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地方を転々として農業とかしてみた2020年度のお話

こんにちは、カナダでワーホリ中のHotaru(@Hotaru_piano)です✨

noteを書いていたら、「世界って優しいなあ」って思うことがたくさん増えてきました。

そろそろ自己紹介固定記事を書いたりここから仕事を作って行こうと思うけれども後回し中です。。(忘れないように書いておく)

さて今日は、昨年度の行動について書いていきます。

1.ざっとまとめ

半年間の出来事を一気に書いたら8,000文字になったのでスクロール面倒な人はここだけ読んでくださいね。

※※※注意※※※
「移動」をたくさんしている記事です!!もし不快に思われた方はそっと画面を閉じてください!!!

最近の日本の様子を見るとなんとも言えませんが……

昨年度は3月退職→緊急事態宣言(毎日家事して規則正しい生活)→6月北海道(農業)→7月長野(農業)→8月新潟(宿泊業)→再び北海道(農業)→11月軽トラに憧れて合宿免許(笑)→12月実家の都合で再び家事に専念→1月カナダへ。という生活をしていました。

カナダの話はマガジンご参照ください。

なんというかタイミングよく行動ができた、大満足な1年だったのです。。

世の中の流れに乗った「コロナを機に脱都会」ではないんですよね~元々考えていたことのタイミングが偶々重なってしまっただけなんですよね~~~~。

当初から、2020年3月にリクルートを退職後、カナダへのワーホリ前に2ヶ月ほど地方プチ移住をしようとしていました。

ネガティブな気持ちで日本から出たいと思って海外行きを決めたけれども、私は日本の何を知っているんだ?都心部以外の生活は知らないぞ?ということで。笑

数ヶ月の地方生活の予定が出国が延期になり、結果として日本で半年間強うろうろしていました。

地方プチ移住をしようとしたのは、文字通り「休憩」と「リセット」のためです。

学生時代のゼミで地方移住などについて少し勉強していた私。
いつかはそういう生活を体験してみたいな~と思いながらも東京で働く日々。
会社員時代に有給休暇を使ってそういうことをすればよかったのに、ストレスで浪費しすぎてお金の使い方も有給休暇の使い方もヘタクソだった日々(苦笑)

正直めちゃくちゃホワイト企業で人に恵まれ続けていたはずなのですが…

確かに充実はしていたけれども一方でどこかでボタンをかけ間違えた感覚はあって、このままいくととんでもないしわくちゃな洋服の着こなしになると思い、一度ボタンをほどいてみることにしたのでした。

あと、大学院の論文を提出して燃え尽きたのと、前回赤裸々掲出した元彼さんと別れたから環境変えようっていうのも大きかったww

結論:東京の近くでずっと育ってきた私には、ちょっとだけ地方に身を寄せる経験はめちゃくちゃよかった。思い切ったサバティカル、大事!!

収入は会社員時代の半分以下だったけれども食べ物は基本畑から手に入るし家賃もかからず独り身の私は何も困ることなく生活できました。(ちょっと業務委託の仕事もさせていただいていました)

去年ダントツで高かった支払いは住民税でした!!!10万円の給付金で支払いましたよ!!!!w

ちなみに個人事業主としてメンタル関係のコーチングもしていたのですが、この悩み、地方行けば解決じゃん?!みたいになってしまいました(苦笑)

2.北海道の経験:自分探しの期間であると認めたからこそあった出会い

全ての働き口はボラバイトを使い見つけました。

もちろんワーホリのために資金も必要でしたが、人との交流に重きを置きたいと思ったので、大型ホテルなどで働くようなリゾートバイト系のサイトは使いませんでした。

※ボラバイトについての解説や裏技っぽいものは話が横道にそれるのでまたいつか。

まず選んだのは北海道。

私の名前を見てわかる通り、私は北海道にゆかりがあります。私以外の親族がほぼ全員北海道出身ということもあり、1年だけ住んでいたし身近な存在だったので北海道に行くことを選びました。(私は千葉出身)

主にお米を作っている農家さんに行きました。女性陣はその他直売所や道の駅に出すための野菜の収穫、袋詰め等も行います。ここで書ききれないほどの野菜の収穫をしました。

トウキビからさつまいもから夏野菜、かぼちゃ、いちご、じゃがいも、大根、栗、ぶどう、なんでも!!甘南蛮という野菜を初めて知ったしオクラがああやってなるなんて初めて知ったよ!ニンニク植えたの初めてだったよ!それからビニールハウス組み立てや解体などなど。

あとふるさと納税の配送対応とか地味な作業もしました(笑)

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せいぜい中学校の頃の林間学校で体験したくらいの記憶しかなく、実質初めての農業体験だったので、何もかもが新鮮でした。

家庭菜園とかしている人や地方育ちの人にとっては至極当たり前なことを書いているんだろうなー。

土に触れると心が落ち着くって本当だな、と思いました。

虫にも強くなったし、家の中に蜘蛛くんたちがたくさん垂れ下がっていても砂糖こぼして蟻くんたちが群がってきても戦えるようになりました。

寒くなってくるとネズミくんたちがかたかたと天井を走り回るようになり(外が寒いから家の中に入ってくる。しかも子供産み出す)、うっかりご対面もしてしまいましたが殺鼠剤にも詳しくなりましたし、私、ものすごく強くなりました。(関東のホームセンターにG対策コーナーがあるように鼠対策コーナーがちゃーんと設けられている)

こういう本でも言われていますが30歳手前で「環境を変える」の威力にびっくりしました。

①当然、楽しいだけではない農業

農業の感想として・・・。

なんか、もうこれはここで一言で書けないですね。
しかも私は数ヶ月しかいなかったわけですし。
特に「営農」となると…本当に。

今でもうまく言葉にはできないですね。

せっかくのnoteなので読者のみなさまのためにも何かを書こう・・・と思うのですが難しいですね・・・。

でも、多くの人が短期間でも農業に関心を持つことが大切で、そういうソフト面の仕組みを作ることが必要なのかもしれない、と考えさせられました。

「農業」という仕組み、家庭菜園について、農家になるということ、経営をするということ。

たった数ヶ月だったけれども、そういうことについて教えてくれて私の素直な意見に耳を傾けてくれる従業員の方がいました。

その人がいたおかげで、周囲の農家さんやレストランの経営者などとも知り合ったり北海道での生活がより充実したのは間違いないです。

その人には、ボラバイトで来る人には「農業ってやっぱ大変だな!」というマイナスな印象だけ持って帰ってほしくないけれども現実は大変なことだらけと言われました。

1つその通りだと思ったことは、「植物は素直だ」ということ。
自分がさぼればすぐにその結果枯れるし、自分がちょっとかわいがればきちんと育つ。そういうのがおもしろいんだと。

それから、自然災害。

こればっかりはもう、自分達の力ではどうしようもない。
だから、「諦めること」ができる。

そう言われました。

彼は幼い頃から農業に触れ、でも好きではなかったから他の仕事についたけれども長年やってきたことが農業だったからこの世界に戻ってきた。

天職というか、長年やってきたことだから使命として農業をしていました。

正直、私は農家にどっぷりつかることはできないな~と思いました。

でも、自分のできること。例えばちょっと夏野菜を育てるとか、壊れた機材とか家のちょっとした修繕は自分で行うとか、そういうことを何の苦労もなく行う周囲を見て、自分の力でできるようになりたいな、と思いました。
(ちなみに畑を借りて少しだけ栽培もしてみました)

②北海道満喫してみた


札幌の近くにいたのですが(都会に行ける距離というのがポイントだった)、赤星のラーメンを食べるためだけに札幌に行ったりウポポイや道央&道東も満喫してきましたよーーーなんかいっぱい食べた!!

(最近の状況を知っているので書くのが難しいのですがタイミングが良くコロナの影響はさほどありませんでした)

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(・・・これは正しい顔はめパネルのポーズなのだろうか???)

あと、週1回は温泉→夜ご飯→ビール飲みながら満天の星空を眺める、みたいな日々を過ごしていました。
びっくりドンキーとミスドに何回通ったかわからない。高校生か(笑)

でもふわふわ期の私にとってはそういう、飾らない日々がとても助かっていました。

③自分のキャリアを明かさず「自分探し中です」と公言してみた

ボラバイトに参加する人は、大学生(しかもなぜか高学歴が多め)かアラサー自分探し系女子が比較的多いですw周りの人達も私のこれまでの経歴なんて何も聞いてきません。

ということで、「今年は自分探しをしてるんですよね~」と公言してみたら、「そこまで言い切れるっていいね」と逆にたくさんかわいがってもらいました。笑。

東京の大企業で働いていても、そんなの井の中の蛙でしかなかったし、どんな仕事していたかなんて伝わらないんですよね。

だから徹底的に「聞き役」に回って、価値観の吸収をしていました。

それから、事務所に置いてある農業系の雑誌とかもかなり読みました。
住む場所とパートナーを決めて規模を決めてビジネスを始めていく。
そういう当たり前の生き方を、ふわふわアラサー女子は熟読しておりました。(主にパートナーとの関係について考えていたわけだがw)

ちなみに本当にへらへらふわふわコミュニケーションとっていたら最終的には周りから24歳くらいだと思われていたことが判明してさすがにそれは反省しました。もう少し大人目指そう、うん。

④周囲の人達

北海道の人は北海道から出たことがない人が大半だし、とにかく目の前にあることがすべてで、それをこつこつやっていて。

そこにちょっともやっとすることもめちゃくちゃありました。

もっとこうすればいいのに!と思うことも沢山あったし、田舎だな~ずっといられないな~と謎の上下関係を無意識に持つ自分にも気づいてしまったり、売店で働く同年代の既婚女性たちの話を聞くと、「ああ、東京とちょっと違うな」って思うこともあったり。

でも、そういう価値観もあるんだと認めることの大切さも学びました。(そのせいで益々自分がわからなくなることもあったけれども)

それから、毎年数ヶ月手伝いに来るような多拠点生活者(定年退職した人)も何人かいて、豊かな老後だ…とも感じました。

じゃがいもとか玉ねぎの選別中や休憩時間中、流行りのJ-Popをかけながら(2020年の流行にめちゃくちゃついていけたのはこのおかげ!)年上のおねーさまおにーさま達のキャリアを聞いてみると、「なんでもありなのね」と思うような経歴が出るわ出るわ。

結婚エピソード、離婚エピソード、子育てエピソード、バブル期のエピソードも含めてなんかもう・・・なんでもありだわ。と正直思いましたw

それと同時に、この人達は今、自分の範疇でいろいろ経験をして、今はこの場所で働いて。ふわふわサバティカル中だった私には、そうやって、地に足をつけていることへの羨ましさもたくさんありました。

まぁとりあえずみなさんそろいもそろって大型車の運転ができてかっこよかったので、当時免許すら持っていなかった私は速攻でMT車免許取得に向けて申し込みをするのでした!!

北海道での経験は、いいことも違和感を感じることもたくさんあって学びの場となりました。何よりもあたたかい従業員やボラバイトのみなさまに囲まれて「北の国から」を体感させていただきました。(?)

北海道、すきです!

ほい!ここまでで4,400文字越え!まだまだ続きます。

3.長野の経験:好奇心のある女性への憧れと仕事への情熱

7月はレタス収穫に行ってきました。
ぶっちゃけ、外国人労働者が多いエリアです。コロナだから少なかったけれども。

ボラバイトで知り合った人たちに「レタスやったならこの先なんでもやっていけるわ」と言われました。

それくらい巷ではハードと言われるレタス農家です。外国人に頼らざるを得ないみたいなんですよね。

理由としては、

・とにかく朝が早い

→社員さんたちは朝2時から働きます。に・じ?!!終業は17:00です。我々は6:00から働いていたのでまだ良心的でした。

・時間にめっちゃシビア

→スーパーで見かける「朝採り野菜」ってあるじゃないですか。あれですよ。あれに間に合わせないといけないから納入時間が決まっているんです。

そこに間に合わせて働くため、もたもたしていたら怒号なんて割と当たり前に降りかかってきます。そうでもしないと間に合わないんですよ。メンタル弱かったら脱走すると思う。

ちなみに午後はひたすら雑草取る仕事しています。地味だけど大切。腰と指関節が常に痛かったです。

・天候に左右される

→収穫時期が梅雨と被るんですよね。なので、出来が天候にものすごく左右されて、価格設定等は業者との闘いになります。

また、畑がぐっちゃぐちゃなので防水ズボン4枚重ね、靴は2重履きです。

4枚重ね?!!!!!

もーう汗だくですよ臭い気にしたらダメ。トイレめっちゃ大変。(ちなみに畑にはトイレないからそれも大変w)

・力仕事

→広い畑を転々と収穫しにいくのですが、ケースを運ぶのに男女は関係ありません。とにかく力仕事です。

あと、ケースを太ももと腰にひっかけて(?)運ぶので慣れないうちは下半身が虐待うけたようにあざだらけになります。脚を出すファッションがすきな人は絶対やめといたほうがいいです。

当然ですがこれで食べていっているわけですからね。仕事へのプライドがすごいです。個人的には、体育会系の環境に身を置いたことがなかったため、こういう経験ができたのは学びになりました。

同じ女性としての憧れ

一緒に働いた同年代の女性の方がいたのはとても救いでした。

高学歴で、大企業で働いていたのにすぱっと辞めて地方で3年過ごしてここにいたる、みたいな方でした。

何が勉強になったかというと「好奇心」に対してですね。

例えば食べ物1つとっても、「ちょっとこうやって混ぜてみよう!」とか「ぬか漬けにこれ入れてみよう!」とか、当たり前なのかもしれないけれどもなんでもポジティブに挑戦してみようとする。

私は結構慎重派だと自負しているので、こうやってなんでも関心を持って、「面白そう!」を誰かと共有できる人って素敵だなぁ、と、とても勉強になりました。(勉強になるだけで実践できるかは未知)

こういう人と一緒にいるとめっちゃ楽しいし、こっちもポジティブになれるし新しい発見がありますね!!

そんなレタス農家での体験でした。あと、村に住んでいたら当然なんだろうけれども訃報も求人募集もなんでもかんでも村内放送を流すのはびっくりしました。

とりあえず村全体レタスだから、スーパーには謎の食品「レタス焼酎」とかも売ってます(笑)

ちなみにこういう田舎に来ると、中学生とかを見て「この子達はどんなことを考えているのかなー」ってすごく気になりました。

そろそろレタスの収穫の時期がまた始まるはずです。ああ、毎日毎日朝2時からあの収穫をしているのか、と思うと頭が上がりませんね。

4.新潟の経験:がんばることと肩の力をおろすバランスと哲学

その後向かった先は新潟県「かたくりの宿」です。

北海道だけではなく新潟も自分のルーツになっているらしく、なんだか親近感があるんですよね。

※長旅の途中で寄った東山魁夷美術館がとてもよかったです!!!!

コロナの影響もあって残念ながらお客さんが少なくて、午後は自由時間を取らせていただいていました。

ずーっとビックバンセオリー観て爆笑していたw

廃校をリノベした場所で、私は体育館の倉庫で寝泊まりしておりました。

やった仕事は客室や風呂場などの清掃業務です。
幸か不幸か時間があったということもあり、昼と夜は従業員の方と本当にたくさんお話をしました。

具体的に何の話をしたかと言われると難しいのですが・・・うーん、何だったっけな?笑。

最終的にいつも行きつくのは「自分がこれでいいと思った生き方を選んでいけばいい」みたいなところだったんですけれどもね。

都会も田舎もすきだし、ばりばりの(?)オーガニック女子や自然に溶け込む達観した自分にはなれないし、特化した何者にはなれない中途半端な自分への葛藤があったみたいな話とかもしました。

私はそういうお話をするのがとても好きです。恐らく私の親族のルーツにお寺さんがあり、小さいころに「生きるとは」ということを説かれてきた記憶が強烈だったからなんでしょうね。

ここでは家族の話もたくさんした記憶があります。家族からの影響ってものすごく受けているな、と思うこともあったし、それをフックにパートナーシップについての話もしたような記憶もあります。

自分が主語として書いており全然伝わらない内容になっている自覚はあるのですが、「大企業を退職したこと」と「モラトリアム期間中であること」と「これから身を置きたい場所」について少しずつ受容ができたような気がしました。

昔、1つのことをがんばってきた経験があるからこそ、それだけではない。「緩める」ことの大切さとか、そのバランスを取ることとか、最終的にはまぁなるようになるさ!!に尽きることとか。そうやって夢を語ったほうが楽しいよね、みたいな。そんな話をしていましたね。

一方で、なんとなく道は見えているけれども、私のこのサバティカルは海外に行かないと終わらないし、海外に行かないと色々と次には何も進めないと、改めて実感することにも繋がりました。

あとはマムシ食べたり、サルが罠にひっかかったのを見たり、なんていうんですかね、人間と自然の生態系の関係とか、いろいろと考えさせられました・・・。

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それからお休みの日に大地の芸術祭(越後妻有アートトリエンナーレ)のアート作品も見に行ってきましたよ!

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帰りは越後湯沢のぽんしゅ館で一人で日本酒たくさん飲んだくれてきましたー!加茂錦おいしかったで。

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宿泊客としてではなく、内部に入り込ませていただいたからこそ濃い経験ができたと思っています。

ここまで伝わらない文章力に驚愕していますが、もし今後訪れてみたい!という人がいたらぜひぜひお繋ぎいたします!(勝手に)

5.おまけ:合宿免許

はい!そろそろ力尽きそうです!!!

これらの体験後、すぐに実家に帰っていたら放心して寂しさに打ちひしがれていたと思うので(笑)、その後合宿免許に参加したのはよかったです。

合宿免許と言えども、写真とかでよく見る「大学生がわいわいしている」様子は全然ありませんでした。

コロナの影響もあるせいか、単独参加者が多くてそんなに騒がしくなくみなさん黙々と免許取得に向けて励んでいました。

当然ながら高校生も参加していて、「あーー・・・免許早くとればよかった」って心から思いましたww

ギアチェンジをがこがこさせながら、教官に「なんでこの仕事してるんですかー」「いやーー毎日大変っすねー」みたいなキャリアぶっちゃけ話をしていたのも30歳だからできた技だと思っていますwていうかその時間が楽しかったww

運転席に座るようになって、運転手のありがたみをめちゃくちゃ実感するようになりました。北海道で常に助手席でへらへらしていた私・・・w

死角ってこんなにあるのね!と驚き、歩行や自転車に乗る時にしっかり注意しようと思うようになりました。

最終試験で最後の停止の直前で自転車のおじーちゃんがふらふら横切ったのはいい練習になりましたが本当に自転車の人、気を付けてね!!!!

当然ですが、運転席からしかわからない景色があり、これはやってみないとわからないことですね。安全第一です!!!(凪のお暇でもそんなエピソードがありましたね!)

そしていつか軽トラを運転することを目指します。やりたいことリスト100にも入っている。
(といいつつカナダに来てから運転をしていないのですっかり忘れています・・・)

6.2020年を振り返ってみて

繰り返しになりますが、

東京の近くでずっと育ってきた私には、会社を辞めてちょっとだけ地方に身を寄せる経験ができたことはめちゃくちゃよかったです。

難しいのは、同じ日本と言えどもやはり距離がありますのでこれからも頻繁に交流を続けることができない点ですね。

でも、細々でも出会った人たちの仕事を応援したいし、何か力になれればな、と思っています。

この行動をしたとき、会社員辞めてこの先どうするの?とかそういう不安は正直なくて、2020年度の私は、「今ここで動かなかったら一生くすぶって終わる気がする」と本気で思ったし、そっちの気持ちのほうが私を突き動かしました。

キャリアに関してはいろんな考えがあると思うのですが、自分の力で変えられる事であるのならば、やらなかった未練をずるずるひきずるのではなく、やってみればいいじゃん、と。本当に当たり前のことを感じて当たり前のように行動をした2020年度でした。

「頑張っている自分」に酔おうとせずに何もしないをする。そういうことがやっとできるようになったなぁ、と思えるようになりました。

所謂(?)地方移住者によるスタートアップとかには身を寄せず、地元にずっといる人たちに近づいたのもよかったのかな、と思っています。

たった数週間の出会いが濃厚になったり、人生の考え方を変えるというのは往々にしてあるんだな、と本当に実感する日々でした。

「広くどんどん出会いを増やす時期」「狭くても深い出会いを増やす時期」「1人で考える時期」「これまでの繋がりを振り返る時期」など、人生にはいろんな波があると思います。その波にえいや!とうまく乗ることが出来たのかな、とちょっとだけ自画自賛です(笑)。

今はコロナの影響もあり制約が多い世の中だとは思いますが、少しでもみなさまのこれからについて何かの助けになっていたら幸いです。

そして何よりも2020年度の数ヶ月の間に一期一会のご縁で出会った皆様、本当にありがとうございました。

See you later!


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