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うつけ者のプラモデル製作記

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家人に隠れて作ってきた哀しきプラモデル製作の記録。
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「クイール」

「クイール」

バンダイナムコのスターウォーズのプラモデルに関しては久しく新製品はもちろん再販も中々掛からないという状況がこの数年続いている。
同社が常に品薄・売れ筋の「ガンプラ」の生産に追われてそれどころじゃあ無いだろうというのは理解はしている。
何せ自分は大学時代に一般教養で「経済学概論」を履修した事のある、「文学部卒の経済学マスター」であるから、企業の事情なんてのは百も承知。
只、「何かを作ってないと…」と

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さらば、我が青春の…④

さらば、我が青春の…④

パチンコを趣味としていた「パチンカス」だった当時、軍資金と目標ラインを共に¥4000に設定するという縛りを自分に課していた。
賭場が毎日開帳されている状態のパチンコで長く続けていく為には、大負けしない事が重要。だから追加投入は絶対しない事を心掛けていた。
更に負けない為に重要な事は欲張らない事。
ひとまずノルマに達成したら引き上げる。
「あそこで止めとけば良かった…」というのが一番つまらないし、只

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さらば、我が青春の…③

さらば、我が青春の…③

結婚によるコレクションの大処分命令を受けて、その後は当時もう一つの趣味であった「パチンコ」に興じるようなっていた。(勿論コレも家人には内緒の趣味。)
あれだけ、キレイさっぱりとコレクションを処分されるとまるで憑き物が落ちたように「収集」そのものに興味が無くなった。
「モノ」に愛着を持つなんて俗物だ。
全てが無くなった時の喪失感をまた味わうくらいなら「モノ」なんていらぬ!
聖帝サウザーの気持ちがある

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さらば、我が青春の…②

さらば、我が青春の…②

「結婚」によりコレクションの処分を連れ合いから命じられ、S.I.Cと合わせて泣く泣く手放したのがスター・ウォーズの「ベーシック・フィギュア」だった。

スター・ウォーズとの最初の出会いは幼少期。
断片的に覚えているのはキャラクターの描かれたコカコーラの王冠とC-3POのソフビ。
(自分は幼稚園にあがる前。これらは自分の最初期の記憶の一つなのだ。)
ep4は日本公開に当たって玩具業界に限らず鳴物入り

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さらば、我が青春の…①

さらば、我が青春の…①

人生には入学、卒業、就職など様々な「ライフイベント」がある。
そこでは様々な出会いや別れが発生する。
自分にとってのソレは「結婚」。
そして、そこで生じたのはコレクションとの「別離」であった。

社会に出て、自分で収入を得るようになると自由に出来る資金が圧倒的に増える。
自分はフィギュアのコレクションにそれを費やした。
主に集めていたのはDVDとバンダイの「S.I.C(スーパーイマジネイティブ超合

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「ダース・マルガス」

「ダース・マルガス」

2023年12月、バンダイ・ナムコより漸くスターウォーズのプラモデルシリーズの再販が掛かった。
「キャラクターライン」が中心の再販で長らく再販を待ち望まれていた「スピーダーバイク&スカウトトルーパー」などもラインナップに入っていたが、置き場所の問題もあって自分が今回ゲットする事に決めたのは「ダース・ヴェーダー」と「サンドトルーパー」のみ。
まあ、ガンプラじゃあないから暫くは店舗に残ってるだろうとい

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望郷のプラモデルクロニクル④(1983)

望郷のプラモデルクロニクル④(1983)

[1983年/小学校4年生]
1983年、キン消しブームが起こったこの年、オレは4年3組に籍を置いていた。
担任の統率力が為せる業かこのクラスは異常なまでに団結力が高かった。
学校行事の一つ一つに目標を掲げて全力を掛けて取り組む……全員で。
そんなクラスだったので学校行事が近づくと、放課後や休日に全員が自主的に集まってミーティングや自主練習が行われた。
後年「はぐれメタル」と渾名されるようになる自

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「デンガー」

「デンガー」

特に作りたいキットも無くなり、素体として使うSWプラモデルの再販供給が無くなってしまった事もあって、手持ちの関節パーツやジャンクなどを使って何か一体作ってみる事に。

雑魚っぽくて間違っても今後プラモデルが発売される事の無いバウンティ・ハンター「デンガー」。
1シーン登場のモブでも名前と設定が後付けされるスターウォーズのキャラクターにおいては決して「マイナー」とは言えないけど、間違い無くザコっぽく

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望郷のプラモデルクロニクル③(1982)

望郷のプラモデルクロニクル③(1982)

[1982年/小学校3年生]
1982年、小学生のホビーに新たなムーブメントが巻き起こった。
タカラの「チョロQ」である。
ブームの出所は小学館の「コロコロコミック」。
自分は購読していなかったが、友達の多くがこの本を購入していたのでよく読ませてもらっていた。
そんな中、この年「戦闘メカザブングル」と「超時空要塞マクロス」がテレビ放送開始。
只、この年齢になると放課後は友達と「ドロタン」(一般にい

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メカトロウィーゴ すぽーつ

メカトロウィーゴ すぽーつ

「ボバ・フェット1313」を作った後、スターウォーズでは作りたいモノが無くなってしまい(素体になるスターウォーズのプラモが入手出来なくなったというのもありますが…)、また改造もワンパターンになり飽きてしまったので、たまには違うモノをという事で以前から気になっていた「メカトロウィーゴ」に手を出してみました。
各社から様々な商品が出てますが、簡単なヴィネットを作りたかったというのもあって選んだのはハセ

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「ボバ・フェット 1313」

「ボバ・フェット 1313」

「スターウォーズ 1313」というタイトルをご存知でしょうか?
ルーカスフィルムがディズニーの傘下となった事で開発をキャンセルされたゲームのタイトルとなります。
幾つかの開発途中映像とコンセプトアートが残っていますが、「クローン・ウォーズ」と「新たなる希望」の間の時代に、若きボバ・フェットが活躍するというゲームだったそう。

まだベスカーアーマーが全て装備されていないという若き日のボバという事もあ

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「C-21 ハイシンガー」

「C-21 ハイシンガー」

「クローン・ウォーズ」に出てきた頃から、何か日本のロボットっぽくて引っ掛かかっていた賞金稼ぎのドロイド「c-21 ハイシンガー」を製作。
この頃はSWキットの再販も無くて、スクラッチで製作するのが普通という感覚になってたので気負いは全く無く製作開始。

只、技術的・モチベ的な問題で完成にまで至らない可能性もあったので最悪は上半身だけ作って、「ボバ」なり「キャド・ベイン」なりのベースの添え物(ビネッ

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望郷のプラモデルクロニクル②(1981:後篇)

望郷のプラモデルクロニクル②(1981:後篇)

[1981年/小学校2年生]
当時クラスの男子の話題は「オレたちひょうきん族」「欽ちゃんのドンといってみよう!」そして「機動戦士ガンダム 」の話題ばかりになっていた。
学校が終われば自転車に乗って集合し、皆で校区内外のプラモ屋をガンプラを求めて巡回するのが習慣となった。
校区内の店には「ガキには売らない」を明言する店やアリイの「ザ★アニメージ」との抱き合わせでしか売ってくれない店など阿漕な商売が横

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望郷のプラモデルクロニクル①(1981:前篇)

望郷のプラモデルクロニクル①(1981:前篇)

[1981年/小学校2年生]
1981年5月、兵庫県のとある住宅地に今までには無かった新しい店舗がオープンした。
その名は「ローソン」。
当時は駅前の商店街もスーパーマーケットも開店:朝10時〜閉店:夜8時が普通だった時代。
大阪と神戸といった街に挟まれた決して田舎とは云えないこの住宅地でも、夜に開いている店なんて無く真っ暗で静かだった。
そんな町に突如現れた「コンビニエンスストア」は地域住民の生

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