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【雑談】マイノリティ同士が差別しあう?

「多様性」という言葉が、市民権を獲得しつつあります。

ジェンダー、障害、ルーツ。

いつもの自分とは違う立場にたって、マイノリティの人々の気持ちを想像しましょう。
そういう風潮が当たり前になってきました。

多数派が、想像力を働かせて、
少数派が暮らしやすくなるようにみんなが努力する社会。
とっても、美しいですね。


この考え方には、「世の中には、多数派と少数派という2つの種類の人間がいる」という前提があります。

言い換えれば、マイノリティとマジョリティの間にしっかりと境界線を引く、二分法的思考があるのです。

例えば、視覚障害者の方と、視覚に不自由のない私たち、といった分け方です。



私は、ある体験をしたことによって、
「多数派と少数派を2つに分断することは容易ではない」ということに気づきました。

マイノリティの内部にはさらにマイノリティがいる、
また、そのちょっとした少数派同士の差異に敏感な人たちがいる、
ということを、考えさせられたのです。



初めて、精神科病院に入院したときのことです。

「いかさんは何持ちなの?」
何の気なしに、少し雑談をするようになった女性に聞かれました。

そのときは、ひとつ目の診断名がついた直後だったので、私は
「双極性障害というらしいです」と答えました。

するとその女性はこう言いました。
「他には?」

他にって、どういうこと?
そう思いましたが、
「いや、それだけです」と言いました。

するとその女性の顔が、少しきつくなりました。同時に、笑みを浮かべてこう言いました。



「へぇ、躁鬱だけで入院してるんだー。
私はね、統失(統合失調症)とボーダー(境界性パーソナリティー障害)で、自傷もしちゃうの。自殺未遂も12回。すごいでしょ?」


そう言い放ち、別の人のところへ行ってしまいました。



私は口をぽっかり空けて、しばらくそこに座っていました。

同じ空間にいた人たちはみな、自分のものとさほど違わない「痛み」を抱えているのだろう、と思っていたからです。


彼女のことばには、「私の痛みは、あなたのものなんかとは全然違うのです!」という含みがありました。

「この人とは私と同等じゃない。だから、話す価値なし!」と切り捨てられたのです。

すぱっと言えば、診断が単一であるという属性だけを見られて、差別されたのです。


置き去りにされた私はこう思いました。

いっぱい障害名ぶら下げてることがそんなに偉いのかよ!

自分で何にも頑張ってこなかったから、そんな風になっちゃったんじゃないの?

そもそも、そんな重症って、めちゃくちゃ危険人物じゃん。もう近づくのはやめよう。

真剣にメンタルの問題で苦しんでいる私とは違う世界の人なんだろうな。




私もまた、属性だけ見て、彼女を差別したのです。

精神疾患に対する偏見で最もありがちな「自己責任論」を、振りかざしたのです。




「精神疾患」とひと口に言っても、その引き出しの中はごっちゃりとしています。


自閉症やジェンダーなど、はっきりとカテゴリー分けがしにくい、境界の曖昧なものについて語るとき、「スペクトラム」という概念を使います。

これは、メンタルの問題に対しても使うことができるように思います。

それぞれが抱えるメンタルの問題は虹のように多様で、
曖昧な境界を持ちながら存在している


たくさんの診断名を持っていた彼女は、当時ひとつのラベルしかついていなかった私に「勝る」マイノリティだったのでしょうか?


そうではない、と思っています。


バナナと毛布を比べても、どちらが優れているか判断できないように、
それぞれに次元が違う、比較することのできない痛みがそこにあって、優劣はない。


障害の複雑さの違いといった「差異」に目を向けるのではなく、
心にちょっとした問題を持つ者同士、たくさんの「共通」点があることに注目できたら、
きっと、心地の良い会話ができたのだと思います。



彼女は今も、同じ時計の中を生きているんでしょうか。
どこかで元気にしていたらいいなあ。


ちょっと不思議な人たちに出会って、色んな話を聴いた。
総じて、入院はけっこう、楽しかった。

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