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私が島に移住した理由 ~旅を消費するだけでなく、旅を生産したい~

「旅」と向き合い続けること。
これが島に移住した理由を作ってくれました。


やはり旅に出たい

一つ目の理由は、端的に、長期旅行に行きたいから。

長期旅行といっても、それは1週間では足りません。具体的に言うと短くても20日、理想は30日以上。

日本という国において30日連続の休暇は、都会で会社員をしたり、地方自治体で公務員の職に従事していては叶えられない夢です。

働くことよりも、休むことを考えているなんて、なんて浅はかなんだと思う人がいるかもしれません。
移住者であるならば、「島のことを一番に考えて、がむしゃらに島のために行動しろ」という批判もあるかもしれません。


でも、私には

土日返上で一日10時間を共に英語学習に費やした同志たちがいます。
彼らは農業に心を燃やす者もいれば、アスレチックトレーナーを極めようという者、海外の大学院でMBAを取得しようとする者がいました。
同志の中には、当時20代後半で会社を飛び出そうという本気で考える者もいました。
そして今、彼らは彼ら自身の手で道を切り拓いています。


彼らだけでなく、私には

4か月船に乗り続けるかわりに1・2か月まるごと休んで、長期旅行を謳歌し、いつかは留学や世界一周へと心を燃やす航海士の友人がいます。


私には、

日本の教育に興味をもったからと、母国アイルランドでの教師の仕事を3年間休職し、愛媛県のド田舎に飛び込んできた友人がいます。私が24歳で彼と出会ったとき、彼は35歳でした。


会社員生活がパワハラというまさかの形で終わりを告げ、悲しみに打ちひしがれているときに、頭に思い浮かんできたのはこのような彼らの存在でした。

「みんな何かに向かって頑張ってるのに、自分はどうも上手く行かないなぁ」

とずっと下を向いていました。

私は何に心を燃やすことができるだろう。

大真面目にそれを考えられるようになったとき、やはり私には観光や旅しかないと思ったのです。


旅という人生の指針

私は学部・大学院とずっと観光や旅を研究してきました。
そうするうちに、私にとって旅行は人生において欠かすことのできない存在になっていました。もう今やこれだけは何があっても譲れないのです。
いうなれば、ライフワークかもしれません。

旅が大学院の進学や就職の理由を作ってくれました。パワハラから元気になり始めた時も、真先に思ったのは「旅行に行きたい」でした。

自分の知らない土地に長く身を置いて、自分の知らない空気に触れてみたいとうずうずしていました。

そうして考えていくと、私は、日本の労務環境がもたらす旅行、特には長期旅行への障壁をどうしても受け入れられないのです。

「じゃあ、季節労働のバイトでザっと稼ぐなりして、バックパッカーでもなんでもすればいいじゃないか」

と思う人がいることでしょう。
そうなのです、そうすれば、私は長期旅行に行けるのです。
まだ25歳。たぶん1~2年、世界中を放浪しようとも、その後の日本での生活はきっとどうにかなるのです。
実際、1年間、世界を放浪していたという方とお話したこともあります。

しかし、なぜその選択ではなく、「さぬき広島」という離島に移住したのか。

それが2つ目の理由にあります。


私は旅とどう向き合いたいのだろう

私は大学院生の頃、観光や旅の研究をしながら、

「自分はいつまでオブザーバーでいるのだろう。プレイヤーとして生きてみてもいいのではないか?」

と自問自答を繰り返していました。

私の研究は広島の原爆体験を語るガイドさんを対象としたもの。
私自身は、誰かを案内したりしない。
ガイドさんと観光客の会話をひたすらに記録し、それを解釈することを繰り返していました。

またその時、自身の研究の立ち位置として、当事者ではなく、第三者として研究対象に接することを心がけていました。

オブザーバーだからこそ分かったこともある。オブザーバーだけが味わえる感動もある。それは間違いない。

それでも、やはりプレイヤーとしての感動も味わってみたいという念は消えませんでした。


私としては、私の研究は、旅をひたすらに消費する行為だったと思っています。
だからこそ、ガイドさんたちは旅を生産する人々に見えました。

その過去を見つめ直したとき、

「誰よりも旅を消費させていただいた私だからこそ、次は自分が旅を生産してもよいのではないか」

と思い始める自分に気が付きました。


また私はこれまでの旅を思い返すと

・トルコで言葉も通じないのに、一日中、街を案内してくれたおじいちゃん・おばあちゃん

・那覇で出会い、札幌に住んでいた私に会いに来てくれて、あげく福岡を旅行しようものなら、鹿児島から駆けつけて博多で食事に連れていってくれたお兄さん

・クロアチアで4日も一緒に酒を飲んで、紛争体験をじっくり話してくれたおじさん

・泡盛を何杯もおごってくれて、あげく肩を担いで宿まで送ってくれた沖縄の人たち


私は、挙げだすとキリがないくらい、私は旅を通して様々な人と出会ってきました。
彼らは私が旅に魅了される要因となりました。つまり、彼らは私の旅を生産してくれていたのです。


ただ一方で、

「本当に旅を生産するなんてできるのかな?実家は大阪の住宅街だし。特に肩入れしてる地域もないし」

とすぐに自分を否定していました。

そんなどうしようもない毎日の中で、
「島で市の臨時職員として働いてみないか」
と連絡をくれたのが、「さぬき広島」の島民の方でした。
島は、私が会社から失踪する前日まで遊びに来ていた、祖父の故郷の島でした。


その連絡を受けて私は

「もしかすると、あの島なら、自分が旅をしながら、旅を生産できるかもしれない」

と思ったのです。


旅を消費するだけでなく、旅を生産したい

チャレンジしてみたいことは沢山あっても、それがすべて失敗する可能性だってある。
不安でどうしようもなく塞ぎ込む時間も毎日必ずある。
パワハラのトラウマだって消えたわけじゃない。
市の臨時職員として勤める間は長期旅行なんて夢のまた夢という現実があって。


今、私の心は、不安と心配によって余すところなく100パーセント埋め尽くされています。
でも、どこかで「なんとかなるんじゃないか」と思っている自分が100パーセントを超えたところに居ます。

だからこそ、なんとか島で事業を起こして、旅人に

「よかったら、うちでコーヒーでも飲んでいきませんか?」

なんて言えたなら。また、

「僕、次はここに行くんです」

なんて言えたなら。

私の移住生活は上手くいったと言えると思います。

そのような生き方を通して、

旅を消費するだけでなく、旅を生産したい

これが移住を決めた2つ目の理由です。

そうすれば人生丸ごと旅に自分を捧げることができる。
いつも旅の終わりに感じていた、底知れない消失感を悲しむ必要もなくなる。なぜなら、この目標が達成されるとき、私自身の旅の終わりは、誰かの旅の生産に携わる合図となるからです。

そして今、私は

私の訪れた先にいる「あなた」との出会いを、一人の旅人として心待ちにしています。

さぬき広島に来てくれる「あなた」との出会いを、一人の旅人として、心待ちにしています。


――

~記事を振り返って~

恩師の一人が昔こんな風に声を掛けてくれました。

「実現不可能に思えても、死ぬほど恥ずかしくても、ホラは思い切り吹いたほうがいい。なぜなら、どれだけその音色が汚いものでも、その音色になぜか心打たれたって人がいつか必ず現れるから」


今の私は、ロマンティシズムに狂っているかもしれないし、ネバーランドを諦めきれない現実逃避野郎かもしれません。

ただ、残念ながら諦めの悪い私は、もう少しだけそのような自分ととことん向き合ってやろうと思っています。
それを行うことはきっと精神的にも肉体的にも辛くて、収入やライフステージへの不安という現実的な問題にも直面することでしょう。

それでもなお、私が「なんとかなるんじゃないか」と思えているのは、さぬき広島で出会った景色や島民の方のおかげかもしれません。

まだ島に来て半月しか経っていないとはいえ

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空が焼けるように綺麗だから、「朝焼け」「夕焼け」って言うんだなと思える景色に出会いました。
島の北側に住む私はじんわりと焼ける「朝焼け」「夕焼け」を見ています。きっと島の東には真っ赤に燃える「朝焼け」があり、島の西には茜色に染めあげられた見事な「夕焼け」があるのだと思います。


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また、何かと急ぎ気味の私に、

「ゆっくりボツボツいかな、人生損やで。急いでたら、あっという間に一日が終わってしまうわ」

と声をかけてくれたおばあちゃんとの出会いも忘れることはできません。

(写真はおばあちゃんが育てたお花とお地蔵様)


このような経験が「さぬき広島」に存在するという事実は、私が旅人であり続けたいという気持ちをより一層大きくしてくれるものでもあります。
きっとこれからの移住生活でも、同じような経験を沢山重ねていくのだと思います。

それゆえ、もし皆様が「あいつ、また大ボラ吹いてやがるな」と感じたときには、どうぞ優しく見守っていただければ幸いです。


なぜなら、ホラの音が聞こえるということは、私がまだボツボツとでも島で歩を進めているということだからです。

※もう少し私のことを知ってもいいよという方は、以下の記事もぜひご一読ください。

この記事をより深く理解していただける要素がたくさん詰まっています。(タイトルをクリックすると、その記事にアクセスできます)

・「逃げてもいい」では逃げられない ~仕事や学校から逃げたい人へ~
⇒自身のパワハラ体験を基にした私の願いです。

・図書館で感じた絶望と奇跡の一冊
⇒note編集部お気に入りマガジンに登録いただきました。

・「英語が話せるのにもったいない」と仰る方へ 〜「職業≠夢」fromトルコの教え〜
⇒島移住に当たり一番周りに言われたこと

・謙虚さを悪用する
⇒自分への戒めも込めて

・ペンが好きすぎて、文具メーカーの採用にエントリーすらできなかった話⇒好きを仕事には私には無理でした。

・「ねじれの位置」を目指して ~分かり合えなくても、分かち合うことはできる~
⇒自身が発達障害と診断されて思ったこと

・理由は後からついてくる 〜ママさん読者と「私が文章を書く理由」〜
⇒文章を書くことはマスタべーションなのか

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