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三浦しをん著『舟を編む』 ことばの大海原の航海で、明かりを見つけるための舟

すでに映画、アニメ、ドラマになっている小説『舟を編む』、面白くてあっという間に読み終わってしまった。

ものがたりは、玄武書房が新たに刊行する辞書『大渡海』を担当する、辞書編集部の個性的な面々が繰り広げる、紆余曲折ものづくりと、それぞれの人生のおはなし。辞書はことばの海を渡るための舟、という意で『大渡海』と刊行前から辞書名は決まっている。編集者はその舟を編む者ということで、この小説のタイトルは『舟を編む』なのだった。

読者である私は昭和の人間なので、辞書や辞典、図鑑といった類のものに馴染があるし、好きだ。
ウィキペディアがない時代にも、イミダスという時事用語辞典があり、学生時代の論文作成時にはお世話になったことを思い出す。子どもの頃には、周りの大人に聞いてもちゃんと教えてくれないことも、いつだって辞書は私の質問に答えてくれた。ウェブ検索で事足りる今でさえ、新明解国語辞典とデイリーコンサイス英和辞典はお守りのように職場のデスクの引き出しに入っているし。
ことばの本意と、偏りのない正しい使い方への私の興味は尽きることがないのだけど、辞書の編集という確かにあるだろう、でも今まで考えてもみなかった題材をテーマにしたこの小説の存在を知り、ぜひ読んでみたいと思った。しかし、GW中はうっかりジョジョの奇妙な冒険を読み返して止まらなくなり小説を読むに至らなかったので、休み明けから通勤時間に読み始めた。

主人公として、ベテラン辞書編集者である荒木の後任に辞書編集部に引き抜かれた、髪はボサボサで事務用腕カバーをつけた変わり者、営業部にいた時は浮いた存在だった馬締(まじめ)を中心に物語は展開する。

読むにつけて特に前半は、通勤電車内でついクスクス笑ってしまう場面や、馬締の恋とラブレターの件など、顔がニマニマしてしまうかわいいシーンが続いて困るほど、登場人物それぞれの際立つ個性が印象付けられた。
全編を通じて感じたのは、辞書編纂に、仲間に、想い人に、自分自身に、そしてことばそのものに、真っすぐな敬意があるということ。だから、どこをどう読んでも誠実だし、情熱が無尽蔵でも違和感がない。時間が過ぎたとてそれは変わることなく描かれ、ある意味では理想の世界ということになるかもしれないが、そこに希望という明かりを見ることができたから、とても嬉しかった。読んでいる間中、ものがたりに安心して委ねて心を温めることができた。

ものがたりの登場人物、辞書『大渡海』の監修に人生の全てを捧げている学識の人物、松本先生の、馬締(まじめ)への質問のことばがこちら。
「好いたお嬢さんでもできたのですか。」
わりと冒頭に出てくるシーンで、他愛もなく、何なら笑う場面のやりとりだけれど、何度も読み返してしまった。
「好きな子でもできたんですか。」とは全く違うから。この重要な登場人物のキャラクターを決定づけられた一文で、私には印象的だった。

ことばは人と人や何かを繋ぐためにあるもの。私を私の顔貌に関係なく、遠いところまで連れて行ってくれるようなツール。たくさん集めて大事に美しく使いたいと思った。

ドラマ版の野田洋次郎氏の馬締役も雰囲気ぴったりなので、じきに観てみようと思う。



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