「バラと飛行船」を終えて
演劇企画ニガヨモギ 「バラと飛行船」
無事に旅を終えました。
「街のはずれの美術館」をテーマにした今回の企画。砂漠があって、住人がいて、食があって、そこに本があって、物語が生まれる。
そしてそこには、神さまが宿る。
そんなイメージをして作品作りをした「バラと飛行船」、ご来場くださったお客さま(神さま)本当にありがとうございました。
たくさんの素敵なご感想も、わたしやみんなにとっての宝物となっています。
無事に終えることができてホッとしつつも。
実はね、忘れる才能においてわたしの右に出る者はなかなか居ないほどでして。その才能をすでに発揮している今日この頃です。
壮大な夢を見たあと。夢の物語を繋げるための断片を掘り起こす作業を試みても、どうしても思い出せないこともあるような。
もどかしいようで、でもそんなものだ、というような。そんな感じです。
そんな人間ですから、お客さまの声というものはやはり、非常に大切なのです。
どんなにわたしが忘れたってね、お客さまがことばにしてくださるから思い出せるんです。
例え忘れなくたってね、きっと、これからどうしようもなく沈んでしまうこともあるんです。もう一歩も歩けないって思うときもくると思うんです。
でもおそらく、そんなとき思い出すんです。
お客さまのことばを。神さまのお守りを。
大切に仕舞っておきたくなるものなんです。
これから何度も何度も取り出して眺めて、祈って、握り締めて、飛ぶのでしょう。
ですから、ありがとうございますの言葉だけでは足りないような。そんな気もしてしまうのです。
言葉の限界を感じています。だってこの気持ちをどう伝えたらいいのか。
とても悩みながらこれを書いているのですから。
とはいえ、なんだかんだ記録というものは便利なものです。
今しがた記録を辿ったところ、脚本を書いたのが2020年6月頃だったようでして(6月というのははっきり覚えているものの、それがいつの6月なのかは曖昧でした)
気が付けばこの作品に向き合って、わたしだけは丸2年という月日が経っていたようです。
常に「わたしひとりだけ周りの人と時間の感覚がずれているなあ」なんて感じることが多かったのですが。これを考えたら、わたしだけズレているのもそりゃそうか、となりました。
そのせいでたくさんの人とだいぶズレている人間だということもやはり、間違いなく確かなことなのですが…。
でもね、この2020年6月というのは、これもやはり確かなものなのです。
なぜならこの「バラと飛行船」は、あるお別れをしたあとに書き始めた作品だったからです。
お別れから数ヶ月が経ったある夜。ふと夜空を眺めていたら、突然涙が溢れて止まらなくなったのです。
嗚咽が漏れるほどに。呼吸ができなくなるほどに。とめどもない喪失感が押し寄せてきました。
それは、悲しみや悔しさではなく「しかたないこと」だと。抗えるものではないことを知っていた涙でした。受け止めるための涙だったのです
それから書き始めた物語。
書いている最中のことはほとんど記憶がないほどに。時間の感覚が、月日の感覚がわからなくなるほどに。
ありとあらゆる紙に文字が落ちていきました。
それは台詞となり、人となり、景色となり、世界となる断片でした。
そうしてできあがったのが、飛行船を直す操縦士のお話。そうしてできあがったのが「バラと飛行船」でした。
気が付けばそれは、子どもの頃に読んだ「星の王子さま」のオマージュ作品になっていました。なぜかはわかりません。そうなったんですから。
そして、さまざまな巡り合わせがあり、この物語を心から大切にしてくれる人たちが現れました。
それはときに、王子さまのように。ときに、操縦士のように。ときに、きつねのようで、ときに、ヘンテコな大人たちのようでした。
それらはすべてわたし自身でもあり、同時にまた、どこかに居る誰か、誰でもある誰かでした。
そんな人たちと出会い、共に同じ舟を築き、壊し、直し、乗り出して。最後はお客さまと共に飛ぶことができました。共に同じ景色を見れたこと。
どうしても確かめたかったことが、お客さまの声により確かめられたこと。
共に生きれた気がして、それは本当に幸せなことでした。
そりゃあもう、みんなでね。語り、幸せを分かち合いましたよ。たくさんの笑顔も見ることができたんです。そりゃあもう、幸せなことでした。
ただね、ここだけの話ですよ。
実はその幸せ、わたしは本当は、たった独りで噛み締めてしまったんですよ。
ひとりで気持ちのよい夜風にあたりながら。
煙草を吸いながら、噛み締めてしまったんです。
独りで夜風に当たって始まった物語はやはり、独りで夜風に当たって締めたくなってしまいまして。
人々と共に居る時間も、独りの時間も、わたしはやっぱり好きなんです。
操縦士さんがたったひとりで夜空を眺め、その美しさ、儚さ、寂しさ、それらを煙草を吸いながら噛み締める二場のあたまはね。
あんな時間は、なかなか良いものなんです。
二場の独白シーンの操縦士さんには、こんなリクエストをしていたんですよ。
「世界で一番、美味そうに煙草を吸ってくれ」とね。
終わってからの数日、寂しいと感じることはありません。
なぜなら「次はいつ?」とせがんでくれている人たちがいるものですから。圧倒されるくらいに、きらきらした瞳でこちらを見てくれるのです。
それはとても嬉しいことです。
愛おしい人たちが、そばにいるのです。
すでにまた、旅支度をしているのです。
ですから寂しくはないんですよ。ちっとも。
また、書いています。
書きたいものや作りたいものが尽きるまでは、きっとまたどこかで。
もちろんね、気持ちだけでできるものではなく。そのために必要なものがたくさんありますから。
ですからどうか、応援してやってください。
ほんの少しでいいんです。わたしと彼らの、彷徨う姿を見てやってください。見届けてやってください。
そういう方が居なくてはね、いつまで経っても「その時」は訪れないのですから。
神さまというのはたいへんありがたいものです。
なぜならその存在は、心の拠り所ですから。
お客さま、応援してくださった全ての方々へ
心からの感謝を込めて。
この度は誠に、ありがとうございました。
またどこかで見つけあいましょう。
わたしはあなたを待っていますから
あなたもわたしを探してください。
わたしもあなたを探しにいきますから
あなたもどうか、わたしを待っていてください。
そのときまで。お元気で。
演劇企画ニガヨモギ
主宰 市村みさ希
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