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【映画】「怒り」-信じる-事の行き着く先を考える#57

こんにちは。

今回紹介する映画は、普段あまり観てこなかったジャンルの作品です。

観ようと思ったきっかけは、作品紹介のパッケージに豪華キャストが並んでいたから!という理由なのですが、誰もが主役を務めた経験のある方々が揃っていて、「どんな作品なんだろう」という期待感から観ました。

吉田修一著書が原作の映画「怒り」を紹介します。

「信じる」先には2つの選択がある


観終わった後に「楽しかった」「感動した」という感想をもつというよりは、自分に当てはめて考えさせられた映画でした。

作中で3つの話が並行していて、素性の知れない3人の男性を中心に物語がすすんでいきます。素性を知らぬまま、好意を寄せた人達の人間模様がとてもおもしろく、訴えるものがありました。

殺人事件が起こり、素性の知れない3人の男性の内誰が犯人なのか?という疑念の目を持ちながらも観ました。

1つの話では、「信じることをやめた人
他2つの話では、「信じ続けた人
の話が描かれています。

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「信じる」先に得られるもの


「信じることをやめた人」の話では、信じたい気持ち動揺する姿が印象深く、最後には後悔が残る姿が描かれています。「後悔」するということは、それだけ想いがあったり、期待の大きさのあらわれなのかなと思います。

「信じ続けた人」の話では、絆が深まる話と信じた相手に裏切られた心の行き着く先が描かれています。

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「人」に限らず何かを選択することは、自分の選択した事を「信じる」事なのかなと思います。
どんな結果を手に入れたいのかで何を選択するのか!?が決まると思いますが、どんな結果であれ「信じることをやめる」という選択よりも「信じ続ける」という選択を選びたいです。
理由は、信じる対象や事情状況というよりも、自分の選択を信じたいからなのだと思います。


枡田泰明

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