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幸せになるための自己投資を諦めないで。

幸せになりたいと悩んでいるのは、健康な証

幸せになりたいと考えているひとはみんな不幸だ。目の前にある幸せに気づけないから。

たしかに、そんな意見もあるだろう。

ただ、幸せになりたいと思っているということは、幸せになりたくなんてないと思っているよりもずっと健康なことだ。

なぜなら、幸せになりたくないという自己欺瞞に満ちていて、しかも自己肯定感も低いような状態だと、幸せになることにブレーキを踏んでいて、そっちに行ってはいけない、ある程度不幸でいなさいと自分に強いているということになる。

幸せにならなくていいという自己犠牲は、誰も幸せにしない

自己犠牲は美しく見えるかもしれないが、それは誰も幸せにはしない。「私よりもっと頑張っているあの子が幸せになってほしい…あの子ばかりかわいそうなことばかり起きるから、私は幸せになってはいけないの…」なんて思っているより、まず自分が幸せになってしまって「あの子」を幸せにすればいい。自分が幸せでない限り、誰も幸せにはできない。そもそも、「私より不幸な人がいる」ということは、「私が幸せになってはいけない」という理由にはならない。その理屈で言うと、世界には統一された唯一の基準で集計される幸せランキングがあって、その最下位にいるたったひとりのひとしか泣き言を言えないということになるからだ。

だから、「私なんて不幸でいいの」と言わずに、「幸せになりたい」と声高に叫んでいよう。

幸せになるのは誰もに開かれた権利

幸せになることは権利だと、あるイタリアの心理士さんが言っていた。

それは誰にでも与えられた権利であって、諦めなくていいんだと、そう言っていた。

不幸でいることに慣れていて、不幸でも別に構わないなんて言わないで。

あなたには、そして私にも、そして誰にも、幸せになる権利がある。

幸せになるための自己投資

私の場合、広い世界を見たいという気持ちが常にある。それは日本にとどまっていてもできることだし、海外に住むことで見えてくるものもあるだろう。少なくとも、誰もがそうだが、自分の部屋だけで人生は完結していない。自分だけで人生が完結しているわけでもない。もっとこの扉の向こうにある扉を開けて、綺麗なものも汚いものも全部見て、もっと広い世界を見たい。そんな思いがある私は、これまで8か国を旅行し、4か国に留学した。それは親の経済力や私の学力といったいろいろな理由があるが、一番は私が好奇心旺盛なひとだからだろう。

また、それと並行して、15の言語を勉強している。言語は新しい世界を開く扉だ。新しい世界で、綺麗なものにたくさん触れて、汚いものも目をそらさずに見て、そうして自分をより高いところに連れていきたい。私はそういったことが好きだし、語学学習のためのお金は惜しまない。

留学はすべてではないけれど

留学がすべてではないし、留学に行けなかったからといって人生終了だなんてもちろん思っていない。ただ、留学はあくまで幸せになるための、広い世界を見て自分と相手のことをよりよく理解するための投資だ。

留学したい理由のひとつは、方言に触れて、世界の片隅にあるあまり拾い上げられなかった側面を拾い上げることだ。実際、その土地の方言をひとつでも知っていることで開ける世界があることを、私は留学先で痛感している。

幸せになるためにある美味しいごはん

ごはんも、幸せになるための投資だ。

人類の歴史は戦争の歴史だが、美味しいものへの追求の歴史でもある。

どうやって美味しいものを世界中から取り入れるか、どうやって安全に楽しく食事するか、そういったことも大航海時代やルネサンスが起きたひとつの理由だと思っている。

美味しいご飯を食べると幸せになる

美味しいごはんは、いとも簡単にひとを幸せにしてくれる。

これも自分へのご褒美であり、自分への投資だ。

食事が単なる栄養補給の道具だけの役割だったら、それはとっくに経腸栄養のエンシュアにとってかわっているはずだ。その分、好きなことに時間を使える。経腸栄養しておいて、その時間に本を読んだり、遊びに行ったり、そういったことができるのであれば、そういった近未来の世界があってもいいはずだ。現在の医学の進歩でもそれは可能なはずだ。

ただ、食事はいつもこの世界から消えることはない。グローバル化が進んで、世界中の美味しい食べ物が気軽に手に入るようになった。カルディに行けば大概のものは手に入る。そういったお店が愛されるのも、そして美味しいご飯に価値を置くひとが多いのも、広い世界を見たい、世界各国にある美味しいものを食べたい、幸せになりたいという人類の飽くなき欲求の頂点にあるものだろう。

幸せになりたいなら、自分に投資しよう

語学学習、留学、美味しいご飯…

これらに共通するのは、未来に繋がるということだ。

語学ができれば、お友達になれるひとが増えるし、他人事にするひとの数も減る。例えば、ウクライナ語がすこしでもわかれば、ウクライナのひとの苦しみや喜びはもはや他人事ではなくなる。
 
留学して広い世界を知ると、改めて自分の手の小ささがわかる。こんな小さな手では誰も救えない。ただ、目の前にいるひとの涙を拭うためには、自分を抱きしめるためには、この手の大きさで十分だと改めて認識できる。そして、世界の何処かにいるひとの苦しみや喜びが、自分のものになる。学ぶことで、学ぶことの喜びを感じるだろう。その学びは、未来の自分と目の前の相手を救うためのひとつの大きな力になるからだ。

美味しいご飯は、からだとこころに染み入る栄養だ。明日を生きる活力になるし、多少のしんどいことは越えられると、強く信じられる力になる。栄養はこころを満たし、元気を与えてくれる。

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