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聖堂とヴェネチアとモランディ・その3<旅行記シリーズ>

(前回はこちら)


5・ヴェネチア・ビエンナーレ(承前)



観光島ヴェネチアも歩きまわると、人間の暮らしの景色に出会えて安心する


「洗濯してる~ 暮らしてる人いる! よかった!」


 ヴェネチアから電車に乗って海を渡って次の駅、ホステルのある町に降りると、白人の町ではない。アフリカンな商店やアジアン食材店が並んでいて、路地ごとに言語の傾向がある。駅前の個人経営ミニスーパーでは中国語か飛び交っている。アウトレット衣料品も辛ラーメンもある。
 夜、真っ暗な路上で立ち話やスケートボードに興じる中南米ふうの男たちやインドっぽい人たちをこわごわ横切り、散歩を続けていると、タイヤの小さな自転車であたり一帯を巡回している男の存在に気がついた。道々で盛り上がってる小集団のすべてにハイタッチをし、そして走り去り、次の小集団にぶつかるまで自転車を漕ぐ。立ち話をして、笑いあって、そしてまたもや走り去る。ひとところにとどまらず、ぐるぐるめぐっている。


うどんといえば北海道!(?)

 アフリカ系の商店で、なにがなんやらわからない商品を眺める。見知らぬモンゴロイドがひとりふらっとやってきたのが不審なのか、怪訝な視線に追われいたたまれなくて店を出た。ここに暮らす人のいくらかは、日中はやっぱりヴェネチアに渡って働いているんだろうか。彼岸と此岸を行き来する「キャスト」たちに支えられた観光島は、やはりほとんどディズニーシーだ。



6・ヴェネチアそのほか

 うんざりする量と規模の展示まみれたのに、ビエンナーレ最終日の閉場時刻後、また別の展覧会にむかった。マルレーネ・デュマスの回顧展が行われていたのだ。大作家ではあるが、実物をみたことがなかった。宮殿の建築を美術館にしている場所で、展示室内はホワイトキューブにリフォームされているものの、吹き抜けを取り囲む回廊からのぞくデュマス作品なんか、その場所ならではの佇まいだ。



 官能的というよりももっと露骨で時にはグロテスクでさえあるモチーフは基本的にはキャンバスいっぱいに、素早くちゃちゃっと手を動かして描いたように見えるように描かれていて、そのモチーフや色使いには、さっきビエンナーレ会場でもみたミリアム・カーンの印象がオーバーラップするときもある。余白の形に気を張っている絵だったらエゴン・シーレなんかもよぎる。色の層がからんでいないからか、フランシス・ベーコンは連想しない。迫力はあるが、悪く言うと乱暴な感じもする。本人のことを、ものすごい乱暴者なのにモテるやつ、なのかな、と、勝手に思い込む。


これはミリアム・カーン


 ビエンナーレの閉場が18時で、デュマスの展示のクローズ時刻は19時だった。鑑賞時間に余裕がない。
 日本の美術館ならたとえば、閉場時刻30分前に入場受付が終わり、閉場時刻15分前に一度アナウンスがあって、10分前から「出ていけメロディ」が流れだし、閉場時刻を過ぎると、スタッフが近づいてきて、腰の低い物腰で客に話しかける。が、ここは外国なので、閉場時の追い出しのやり方が違う。

 展示室は2フロアにわたり、部屋は合計で20近くある。順路は一方向で、客は誰も、展示室1からみるし、展示室4の次には5にむかう。13をみてから6に戻ったり、17にジャンプすることはない。そしてすべての展示室にひとりずつ監視員がいる。
 閉館30分前に入場受付が締め切られると、当然だが、新しい客はやってこない。すると展示室1の監視スタッフはヒマになる。もうはやく帰りたい。制服を脱いで美術館を出て、そのへんの店でアペ*をやらなきゃ夜がはじまらない。
 段階的に閉場していくのだ。誰もいないし誰もこないし帰りたいから展示室1の監視スタッフが展示室1を閉める。するとスタッフ自身も、自分の当番の部屋から閉め出されることになる。一方向の順路に従うほかなくなる。展示室1のスタッフが担当の部屋を閉め、閉め出され、展示室2にやってくると、展示室2のスタッフも「その気」になる。で、展示室1のスタッフとともに展示室2を閉める。そのようにして、部屋は順々に閉められていき、閉められるたびにスタッフ軍団のパーティーは増えていく。来場者は「出ていけ」を直接言われるより前、もっといえばスタッフ軍団を目にするよりも前から、遠くから届く彼らの、すっかり終業気分のおしゃべりに押し出される。最後の時間を惜しみながらじっくり集中して眺める、なんてことはできない。


デュマスの水彩群


◆◆◆「アペ」とは


 僕の体感では、<フランスで食事の前に飲む酒を「アペリティフ」と呼ぶ>という知識のほうが日本じゃ人口に膾炙している気がするのだけど、イタリアでも同様に「アペリティーボ」と言って、ディナータイムの幕開け宣言としての一杯を、そう呼ぶ。しかし、この説明はおそらく、辞書的な意味の紹介でしかない。「夕方に軽くひっかける」のを「アペする」みたいな言い方でいうらしい。
 ただしヨーロッパの飲酒文化は日本のそれとは違って、仕事の日でもランチ休憩で飲む。「ちょっと一杯」程度はかなり軽い。だから「アペする」はほんとうは「わざわざ"飲みに行く"」ってことでもなくて、朝起きたらコーヒー飲む、みたいなことなんじゃなかろうか。飲むのはだいたいオランチェッロもしくはレモンチェッロという酒である。色もにおいも濃く、苦いくらいに甘いのか、甘いくらいに苦いのかわからない強い味、柑橘のリキュールを、リキュールの度数だっていうのに光ファイバーみたいなストローでちうちう飲む。ヴェネチアに限らない。ローマでもボローニャでもそうだったし、おそらくイタリア国内ならどこでもそうでしょう。夕方ごろになるとみんな外に出て、石敷きの道で椅子に座って、サングラスをしたまま、あるいは額にのっけた状態で、顔をしかめたり胸をなでおろしたり周囲をきょろきょろ見まわしたりしながら、ピカチュウ色もしくはライチュウ色の酒を飲む。あらゆるところで誰もかれもがそれをちうちう吸う。知らずに出くわせば本当にこわい光景だ。

ユースホステルがおおきすぎて、ユースホステルだっていうのにこんなバーがある


 日本だと、歩きながら缶ビールを飲んでる人ってまあそれなりにいる。昼休憩にビールを一杯飲むのが当たり前の国では、逆にそういう飲み方の人は見ない。酒を飲んでいる人の姿なら昼夜関係なく目にするけれど、みんな道の椅子で飲んでいる。
 日本だと、電車のなかで缶ビールを飲んでる人にも出くわす。これは台湾だとありえない。台北の地下鉄では電車での飲食が禁じられている。タイの地下鉄の改札には「ドリアン持ち込み禁止」の看板があったり、シンガポールなら「国内へのチューインガムの持ち込みは禁止」なんて法律もあるが、だからこれは飲酒文化の話というよりもルールの話だ。
 台湾で出会った香港の男の子は相当な飲んべえであるようだった。<日本では、町を歩きながらでも、電車のなかでも、飲んでる人の姿をみる>と伝えたらいたく興奮していた。酒飲みの天国じゃないか!日本行きたい! 素直に喜ぶ彼がうわずった声で「それは許されてるのか、いいのか」確認するが、もしかすると、「みんなそうしてる」というふうに伝わっている可能性があるから、「法的に禁じられていないだけで、みんながみんなそうではない」とできる限り言葉を尽くして説明し直す。”してもよい”が含んでいるグラデーションの幅はひろい。
 タイでも飲酒は制限されている。販売可能な時間帯が限定されている。1日のうち昼と夜の限られた時間でしか売ることが許されていない。具体的には、昼の11時から14時まで、そして夕方17時から深夜24時までしか販売できないのだが、破るとかなり高額の罰金か、半年以下の禁固か、もしくは、その両方が課される。つまり、厳しい。
 チェンマイで、そのことをついつい忘れて、まだ16時台だったのに料理と一緒にビールを頼んでしまった。店のおばちゃんは、おおきめのコーヒーカップを持ってきた。なかにはなみなみとビールが注がれていた。コップンカー(ありがとう)、伝えるとマイペンライ(大丈夫よ)、初歩の初歩のタイ語会話がきれいに決まる。
 遠くへお出かけするのと、お酒を飲むのとは相性がいい。

どこからどうみてもコーヒーである



 けんちゃんを残したままひとりヴェネチアを発ったのは朝だった。ボローニャにむかった。列車のボックス席の真向かいで寝ている人をじろじろ眺めてスケッチブックに描く。そうこうしているうちに無事にボローニャに到着し、いちにちうろついて日が暮れる。軽く食事してから駅にむかい、ローマへむかう特急を待ちながら、それなりのイタリア滞在にかぶれているから駅のスタンドでひとりでアぺをかました。それから電車に乗る。


駅のなかでこの景色である


 ローマ・テルミニ駅方面へ南下する特急列車、ボックス席の窓際に座った。隣に座るおじちゃんは、ボローニャからローマまでの小旅行にうきうきしているのか、未開封のビール缶を手元に持ってスタンバイしているのに飲まない。なぜなら通路をはさんでおじちゃんのはす向かいに、泥酔している気のいい兄ちゃんがいて、僕も話しかけられたが、とにかく見る顔見る顔すべての人に「お前はどこに行くんだ? テルミニか? テルミニにいくのか? おれはテルミニに行く。おれは、テルミニに行くんだ!」とアピールしている。スタジアムで客をあおるロックシンガーのような声の出し方で繰り返す。自分が「ローマ・テルミニ駅で降りる」という情報を撒き散らして、あとは満面の笑みで、残り少ないんだろう酒の缶に口をつけてへらへらする。たまにゲップする。
 迷惑というほどの迷惑はないけれど、存在感が強いので、みんな少し気にしている。その酔客を前にして、おじちゃんの手のひらのなか、ウキウキで持ち込んだろう缶ビールはぬるくなっていく。
 僕の降りるのもローマ・テルミニ駅だった。とうの駅に着くころ、酔っ払いの兄ちゃんはすっかり眠りこけている。あんなに全員に「おれはテルミニで降りるんだよ」と言っていた兄ちゃんだ。車内の誰もが、「いいのかな?」とちらちら彼を見る。僕も気にし、しつつ、国内どこででも買えるビールを常温で手持ちで運んでるだけになってしまっているおじちゃんの前を横切って電車の通路に出る。
 クエンティン・タランティーノの映画「キル・ビル」は、主人公が、かつて自分を裏切った殺し屋集団の同僚たちに復讐してまわる物語である。1作目の最初の殺人の相手は、いまはしれっと平和に家庭を築き、すっかりママをやっていた。(しかしその正体はおそろしい殺し屋なのだ!)復讐者たる主人公は予告なしに家に訪れる。意外な訪問者にたじろぐ元同僚、ふたりがヒリヒリ言いあっているところに、元同僚の娘が学校から帰ってきてしまう。
「ママたちは大事な話をしているの。部屋にいてちょうだい」
 元同僚が子供に頼むが、子供はそれでも話しかけてくる。その直後である。元同僚が子供に対し、<しつこいと怒るよ、本気だよ>を示すため、さっきより強い調子で「部屋に行ってろ」を鋭く伝えるシーンがある。このとき元同僚は、強い調子の声で言葉で頼むより先に、話し続ける子供の耳元に自らの手をもっていき、かなり大きな「指パッチン」をする。
 テルミニについたよ、降りるんじゃないの? と兄ちゃんに言ってやりたいが、なにをどう言えばいいかわからないし、とはいえめんどうごともいやだし、体に触れるのもおっかないし、けど心配でもある。こわごわ「Hey」とか声かけてもそんなんじゃ起きない。電車は速度を落とし、ホームへ滑る。泥酔兄ちゃんは起きない。どうしよう。なぜか、これは「キル・ビル」チャンスだと思い、彼の耳元に手を持って行って指パッチンをしたらちょっとの緊張で指が乾いていたのか、ペライチの紙が床に落ちたくらいの音しか出なくてめちゃくちゃ恥ずかしくて思わず電車を降りた。兄ちゃんは出てこず列車の扉は閉まり、次の駅へとむかう。

◆◆◆


 デュマス展の監視スタッフは、ひとりが持ち場を閉め、持ち場を閉めたら軍団に加わり、客たちを追い込みながらどんどん増えていく。鑑賞者たちはひと部屋ひと部屋と押し出され、押し出される鑑賞者だって人数を増やしていくから、僕らは最終的にひとむれのグループになった。最後の部屋を追い出され、ついに展覧会からシャットアウトされ、時計をみるとまだ19時じゃない。どうなってるんだ。さてはあいつら、19時に閉めるつもりなんてない。19時に、退勤をしたいんだ。 

 翌朝、別にまずくはないけど、みたいなアラビアータを食べて電車に乗って目指したのは、ジョルジョ・モランディという作家の町だった。

6・ボローニャ

ボローニャ
心なしかモランディっぽい色彩の町だと思った
そうかあれはボローニャの色なのか(そうなのか?)


 モランディはボローニャ生まれボローニャ育ちで、作家生活もずっとボローニャで行っていた。生前使用していたアトリエはふたつともまだ残っていて、観覧することは可能だが、ひとつは要予約、駅から車で一時間の距離にあり、もうひとつは季節によっては開いていない。どちらも運悪く行けなかった。けれどボローニャの美術館は「モランディ美術館」と名付けられているほどで、さまざまな作家のコレクションもあるけれど、モランディだけのフロアもある美術館だ。


 モランディの絵は小さい。あんなサイズの絵ばっかり描く人はなかなか珍しい。色の数は抑えられている。鮮やかさの幅も狭い。控え目な印象は禁欲的な厳しささえ印象づかせそうだが、絵を見ると冷たくない。
 代表的な画題は瓶や陶器で、ほかに花の絵や風景の絵もある。しっかり圧力をかけた筆を、一定の、決して早くない速度で、息長く動かしているようなタッチに、モチーフをじっくり観察する作家の視線のありかたを感じる。なんの変哲もないワイン瓶であっても、それを描いてやろうと時間をかけて眺める画家の視線が、目が、絵の具を通して、過ごした時間の質を偲ばせて、そして凄味と官能を帯びる。指先でモチーフの表面を撫でるように、丹念に見続けたんだ。(実際、モチーフの瓶にはペンキを塗ったり、ほこりがつもるまで屋根裏に放置したりしていた。)

筆跡


 風景画はとくに、形や色の響きあいが複雑でおもしろい。言葉でいうのも難しいが、たとえば、画面右下に円形のシルエットがあるとして、サイズの違う円が左上にもあって画面全体を挟んでいたり、あるいは、円と円が重なって、結果、全体のシルエットは円ではなくなっているものが配置されていたり、逆に、点線で描かれた円よろしく、目の中で円になるように同じ色が散らされていたり、みたいな、たとえばそういう構造が畳み込まれている。そのからくりを読むにつれ、特定のコード進行やテーマ、メロディやリフが楽器をまたぎながら全体に散っている楽曲を味わうように、絵がみせるリズムやドライブ感に自然に合流している。はじめは集中して目を使ってたはずだのに、いつしか耳をすませている。


たとえば下部、中央よりやや右、
垂直な木の幹として画面にのせられた茶色い絵の具の示す線は、
建物外壁の"折れ目"につながっていて、
この縦線が行き止まって右下へ折り返す。
結構大胆な角度だけど白くて目立つから無理なく視線が引っ張られる。
屋根のかたむきとなって視線はひっぱられ、
これに誘導された方向性を、右下の枝の角度が受け取ってくれる。

 さんざん述べてきたことを繰り返す。
 天井の高さが十メートル以上あるような宮殿や教会、床から天井まで絵と彫刻が埋めているばかりか、床も天井も装飾で埋まっている。幕張メッセ大のそんな建築があらゆるところにあるのがイタリアだった。ローマの歴史が古いのは結構なことだが、相対化するためにいったん、「<古代ギリシアや古代ローマの文化文明の正統な継承者であること>の重要さばかりが尊ばれるパラダイムをまだやってる地域」と一蹴しちゃいましょう。なるほどその規模感やお祭り感、集客力に認められる価値が現代的なアートの陰画になっているのはそうでしょう。ビエンナーレで確かめました。このような環境下で過ごしながらも、じっと見なければ地味にみえる小さな静物画で戦ったモランディが、どんなに「ただの絵描き」として信頼できる作家か。

 絵描きをやるなら当然、はやりすたり、ルサンチマン、憧れや不安、売り上げや人気の如何、孤独に嫉妬など、成功の程度によらず、いろんな邪魔が足元にまとわりつく。ついてまわるそういうノイズを排除はできない。いや、これは作家だけに言える話ではない。誰だっていろいろなイメージにまみれながら、たくさんの人との渡り合いのなかで生きていく。しょうがなく受け止めつつも、どこかで「はいはい」って思って、やれることしかできないのでそれをやり、やり続ける。それしかできないわけじゃないけど、ひとまず、それをしっかりやることしかはじめられない。

「生命力が強い生き物」とは、ほかの生き物を殺し、圧迫し、襲い、奪いつくす「強さ」を持った生き物のことではない。思い出して欲しい。不快を察知しすぐに逃げの手を打つやつしか生き残らなかった。思い出して欲しい。恐竜やマンモスが通れなかった扉は、体の小さな生き物にはくぐりぬけられた。生きることを諦める力の弱い生き物こそが強い生き物だった。それをちゃんと、やるんだ。
 聖堂の天井画に首のヘルニアを痛め、ビエンナーレで詰め込まれた現代アートをレモンチェッロで流し込み、胃腸も肌もぼろぼろになった目に、モランディはあまりにも「確か」だった。それがよかった。ありがとう。



◆◆◆おまけ◆◆◆
ヴェネチア・ビエンナーレの量と規模のうんざりを追体験するコーナー



(おおきな手があります)


(もともとの建物の中心を軸に、わずかに回転した同じ建物が重なっている状況)




ゲロゲロ~~~

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