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死線を彷徨う

今日、写真撮影に行ってた時に死線を彷徨ってしまいました

自分の機材にはもうほとんど機材は残っていません

今日使っていたカメラはNikonFGです

ちなみにあと自分に残っているカメラはCanonAE-1とCanonEOS-5がフィルムカメラです
二眼も一台残っていますがそれだけになってしまいました

後はすでて売却するになってしまいました

これも全ての周りの人間が精神障害者を放置した結果です

ただ今日の話です

今日、撮影してた所は自分が大切にしている場所でした
そこで今日はFGを使っていたのですが朝の日の出まえからの撮影です
徐々にバルブからシャッタースピードが速くなり1秒ぐらいにシャッタースピードになった時にシャッタースピードが出てないんです

おかしいと思いながらフィルムを巻いてシャッタを切るけど速度が出ない
これが続いた結果、自分の中で終わりが来ました

残り少ないカメラ、それも2、3日前に俺はフィルムフォトグラファーだと思うようにしようと思ったばかりでした

その誇りがシャッタースピードの速度が出なくなった時に同じように自分が崩れてしまったのです

自分の支えは母と牧梨菜の二人です
その二人の支えを失っている今、自分の支えは写真でした

それが大きな誇りでした
その誇りこそが今日、カメラと共に崩れてしまったのです

あきらかに危険な状況だったはずです

ただ今、なんとか生きているならばそれはそこを超えてくれたのだと思います

ただ死線をくぐり向けるとはそれだけのストレスです

家に帰って来て起こした行動が運動です

その挙げ句、運動で今日は自転車で50Km走破するまでに至ったのです

それは異常覚醒でしょう

死線を彷徨ったからの反動で状態が躁状態になってしまったのです
だから疲れを感じなくて50Kmも走破できたのでしょう
曲がりなりにも自分は精神障害者です
それもママチャリで50Km走破です

アホ過ぎます
それだけ躁状態、状態が覚醒してたという事でしょう

ただ人が死を見るとは貴重な体験です
その死を見たからなのか母の施設退所を諦める事なく、まだ母の心理分析を続けてみようと思い返しました

まだ施設に入ってからは会えてもないのです

それで電話だけでの話で諦めるとは俺らしくありませんでした
ただ心理分析とは自分にとっても負荷がかかるもです
それに母は親です

本来プロの臨床心理士は家族の心理分析はやれないと聞いた事がありました
客観的的に見れないらしのです

多分、自分も電話では同じように客観的に見たのでしょう

でもやり方、次第で分析は出来ます

29年の能力は伊達じゃないと思います

そう決断を思い返しました

今日は経験上、危険な経験だったでしょう

でもそれを超えて来たのは経験として身につくものがあったと思います

ただ残すカメラは少ない

フィルムカメラもAFでもないのです
何十年前の撮影スタイルで撮影してます?
その撮影スタイルだから更にきついのです
それでカメラが壊れたのです

切れる訳です

命が終わらなくて本当に良かったです

助かりました

ここは自分で超えて来た

自分を褒めてあげたい

頑張った

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