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言葉が乱れてアイムソーリーヒゲソーリー

言葉の乱れの原因は、若者の不勉強ではなく、日本語それ自体にあったのだ。

乱れる若者たち

何をもって若者と呼ぶかはさておき、弱冠20代の私も一応は若者であろう。さて、私たちの世代はしばしば言葉が乱れた世代として年長者から揶揄されてきたのではなかろうか。

その原因が学力の低下なのか、それともゆとり教育の産物なのかはわからないが、年長者からすれば私たちは日本語運用能力の低い人間の集まりらしい。これ、"やばい”っすかね?

言葉は移り変わる

年長者たちは日本語の乱れを危惧しているようだが、私からすればアンタたちだって「ナウでヤングな服を着て、チョベリグな青春を謳歌してたんだろ?」と思う。そりゃ年長者の皆が皆が「月が綺麗ですね」と漱石然とした詩的な恋愛をしてきたというのなら前言は撤回し、謝りたい。

アイムソーリーヒゲソーリー。

つまり、私は一人の若者として日本語の乱れを年長者から指摘される筋合いはないと思っている。私からすればカフェの綺麗なおねぇさんも、幼稚園児も、犬も、パンも、畑の虫も、ペンも、皿も、なんでも”かわいい”のだ。そして、”やばい”のだ。なんなら気持ち悪いで名を轟かせた出川哲朗さんだってかわいく見えてくるときもある。もしあなたが怒っているなら、本当にめんご、めんご。

”かわいい”を見つめなおして

さて、このような年長者を煽るような記事を書いているのは、最近出会った一節にある。この一節は、個人的な感覚として、一種の言葉狩りともいえるこの不毛な争いに終止符を打った。

「日本語には対等な関係でほめる語彙が極端に少ない。上に向かって尊敬の念を示すか、下に向かって褒めてつかわすような言葉は豊富にあっても、対等な関係の褒め言葉が見つからないのだ」
(平田オリザ,2012,『わかりあえないことからーコミュニケーション能力とは何か』,p116)

なるほど、”かわいい”という言葉は赤ん坊も高齢者も皆をほめられた気分にするというわけか。また平田氏によれば、このような日本語の不足を我々は、たとえば「ドンマイ」「ナイス・ピッチ」のような外来語で補っているらしい。だからこそ、学生の部活動の応援で「~先輩、ファイト!」なんて叫ぶ下級生がいても、そこに上下関係の乱れを感じずに済むのだろう。

”かわいい”笑顔はあたり前田のクラッカー

そのため、そのような外来語を前に、私たちが使える対等な日本語が”やばい”であり、加えて、

「「対等な関係におけるほめ言葉」という日本語の欠落を「かわいい」は、一手に引き受けて補っていると言ってもいい(同書,p117)

のであろう。

となれば、若者が度々“かわいい”と口にするのは、日本語運用能力の低下ではなく、日本語それ自体の構造的な欠陥にあるということになる。悪いのは若者の不勉強ではなく、日本語だったのだ。

一人の若者として、言い訳をつらつら書いてみた。年長者の皆さま、どうぞ“かわいい”笑顔で許してくださいませ。そんなのあたり前田のクラッカー!

なーんてね。

ーーー

というわけでここで一曲、あいみょんで「ナウでヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌」

今回の記事は、この曲を議論の念頭に置き、書いております。

さてさて本日はこれにて!
ご清読ありがとうございました!


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