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望郷のプラモデルクロニクル④(1983)

[1983年/小学校4年生]
1983年、キン消しブームが起こったこの年、オレは4年3組に籍を置いていた。
担任の統率力が為せる業かこのクラスは異常なまでに団結力が高かった。
学校行事の一つ一つに目標を掲げて全力を掛けて取り組む……全員で。
そんなクラスだったので学校行事が近づくと、放課後や休日に全員が自主的に集まってミーティングや自主練習が行われた。
後年「はぐれメタル」と渾名されるようになる自分のような人間でも、何の疑問も抱かずに積極的にこういったモノに参加していたのだった。

この年はリアルロボット全盛の時代で各社から多数のプラモデルが出ていたにも関わらず、そんな状態だった為に番組そのものは殆ど観れていなかった。 
だがプラモデルは作りたいので、ダンバインやバイファム、オーガスといったメインの主役機ぐらいは摘んで買っていたのだが、気付けば箱だけが次々と積まれていく状態。

そんな状況だったがタカラSAKのボトムズだけは気合いを入れて作っていた。
作品自体を視聴してたってのもそうだが、ダグラム以降のSAK信仰が自分に芽生えていたからというのが大きい。
只それ以上に、出てくるATが立体映えして兎に角カッコ良かったからというのが最大の理由だろう。
1/35をメインに作っていたが、初めはシンプルに素組みしていたのだが、その内にオリジナルの武装をメチャクチャに付けて「ぼくの考えた最強AT」を作って楽しむようになっていた。
指揮官機という事でシャアザクのようなブレードアンテナを生やした「ロッチナ専用スコープドッグ」、左右の肩にそれぞれキャノン砲を装備した「アロン・グラン専用のスタンディングトータス」など、凄まじくダサいセンスを元に作られた異形のAT達…。
今振り返ってみるとセンスの欠片も感じられ無い改造で、良い商品を作ろうと設計・開発に苦心されたタカラさんにはホントに申し訳ないと思っている…。

思えばメーカーを問わず、今の自分はプラモデルを買っても説明書どおりにキットを組む事は殆ど無い。
何なら予め既存のコレをこうすればアレが作れるかも!というところから買うモノを決めているフシさえある。
「改造ありき」でプラモデルを買っているのだ。
多分その始まりはこの時期に作ってきた「ぼくの考えた最強AT達」だったのであろう。

…改めて言いたい。
各メーカーさん、ホントに申し訳ございません!

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