手紙を書くために唐辛子を販売しているのかもしれない
極僅かとはいえ、「好きなこと」を暖かく大切にできるのならば、案外そんな自分を好きになれる気がしてきた
好きを突き詰める大学生
ここ数日、私はハタチの大学生と生活をしている。
彼はウチの宿や唐辛子畑のヘルパーとして、2~3週間滞在予定だ。
そんな彼は初日の晩に、
と言った。たしかに好きじゃなければ、私が住む香川の離島に農作業を楽しみに現れたりしないかもしれない。
好きが何か分からない
彼はやはり、
と質問してきた。ただ私はかねてより「好きなこと」が思いつかない人間である。強いて好きなことを挙げるとすれば、寝ること。そうやって、今回もこれまでも、この質問をのらりくらりといなしてきた。そのため、好きが行動のモチベーションになるなんてことはほとんどない。そんな自分が嫌になることもある。
他方で、例えば、世の中には英語が好きという理由で、英語学習に邁進できる奴がいる。英語はコミュニケーションの道具としか思えない私からすれば、本当に羨ましい。
手紙を書くこと
一方で彼のポジティブな姿を日々目の当たりにしていると、「実は自分にも好きなことがあるんじゃないか」と思い始めたのも事実だ。
離島で宿を始めたとはいえ、基本は独りで過ごす時間が長い。それゆえ、何事も大体は1人で黙々と取り組むことが大半である。
さて、そんな私もお客さんからの反応をみて、そのような静かな作業中から一つ好きなことを見つけた。もしかすると、「これは好きって言っていいだろう」ということを発見したという感覚に近いのかもしれない。
手紙を書くこと
普段唐辛子を個人のお客さんに発送する際に、数行の手書きのメッセージを送るようにしている。またお客さんの素性が分かるときは、小さなお手紙を添えることもある。
確かに時間はかかるけれど、私はその時間がどの作業よりも充実感を覚えるし、「どういう文言を入れたら、喜んでくれるかな」と頭をひねってもいる。
商品は唐辛子?それとも・・・
今思うと、私は手紙を書くために唐辛子を販売しているのではないか?
実際、お客さんからの反応に手紙についての言及があると、唐辛子の評価と同じくらい、いやそれ以上に嬉しい気持ちになるのだ。
だからこそ、本当に届けたい商品は唐辛子、もしかすると自分がしたためる手紙なのかもしれない。
実際は栽培した唐辛子を食べて喜んでもらえればそれで十分なのだろう。また「手紙って私のただの自己満足じゃないか?」なんて思ってしまうこともある。それでも、懲りずに毎度ペンを握っているということは、おそらく手紙を書くこと自体が好きなのだと思う。
そのため、もしまた「好きなことって何ですか?」と聞かれたら、もう少しだけ自信を持って、
手紙を書くこと
と答えようと思う。彼みたいに好きなことだらけではないけれど、ごくわずかとはいえ、「好きなこと」を暖かく大切にできるのならば、案外そんな自分を好きになれる気がしてきた。
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そんなこんなで「自分の好きなことって何かなぁ」とぼんやり考えていたときに、
唐辛子を買ってくださったフォロワーさんの記事を見かけ、お手紙に関する言及もありまして。もちろん唐辛子をいろいろな料理に使ってもらえたのもとても嬉しかったのですが、どちらかというと以下の写真に喜びをより一層覚えたというか。
もしかすると、私にとってお手紙は添え物というよりは、本質になっているのかもしれません。
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