、出かけなかったらいい箱が3つくらい買えるな、といつも思っています。でも、箱を理由に食事を断ってもあまり理解されないでしょうから食事には出かけます。美味しいのでいいんですが、食後に「箱が買えたのにな」と思っています。

読んでくださった方、お付き合いどうもありがとうございました。

( 文・西澤伊織 / 写真・戸田光裕さん )

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