キッチンの掃除と収納_小説家の「片づけ帖」#10
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■キッチン掃除と収納のマイルール
キッチンの生活感といったらない。
私は去年の11月に食事の仕組みを全面的に変えて、自分では数日に1回程度、寸胴鍋にたっぷりミネストローネを作ること以外に料理をしない。あるいは、簡単な夜食や、時間に余裕があるときに戯れに趣味で作る程度にとどめると決めた。
なので、毎食きっちりと自炊している方々から見たら、これでも管理はずいぶん楽に違いない。
キッチンにいくつか置いている棚は、視界の広さを保つために低いものを揃えてその上を作業場にしている。色を白に統一して、高さや幅を揃えて効率の良さとゆったりした導線を考えて置いている。色がてんでバラバラの野菜やら袋物やら調理器具やらは、なんでもかんでも目につかないように仕舞い込めるようにがんばった。
果実酒や、ドレッシング用に酢で漬けたニンニクとハーブのペーストや、万能粉せっけんは、それぞれ同じ大きさのガラス瓶に入れて並べているので、けして目にうるさくはないはずだ。
シンク下の収納スペースには、これも厳密にミリ単位で測ってラックをいくつか買い、数年前のゴールデンウィークにまる1日かけて、とにかくデッドスペースがないように、それでいてさっと取り出しやすいように神経質な目つきで組み立てて設置した。
その際、もちろん収納スペースは隅々までピカピカに磨き、その間外に出していたすべての調理器具や食器、調味料などは、戻す際にこれまた神経質な目でちくちくチェックして、シビアに量を整理して間隔をあけて整頓した。
食器や調理器具はできるだけ形や色に統一感を持たせて、もし乱雑に放り出しておいても散らかって見えないように気を付けた。
また、私は家の中にゴミ箱を置かないことにしているので、もちろんキッチンでも料理中など袋で一時的にゴミ受けをしたら、まとめてルーフバルコニーの隅に置いてある大きなゴミ箱に放り込む。
数日に1度料理をするといっても、パンデミックによる自粛期間のように時間をかけて何種類も作ったり、難しい新メニューに挑戦したりなどしていないので、後片づけはいたって簡単だ。使ったものをサブサブ洗った後は、コンロ周辺の壁に万能粉せっけんを溶かしたものをスプレーして、数回は水洗いできるタイプの丈夫なペーパータオルで拭きとる。
その流れでコンロを片手で持ち上げて、コンロの周辺やら下やらもざっと拭く。調理スペース付近の床も同じようにざっと拭いたら、最後にシンクに万能粉せっけんを小指の先ほど撒いて、シンク用のスポンジで洗う。
冷蔵庫とシンクの間には、11センチの幅にちょうどいいサイズの引き出し式の棚を、もちろんシンクの高さに揃えて使っている。食器用の洗剤はここに置いているので、普段は目に触れることがない。計算上は、かなりスッキリ暮らせているはず。
それなのに、だ。
キッチンの生活感といったらない。
■片づけの1000本ノック
気付けば、真っ白い作業台の上に袋に入った長ネギが転がってい、傍らに洋ナシが1つ、まるで話し相手でもあるかのように、もたっと立っている。
ガラス瓶に紛れて、微妙に残ったはちみつのボトルが出ているかと思えば、高価な生はちみつの小瓶が、その陰で大切に守られている。
我が家には食器乾燥機がないからだろう、水切りカゴには、大食漢の私がスープを食べるための大皿だとか、パンを乗せた金色の有田焼の菊型皿だとか、ちょっとだけ使った伊万里焼きの小皿だとかお鍋だとかがひしめき合っている。
書斎の場合はモノの形がたいてい似ているので目にうるさくないのだが、キッチンにあるものはとにかく形が不揃いで、それらが一か所に集合するのだからうるさい。パッケージを剝がさずに置いておこうものなら、あらゆる品々が自分の存在をアピールしてくる。
生活の名残は目にうるさいものだ。
私はこういった品々をちまちまと片づけながら、キッチンは生活という流れの中間地点であると思い知る。常に消失と出現を繰り返しながら形を変化させる場所であって、腑に落ちる完成形をとどめておくことがないのだ。
「諸行無常」を悟りたいところだけれど、私程度の者は「生きるって、マジで片づけの1000本ノックだよねぇ」と、しみじみとつぶやく。
■作家・幸田文と、宮部みゆきの小説「火車」
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