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随筆(2022/11/26):自由と呪縛_2.暴力の本質は物理ではなく、「意図的かつ明示的な呪縛の手段、「呪術」」というところにある

2.暴力の本質は物理ではなく、「意図的かつ明示的な呪縛の手段、「呪術」」というところにある

2.1.暴力と呪術って一見かけ離れているように見えるが、じゃあなぜこの二つが関連付けられるのか

(テーマに鑑みて(とは?)、しばらくヘッダを『呪術廻戦』縛りにします。後でアカンかったらなんか考えます)

***

さて、急に暴力の話をします。

***

奇妙に思われるかもしれません。なんかこう、暴力とは物理的なイメージで、呪縛たかが物理力を持たないまやかしである、くらいに思われるからです。まるで別のものに見えるでしょう。

***

ところが、そうではありません。
というか、まず、
「暴力の本質は物理ではない」
し、
「物理でない暴力が既に運用上想定されている」
し、
「じゃあそれがなぜ特別に「暴力」と呼ばれているのか考えると、あることが見えてくる」
からです。

***

ざっくり言うと、「広義の暴力」とは

  • 理由の有無にかかわらず、

  • 即時または長期的にかかわらず、

  • 本人の認識では意図的にやっており、

  • かつ相手に対して明示的に仕掛けられた、

  • 「自由意志」の実践を阻害するための「呪縛」の方法論、「呪術」

である。ということが見えてきます。

2.2.暴力の本質とは自由意志阻害的操作である。それは悪意があってなされ、相手が「圧力をかけられた」と思うことで発動する

暴力(ぼうりょく)とは、他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、心理的虐待やモラルハラスメントなどの精神的暴力も暴力と認知されるようになりつつある。

Wikipedia:暴力

簡単のためにWikipediaに頼ります。

中には
「物理的な破壊力ではなく精神的暴力を広義の暴力として認めるのは言葉の濫用であり、思想運動家の恣意である」
と考える人もいるかもしれません。

おっ! そうだな!

「「仕事の出来ないやつがよくもぬけぬけと給料泥棒してやがんな。死んでいいぞ」
ということを言って、結果的に相手が会社を辞めたり、自殺したりすると、これは暴力どころか、賞賛されるべき行為である!」

と、本人か遺族と、弁護士と裁判官の前で言って下さいよ。
現実をナメた思想運動家相手なら、これで突っ張れるとでも思っていたんだろ?
だが、こんなもん、本人か遺族と、今では弁護士と裁判官の前では、突っ張れないんだよ。
だから、現実をナメているのは、こういうことを言ってる奴らに他ならないんだよなあ。

***

さて、ここでは狭義の物理的暴力は特に振るわれていません。
ですが、人の成果を潰し、実践を潰し、実践が不可能になるような何らかの書き換えを行うと、物理的暴力を受けたのに通じるニュアンスを感じることになる訳です。
不思議ですね。
つまりここにこそ「心理的暴力」の意義があるのです。

そして、たいてい言われた瞬間に心が潰れるほど即効性があるので、たかが物理力を持たないとしても、潰れた心はまやかしではありません。
当たり前ですよね。潰すような言い方をしているのだし、それを
「寸鉄人を殺す」
とか言って嬉々として粋がっていたのだから。

で? 言い逃れでもしようとしておられる? ダメですよ。
「やる」と決めて「一番致命的な効果があるようなやり方」で「やった」んだろ。
そこをヘラヘラと誤魔化しているの、まあ無理ですよ。かなりの人はそんなんじゃ騙されんよ。自分は騙せるかもしれないけどさあ。

***

心理的暴力の話は、
「「広義の暴力」とは何か。
それは「狭義の物理的暴力」と「心理的暴力」に共通する性質があるはずだが、それは何か」

という話にもつながっていくわけです。

とはいえ、(私の考える限りの)答はもう書いちゃったのですよね。

「誰かの実践が不可能になるような何らかの書き換えを行うこと」

これが「自由」を阻害する「呪縛」であることは既に述べました。

そしてそれは、
「誰かの実践が不可能になるように、たとえば現状認識や意思決定を書き換えたい」
という悪意があってやっていることであり、
「書き換えられろ」
という圧力が伴います。
これは「呪縛」を「主体A」から「主体B」にかけるための「方法論」「手段」「術」です。

  • 本人の認識では意図的にやっており、

  • かつ相手に対して明示的に仕掛けられた、

  • 「自由意志」の実践を阻害するための「呪縛」の方法論

この3点セットを、ある種の一般化された「呪術」とみなすことも可能です。

そして実は、こうした「呪縛する技術」こそが、一般化された、広義の暴力の本質です。

***

物理的暴力はたいてい体を通じて即時的な効果があり、そうでない暴力も、心を通じて即時的な効果があったり、即時的でないながら長期的には効果があったりします。

(これが、

  • 即時または長期的にかかわらず、

という箇条書きの意味合いです)

(なお、

  • 理由の有無にかかわらず、

の話は、後で行います)

***

我々が「これは暴力の気配があるのではないか」というものを並べてみると、実は「相手をへし折りたい」という呪縛と、「相手をへし折るため」の呪縛の技術の話が生えてくるのでした。

3.では、狭義の物理的暴力は、自由意志阻害的操作としての広義の暴力として、どのようなメカニズムで機能するか

逆に言えば、
「では、狭義の物理的暴力は、意志決定阻害的操作としての広義の暴力として、どのようなメカニズムで機能するか」
ということは、当然ながらちゃんと説明できなければなりません。

でもこれも簡単です。
実は、暴力は、体を折る以上に、混乱と思考と恐怖で、心を折っているのです。

暴力が振るわれる時の効果とは、
「何が起きているのだ!?
このままでは死ぬかもしれん。
死んだら終わりじゃん。
己がこれをやったりやめたりしたらこれは止まるのか!?
じゃあやったりやめたりします」

という風に、相手方の混乱と思考と恐怖に乗じて、相手方に作為ないし不作為をさせるよう、現状認識や意思決定を誘導することです。
(少なくともしばしばそうであるのは確かです)

そうです。心を折ってるわけです。

***

「「この振る舞い」を止めてほしければ、実践や意思決定や現状認識を自らへし折るしかない、と思わせる」「ために振る舞われる」振る舞いは、全て呪術=暴力となりえます。
場合によっては刑法の範疇に入ります。
ここはとてつもなく大事なポイントです。
だからこそ、

  • 物理的暴力も、

  • 精神的暴力も、

  • 性的暴力も、

  • 経済的暴力も、

  • 社会的隔離も、

  • 子どもを利用した暴力も、

暴力なのです。
(これらのカテゴリーはDV(ドメスティックバイオレンス)についてよく言われる類型です。
そして、行政当局も今やこれを前提として個々の政策を行っているわけです。
つまりこれは、フワフワした綺麗事をはるかに通り越して、今ここにあるリアルの運用の話に他なりません)

4.暴力を振るう側の安易な考え。現実にはそれは長続きせず、破局を迎える。「甘い」んだよな

暴力を振るう側は
「暴力によってでも実現しなければならない事態がある」
と曖昧に考えています。
それは例えば、
「約束や約束事を、何らかの理由で反故にして踏み倒すやつから、吐き出させる」
ことなどがあります。というか典型的なやつですね。
「本来、場や講に参加しているなら当然であるはずの役務か物資か資金を提供せずに、入れてもらうために要求を上乗せするやつ、ほっといたらリソースが枯渇して場が壊れる」
これです。
これをやめさせ、ちゃんと役務や物資や資金を提供させるために、「宥めすかし」、何なら「脅し」、場合によっては直ちに「罰を与える」ことで、これを吐き出させることができる。 
じゃあ、それが「解」に他ならないではないか。

***

いやいやいや。
ちーがーうー。

それ、相手がバテてるか、それ以上やったら潰れるか、それ以上やると損だけ食らわされるから(もちろん食らわすのは他のメンバーだ)、やれんし、やらんのやろ。
後は相手が頑張るようお願いするか、頑張ったら報酬を払うかだろ。
中の人に頑張るよう強いることも、報酬を踏み倒しながら理不尽にやらせるよう追い込むことも、不正規で危険な例外処理であって、まともなやり方ではない。

***

どういう根拠で、「不正規で危険」なのか、って?

中の人が、場が、壊れるからだよ!

壊してるのは、言うまでもなく、暴力を振るってる側です。
暴力を振るわれてる側の意思決定や現状認識を阻害するためにやってるんだから、相手の意思決定や現状認識はガリガリ壊れるし、人も壊れるし、場も壊れるに決まってるんだよな。

***

え?

「代わりはいくらでもいる」?

いないよ?

選択肢や人が、場にとって交換可能な歯車だとでも思っていたのか?
その交換はローリスクローコストだとでも信じていたのか?
エライことになると思わなかったのか?

私もシステム屋の端くれだったので、
「軽微な改修で済む」
という話は
「その軽微な改修で、全面的に影響があるから、だいぶ大ダメージがありますよ。
何? そんなつもりはなかったし、そのために自分のコストはもう割けない?
じゃあ直ちにやめろ。
で、これまでのコストはテメーでケツを拭け。たりめーじゃこんなん」

くらいのテンションにならざるを得ないんだよな。

***

そんな訳で、

  • 理由の有無にかかわらず、

についての話をしました。

「理由があれば、これは悪意として非難されるに当たらない」
「その場合、この自由意志阻害的操作も、暴力として非難されるに当たらない」
という話は、
「それをやって全体がギリギリ回ると思うか? 正気で?
部位破壊で全体維持をやるの、たいてい失敗して酷い目に遭うんだよな。
なぜ「自分がやったら、今回はうまくいく」と信じた?
「これは自由意志を阻害する操作だが、やる」と決めたんだろ?
それが「悪意」ではないというの、お前の現状認識に、ゴミでも詰まっているのか?」
という回答しかないんだよな。

(理由がなかったら、その暴力は
「望ましい目的をそもそも描いておらず、だから何も望ましい結果をもたらさない、ただの憂さ晴らしの八つ当たりとしてしか機能しないなんか」
でしかありません。
当然これがよりよいとかいう話ではありません。端的に最悪でしょう)

***

ということで、広義の暴力と、呪術のある種の捉え方が、意外にも一致する。という話をしました。
こんなところでつながること、あるか? あるんだよなあ。

(続く)

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