「知らない」ままで居たい
人は皆、そんなに強くない。
大人もみんな悩み、苦しみ、迷っている。
そしてそこから解放されるときをじっくり待てるほど人の命は長くない。
むしろ、本当にそこから解放されるときは「死」しかないのかもしれない。
いろんなものを見つめていく中で、人というものはみな驚くほどに脆かった。
身体的な脆さだったり、心の脆さだったり、環境によって生まれる脆さだったり。それぞれ原因は違っても、人は想像以上に弱かった。
だからこそみんな、その脆さを補える場所を探していた。
ほんの少しでも。ほんのいっときでも。その苦しみを忘れられる拠り所や方法を必死に探していた。
しかし、その拠り所や方法によってまた新たな苦しみを生む人もいた。
癒えるために求めていたはずのものに対する犠牲が大きすぎる人だったり、そのせいで他人を傷つけてしまったり。
本当は、幸せになりたかっただけなのに。
こんなはずじゃなかったのに。
そんな風に言葉に出さずとも、それは痛いほど伝わった。そしてそれに対して、こちらがどうすることもできないことも多かった。
なぜならわたし自身もまた同じように、もしくはその人以上に無力だからだ。
どんな不幸を生もうとも、その人にとって束の間の解放。それを取り上げることが正解なのか。
わたしにはわからなかった。
その人が選んだ逃げ道はまた別の、新たな不幸を生む。それをわかっていても、それを塞いだところでその人の苦しみを完全に取り除くことはわたしにはできない。
わたしも同じ、人間だからだ。
おそらく、ひとつの不幸を塞いでも。
別の道を選んでも。どんな道を選んでも。
そもそもの脆さはずっと付き纏うだろう。
ならば、生きる意味とは。
生きる意味とは。
そんなことをずっと考えてきた結果、辿り着いた答えは「産まれてきてしまったから」本能が生き続けさせようとしている。
それだけだった。
ただ、それだけのものは案外強かった。
今抱えている苦しみから逃れる道の中でおそらく一番確実なものは「死」なのに。なんだかんだで本能は「死」から逃れようとする。
身体に備わっている再生機能がそうさせたり、他人の存在だったり、自らの意志だったり。色々な理由で人は「死」を回避しようとする。
苦しみからの解放でもある「死」から。
苦しみから解放されたい。
でも死から逃れたい。
それは案外強欲な願いで、矛盾もしている。
一致していない。辻褄が合っていない。
矛盾というものをたいていの人は嫌う。わたしだってそうだ。なるべく矛盾などしたくない。
しかし人が生き続けるためには、実はその矛盾というものが非常に重要なのかもしれない。
もしかしたら本当は、はじめから人はそうして矛盾をするようにできているのかもしれない。
矛盾することで、バランスを保っているのかもしれない。
迷い、ごまかし、隠し、嘘をつく。
痛くないふりをする。見ないふりをする。
なぜならそれを真正面から見つめるにはすでに、その傷は深すぎて。それを癒やすために払う対価は重すぎて。
そして人はそこから逃れるために、ときに暴走し、自ら大切なものを壊してしまうことすらある。
そうして自ら壊したものを冷静に見つめた時、己の手を呪う。同時に、そこに至った環境や追い詰めた他人をも呪う。
凡ゆるものを呪い、憎み、壊す。
しかし、人はそれでもまた築こうとする。
生きることを考えてしまう。
矛盾している。
自分のそういうもの。他人のそういう部分。それら全ての矛盾を引き受けられるほど人は強くない。
ひとつの矛盾を解消しても、おそらくまた別の新たな矛盾が生まれていく。
もちろんわたしもそういう人間だ。
ひどく、深く、矛盾している。
そして、その矛盾を赦し愛せるほど強くない。到底、冷静ではいられない。
そんな自分を知ってしまった時、人は大きな虚しさとさらに深い絶望に陥る。孤独を感じる。
わたしもそういう「人間」だ。
だからこそわたしは、それを真正面から見つめて引き受けられる強さがある存在に憧れているのかもしれない。
圧倒的な弱さを持つ自分だからこそ、そんな強さを持つものを追い求めている。それに触れられたら、いつまでも生(セイ)に留まることを選べるような。そんな強いもの。
しかし、そんな圧倒的な強さを持っている存在なんていうのは、それこそ全知全能の神さまのようなものだ。
そんなものは、どこにもないのかもしれない。
はじめから、ないのかもしれない。
それでも願う。
そんな人が居たら。
そんな存在が有れば。
それさえ在れば、絶望、孤独、そんな脆さを抱えたままでも留まることを選べる。わたしはそんなものをずっと求めている。
もしかしたら、人はそれを希望と呼ぶのかもしれない。望みをかけること。望むこと。
ただ、未来に向かう希望が常に有るとはわたしは思わない。そもそもそれが「在る」ことをまず知りたいのだから。
わたしはおそらくこれからも脆いまま、矛盾を共にする。「知らない」を共にしていく。
それを「知りたい」と望み続けられるために。
それを望めるうちは、わたしはここに留まることを選ぶのだろうから。
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