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大衆文化の写真と芸術文化の写真

写真についての考察

昨今、写真は誰でも撮れる時代になりました

それは携帯電話、一つあれば撮れる時代だからです

そうした中、写真は大衆文化となってしまったのです

昔のようにフィルムで撮影じゃなく、携帯電話でらくらく撮影です

それは気軽にみんなで想い出を共有出来る時代なのです

それはそれで写真のいい時代かも知れません

でも誰でも撮れるからこそ、芸術文化としての写真がなくなりつつあります

芸術文化ならばやっぱり誰でも、撮影出来ないフィルム写真だと想います

でもフィルム撮影に関しても、今の時代の人達なら撮影は可能だと想います

デジタルに慣れている、人達であれば撮影は出来なくはありません

ただ自分は撮影だけじゃなく、引き伸ばし機でフィルムプリントをやりたかったのです

なぜフィルムプリントなのかはデータ化やったフィルム写真はどのみちデータ化したからデジタル写真なのです

やっぱりフィルム写真はフィルムプリントした写真こそフィルム写真なのです

そのフィルム写真こそフィルムの質感が出て来る写真だと想います

自分はデジタルとフィルムカメラの違いを例える時に一つだけ言える事があるかもと想っています

それはデジタルであれば映像端子、フィルムで言えばネガですがそこに露光される時にデジタルは一瞬で写り込み、フィルムのネガの場合は一瞬ではあるが、真ん中から広がって来るんじないかと想っています

だからデジタルは綺麗ですが写真が硬いですが、フィルム写真の質感には空気感がある柔らかさがあります

その雰囲気を出せるフィルム写真とは真ん中あたりから露光され広がって来るからだと自分は想っています

ただ折角出た、雰囲気と空気感をデータ化するとデジタルのように綺麗になってしまいます
確かに少しばかりの雰囲気と空気感は残ってはいるのですがやはりかなり綺麗な写真になってしまいます

でもフィルムプリントをすれば雰囲気も空気感をフィルム写真の質感として出せるのです

それらが顕著にわかるのがサイズの大きなフィルムを使った時に出ます

120フィルムで撮影した写真と35フィルムではデータ化した写真でも圧倒的に120フィルムの写真の方が質感はいいです

ただこのフィルムプリントまで後一歩まで来てたのです

それを邪魔したのが宮若市高齢者福祉なのです
そればかりか母まで脳梗塞に晒したのです

命と言う尊厳を宮若市高齢者福祉は母と自分を晒したのです

自分は精神障害者でありながら写真文化を継承しようとしているのです

日本国の本来、宝なのです

それは精神障害者でありながら、写真文化を継承しようとしているからです

精神障害者と言う写真ブランドでもあるのです

それを邪魔しているのが宮若市高齢者福祉なのです

皆さんは宮若市高齢者福祉のやっている事がおかしいとは想えませんか?

自分たちの利益優先で精神障害者の基本的尊厳も尊重しない訳です

それも自分は精神障害者でありながら、写真文化に貢献をしようとしているのです

なのに宮若市高齢者福祉のやり方は精神障害者の基本的尊厳を否定しています

ならば我が声に感応して力を貸して下さい

シュアして下さり拡散をお願いします

一人の力が一人の精神障害者を助ける事になります

そして写真文化を継承しようとしている芸術家を助ける事になります

写真の文化を終わらせてはならないのです

力を貸して下さい

宜しくお願いします

この湖の写真が120フィルムで撮影です
かなり枝とかの質感がはっきりしていると想います
既にこれもデータ化なので綺麗になり過ぎてます
これをフィルムプリントをやれば少しアンダーにすれば臨場感は更に生まれると想います

そして母の声にも耳を傾けて下さい
母の残した言葉は母の叫びです
宜しくお願いします

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