日記(2021/6/26):「成果を出した」プラスと「ダウンした」マイナス
1.何があった?
査定、下がりました!!!
2.なぜ!?
そもそも、蛮勇ですが、上司に訊いたんですよ。
「私は情報資産管理関係で職場のマシントラブルを一手に引き受け、下支えしてきた。皆の困りごとを全て円滑になるように解決して来た。
本来の事務の仕事も大過なくやっていたはずである。
それにしては、年齢に比べ、収入の伸びが、主観的にはおそろしく悪い。
公正のために、査定を正々堂々と上げてから、収入を正々堂々と上げたい。
だから、二つ教えて欲しい。
どういうことをすれば私の査定は上がるか?
何が私の査定を妨げているか?」
3.「成果を出した」大きなプラスと、それをぶっちぎる「ダウンした」大きなマイナス
上司から言われたのは、かなり意外な、だが言われてみれば「そりゃそうか」と思うようなことでした。
「その心意気や好し。
ではお答えしましょう。
あなたの査定は、今ではかなり良い。
だが、年度が替わる前の2-3月頃、あなたはダウンしていた。
それは、上にとっては、端的に「組織の仕事を妨害した」のと同じ意味があり、当時の査定はかなり悪かったのだ」
4.そもそもダウンするような働かせ方だった
唖然としました。
確かに、2-3月頃、それまで信じられないほど働いていて、しかもそれに伴うお手当は一切出ていなかった。
そんな中である人から
「何で出来ないんですか。やくめでしょ」
と言われて、
「あっ、俺、働かせられて、報酬は0円で、それで当たり前だと思われてるな。
業者だったら数万円~数十万円取りたい相場のレベルの面倒案件(サーバ移行とか)ばかり余儀なくされて、その挙句に、評価として、これか!?
ふざけるなと言いたい」
となって、次の日メンタルを完全にぶっ壊してダウンして、見かねた当時の上司との電話相談の結果、2週間休んでいたんです。
5.仕事組織としては、「組織の仕事に貢献した」成果もそうだが、「組織の仕事を妨害した」ダウンも、だいぶ重く見ている
で、それが良くなかった。
上司の言うことを、一旦真に受けることにすると。
仕事組織としては、「組織の仕事に貢献した」成果もそうだが、「組織の仕事を妨害した」ダウンも見ている訳です。
長く生きていると、「人間の価値判断は、プラスよりマイナスの方が鋭敏になる」ということくらい、まあ分かります。
つまり、成果より、ダウンの方が、評価として重かった。
6.ノーコストで人間から金を錬成する錬金術のハメ技
もちろん、
「ダウンするような働かせ方をして、報酬を0円に抑えて、ダウンしたら「正当な理由によって報酬を0円に抑えている」と主張するの、ノーコストで人間から金を錬成する錬金術として、かなりたちの悪いやり方ではないか。
ハメ技ですよ。こんなの」
ということは、言えば言える訳です。
7.必要不可欠だろうが何だろうが、報酬以上に働かない。働きには報酬を払う。仕事の公正取引をお互い守る
ですが、私は、失敗した当時の状況から回収したデータの内容には満足しています。
次は失敗しません。
御期待下さい。
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「そんな御託は良い。具体的な話をしろ」?
そうですか。
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肚が極まったんですよ。
「必要不可欠だろうが何だろうが、報酬以上に働かない」
という肚が。
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「そんなことをされたら、必要不可欠な仕事なのに、困る」
と言うなら、報酬が増えると信じるに足る状況を作って欲しいし、実際に報酬は増えて欲しいんです。
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公正な立場でこれをする場合、平たく言えば、
「仕事を妨害しないようにダウンせずに出勤することを、約束するし、信じてもらえるようにもする。
だから、ダウンしないために、スケジュールを余裕のあるように組む。
これは、裁量として認めてもらいたい。
また、仕事に貢献する成果を出した分だけ、査定は上げて欲しいのだ」
という路線になります。
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「公平」の考え方の一つに、「投入に対する報酬の比」が「すべて一定であると感じること」があります。
1963年発表された『Equity Theory』の中で、J.S.アダムズは人々が「投入に対する報酬の比」が「すべて一定であると感じること」を「equity」(衡平 = 公平)としており、この場合、「参加者の交換率の平等」が「公平」の本質であるということもできる。
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この話の前提として、「投入に対する報酬の比」という話があります。
これはプラスでなければならない。完全な等価交換だったら、それはうま味がないから、やってられないのです。
まして、マイナス? というか全部持ち出し? まるでやってられない。論外。
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要は、働いた分に色付けて報酬を払う。そういうことをしてほしい。
それが仕事のふつうの公正取引的な契約なんだから。
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「公正取引なんかどうだっていい。ノーコストでメリットだけ寄越せ」?
この資本主義国家で、仕事を依頼するのに、そんな「ただ働きをしろ」などという悪辣な理屈など、通るわけがないのです。
相手がよっぽどの伊達や酔狂でやってるのでない限り。
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私は伊達酔狂だった。
挙句ダウンした。
そういう『幸福な王子』、『国を救った少年の腕』、そして『人魚姫』、もうやらん。
それは、動機としては親切心だったかも知れないが、搾取的な「ノーコストで人間から金を錬成する錬金術」の正当化に直結していることは、最早見ての通りであろう。
「親切心で邪悪な帰結をもたらしたい」というのが正当化される余地はない。
倫理とは実践のための重み付けの価値で、実践は成果のためのプロセスだ。
成果として邪悪な帰結がもたらされたら、その源にある価値か、その実現としての実践に、何らかの邪悪がありうる。
「親切心が邪悪である」とはよもや思わないが、「親切心の実践が邪悪な形を取った」ことは大いにありうるだろう。
そういうことをするの、もう、絶対に嫌なのですね。
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改めて。
データの内容には満足しています。
次は失敗しません。
御期待下さい。