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ハード・ロックシーンを辿る旅 ver.2 / アメリカで発生したLAメタルムーブメントと、90年代への流れ / Motley Crue 、Guns n’ Roses

音楽シーンの二つの流れ

70年代ロックの隆盛から、ニューウェーブやパンクがその地位を脅かし、英国のメタルの波とニューウェーブの名残が80年代米国の音楽シーンを変えていく、、ことになっていきます。

今回は、その80年代の米国の音楽シーンのハードロック側からの見解をまとめます。

と、その前に、、、、
1980年、、、新たな時代の幕開けは、何らかの喪失を伴うもの。

明るくゴージャスだった80年代。レーガンのスターウォーズ計画(衛星軌道上に、地上の攻撃態勢とリンクして発動する、大陸間迎撃用の人工衛星を配置するというもの。)が発動されるなど、宇宙という面でも華々しい動きがありました。そんな時代、、、、。

その始まりは、少なからぬ喪失からでした。

ジョン・レノンの暗殺
レッド・ツェッペリンの解散

ロック史という意味では大きな喪失があったわけです。レッド・ツェッペリンは、酒の飲みすぎで超絶ドラマー、ジョン・ボーナムが亡くなったことが直接の影響。あのグルーヴ系の音楽には強力なドラムのリズムが重要でしたので、代役はいなかったのですね。。。

そして、この頃、70年代を駆け抜けていたキッスやエアロスミスも低空飛行中、、、ディープパープルはすでに無く。

80年代に向かう流れは、いくつかの分岐があって、どのジャンルを軸足にするかで動きが変わります。

1️⃣ニューウェーブの流れ
パンクや70年代のディスコブームからの派生で、ライトでメロウでややダークで、それでいて都会的なエッセンスのグループが70年代末から、80年代にかけて一気に登場しました。

U2

Joy Division

a-ha


この流れが、80年代の世界的にヒットしたポップアーチストへとつながっていきます 

デュラン・デュラン



カルチャークラブ


バングルズ


2️⃣ハードロック・ヘヴィメタルの流れ
1979年から80年の英国ロックムーブメント、New Wave of British Heavy Metalが、アメリカに飛び火します。

英国の魂、哀愁のメロディと楽曲構成の美学というメタルの音色が、アメリカにも、受け継がれていくことになります。

残念なことに英国では、ニューウェーブ系がヒットの常連となりました。前述のU2とかですね。この流れが90年代までのうちにUKロックとなり、オアシスやBLURの登場を経てブリットポップになっていくわけです。

米国では、メタルの魂が、受け継がれ、LAメタル、スラッシュメタルへと展開していきます。

では、アメリカに受け継がれた魂について語っていきます。

アメリカに受け継がれたメタル魂~LAメタル

英国のメタル魂が、アメリカの若者を刺激し、都市部、特に最先端の情報の集約地LAで大きな盛り上がりを見せることになりました。略して通称LAメタル。(これはどうやら現地では通用しない日本だけの呼称のようですね)

ただ、メタルと呼べような音楽性は初期に見られますが、後述のように、総体としてはハードロック化していきます。→大衆化。

■クワイエット・ライオット

このLAメタルブームに先駆けて、真っ先にヒットを飛ばしたバンドがいました。それがクワイエットライオットです。

70年代後半、伝説のギタリスト、ランディ・ローズによって結成されたクワイエットライオットというバンドは、古典的なハードロックを演奏していましたが、すでにランディは脱退。

バンドは休業状態でした。ランディはオジーオズボーンのバンドに合流し、 そのメロディアスな天才性を発揮して、新たな伝説を作り上げていました。

そんな彼はツアーの最中、1982年にヘリの事故でこの世を去りました。伝説もまたここで終焉を迎えたわけです。

翌1983年、クワイエットライオットの元のメンバーたちは彼の死に触発されたのか再結集。そして、この年に、「Metal Health」という歴史に残るアルバムを発表することになります。

ジェイソンか!!というジャケットですが音は、さほど激しくもなく。

ここに収められていたカバー曲「カモン・フィール・ザ・ノイズ」という楽曲がノリの良さ、ギターソロの流麗さなどが相まって、全米5位の大ヒット。アルバムもヒットチャートでなんと、全米1位となります。

ヘヴィメタルカテゴリのアルバムでは、これが歴史上で一番最初の全米ナンバーワンヒットでした‼️

他にも結構良い曲がありましたね、、。


何となく感じるのは、、日本人的な感覚かもしれませんが、前年に世を去ったランディがこのアルバムの成功を後押ししたような気もしなくもないんですよね。。。

クワイエット・ライオットのこのアルバムは時代の狭間に咲いたあだ花のようなもので、ひと夜の奇跡と言ってもいい位置付けでした。その後、彼等の活動は徐々にシュリンクしていきます。しかし、英国と米国を繋ぐ役割を果たしたという意味で、歴史的意義があったとも言えます。

LAメタルの隆盛

このクワイエット・ライオットのアルバムのヒットは1983年。その次の年が1984年。1984年という年をそのままアルバムタイトルにしたモンスターヒットアルバムがこの年に発売されますが、それは、このクワイエット・ライオットのヒットがあってこそのものだとも言えるんですよね。メタル的なロックが根付いていたというか。

このヴァン・ヘイレンの「1984」は、「ジャンプ」という大ヒット曲とともに、大きなロック史の分岐点に位置する結果となります。

で、話をLAに戻しますと。。。

クワイエットライオットのヒットによって、1980年代初頭から、LAのアンダーグラウンドに潜んでいた面々が徐々に、1983年を境にして地上に姿を現してきます。

彼らの音は、独自のサウンドで、ザクザクしたリフと、ポップとは真逆の攻撃性がありました。

この音色は以下を聞いていただくとわかりやすいかと
Motley Crue - Looks That Kill


WASP- Fxxk Like a Beast

Ratt- Round and Round

Dokken -Breaking the Chains


似た感じがありますよね。。特徴として、こういった似通った音がブームの根幹にある場合、突出した個性が無いと、多数に埋もれていくことになります。周りも似たような音を出しているので。

このLAメタルというムーブメントも同様で、このザクザクギターと、わかりやすい攻撃性は、なかなか突出した個性に変換するのが難しく、、、、。ともすれば単調な音になってしまいます。

結果、このムーブメントから抜け出して、突出する存在になったのは、モトリークルーだけといってもいいかもしれません。(ラット、ドッケン、WASP、グレイトホワイトも成功はしていますが、サブ的な存在かなと思います)

■モトリークルー

完全な悪ガキたちのバンドです。

ベーシストのニッキー・シックスの愛好していた英国の哀愁のメタルバンドや、70年代アメリカンハードのエッセンスに、サバスのトニー・アイオミに匹敵するリフメイカー、ミック・マーズが印象的なリフを刻み、派手なドラマー、トミー・リーが派手なアクションでベースを支え、そこにヴィンス・ニールのトンガったハイトーンボイスがのるという、メンバーも個性的なグループでした。

初期のモトリークルー

まあ、ケバケバしい格好で、メタリックな音をかき鳴らしてましたね。

こんな感じだったモトリークルーが、一歩も二歩も抜け出していったのは、、、つまり、ラット、ドッケン、WASPたちと違ったのは、、、以下のポイントですね

モトリークルーの限界突破

・わかりやすいバラードがあった
・わかりやすいポップな曲があった
・わかりやすいスピードナンバーがあった
・ブルーズチックなザ・アメリカンロックから抜け出して独自のハードさにたどり着いた

たとえば、
バラード:Home Sweet Home

ピアノを主体に哀愁をまぶしたこういった感じの楽曲をつくった米国のバンドは80年代初頭では珍しかったと思います。


ポップ- All in the Name of

あまりにも分かりやすいポップ

スピードナンバー

スピードナンバーのかっこ良さはただものではありません。

独自のハードさ

この曲もそうなんですが、独特の魅力というか、世界観があります。


こういった要素の結晶が、89年の傑作、「Dr.Feelgood」というアルバムですね。


その他のバンドは、、

RATT

ラットは、80年代チックなポップな音になっていこうとしてました。

が、スティーブン・パーシーのボーカルスタイルというか表現の幅が狭くポップに不向きだったのと、ギタリスト、ウォーレン・デ・マルティーニのプレイスタイルがブルーズにかなり寄っていたこともあり、彼らのポップ化は不十分な感じが否めませんでしたね。(ウォーレンのソロは、いわば退屈なブルーズでしたし。。。)

例えばこんな感じ。悪くないですが。今一歩かなと。


Dokken
ドッケンもそうですね。ジョージ・リンチの刻み込むようなギターは素晴らしいのですが、楽曲の幅が出なかった。現在も活動中ですけど、各アルバムの2‐3曲の代表曲ばかりがライブで演奏され、これら以外は、影が薄いですね


Great White
グレイトホワイトも、ポップよりもブルーズが好きだったせいか、レッド・ツェッペリン のカバーをしたりしていました。これがまた素晴らしかったのですけど・・

WASP

WASPは、「The Crimson Idol」というあまりにも素晴らしい傑作を90年代になってから生み出しますが、これがいわば、奇跡的なアルバムで、その後が続かなかった。

と言ったふうに、彼らは試行錯誤の果てに、音楽性が定まらないまま、90年代の音楽ムーブメントの変革を迎えていきました。


LAメタル・ムーブメントの早い終焉

このムーブメント、82年ごろから86年ごろで終焉していきます。というのは、こういったハードな側面よりも、世の中に求められていたのは、

平和を愛するWe Are the Worldだったり、

アフリカの恵まれない子供たちへの応援だったり(ライブエイド)、

わかりやすいダンスポップだったり(マイケルジャクソン、マドンナ、プリンス)


もっとわかりやすいハードロックだっりしたからですね(ヴァンヘイレン、ボンジョヴィ)

モトリークルーなど、この流れに乗れた一部のLAメタルバンドが残っていったとも言えます。

このような80年代音楽は、最終的に1987年に現れたバンドによって方向性を変えられていきます。

このバンドが、ガンズアンドローゼスですね。

ハードロック的には、70年代の原型だったガンズの軸、90年代初頭に重さに向かっていったメタリカの軸。この二つが噛み合わさり、彼らのフォロワーが時代を変えていくわけです。


90年代への道


時代は90年代へと突入していくことになりますが、90年代のシンプルでソリッドで怒りに満ちた音の原型となったものは70年代に既に存在していました。

決してゴージャスでもなく、ポップでもなく、わかりやすくもなく。グルーヴィーで、混とんとしていて、シンプルで、かつソリッドな音。。。

そう、その原型はきらびやかな80年代を迎えるころに解散を迎えたレッド・ツェッペリンです。

80年代LAメタルムーブメントのあとも、繰り返される歴史のようにアンダーグラウンドに新たな息吹が発生しつつありました。それが70年代ロックの原型を受け継いだバンドたち。

この時期は、ちょうど、ジャパンバッシングで車を燃やしたり、米国内では格差が次第に広がっていったりと社会に不穏なムードが出てきた時期でもあります。音楽もその雰囲気に合わせて、色合いを変えて行きます。

✳︎このアンダーグラウンドのシンプルかつ怒りのもう一方の発露がブラックミュージックだったわけですが。。

この地下の方に漂う香りを察知したのかどうなのか、ヴァンヘイレン、ボンジョヴィ、そして、わかりやすくなったモトリークルーとは別の音の響きをもつバンドが登場してきます。

彼等は70年代の音楽を愛し、70年代の原型を愛していました。それはブルーズの流れにあるレッド・ツェッペリンであり、エアロスミスといった面々でした。

そんな彼らが、あまりにもシンプルなアルバムを発表したのは1987年。

■ガンズ・アンド・ローゼス

そう、ガンズ・アンド・ローゼスがLAから登場します。↓でわかるようにLAメタルのどのバンドの音とも違います。

これは、前述のようにルーツの違いで、ディープパープルに始まる様式美の影響をうけたLAメタルやスラッシュメタルとは違って、ブルーズ直結の影響を受けていたからなんですね。

なので、このバンドの楽曲には、哀愁、湿り気のあるメロディは少ないですし、ギターもソロで目立つというよりは、バンドの中で輝くというか、そういう音でした。

ガンズについては90年代ハードロックの回に詳述します。

時代は変わりゆく


1980年代後半からは文字通り激動の時代。
チェコで民主化運動、ソ連のアフガニスタン撤退、バルト3国のエストニアがソ連に対して主権宣言、と、、徐々に冷戦終結、ソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊へと進む流れができていきます

そして時代には、何らかの特異点があり、大きな出来事はその近辺に集約されるようなタイミングがありますが、その運命の年1989年を迎えます。

日本では、昭和天皇が崩御し、昭和は64年で終了→平成へ。平成が30年続いたことを考えると昭和の60年というのがいかに長かったかがわかります。(即位の年齢ももちろんありますが)。

海外では、ベルリンの壁崩壊から、一気に民主化が進み、ソ連も解体となっていきます。

まさに、明治維新、独立戦争、革命に匹敵する時代のうねりが現実になろうとしていました。

時代は変わる。。

というわけで、今回のラストは時代の変革を歌ったモトリー・クルーのこの曲。

Motley Crue - Time for Change


今回もお読みいただきありがとうございました。次回は80年代半ばの状況、その次は90年代のハードロックシーンについて書こうと思っています。引き続きよろしくお願いいたします。

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