ひろこばぁちゃん

🌷ひろこばぁちゃん🌷 日本で100番目の こんまり®︎流お片づけコンサルタント 山越え谷…

ひろこばぁちゃん

🌷ひろこばぁちゃん🌷 日本で100番目の こんまり®︎流お片づけコンサルタント 山越え谷越え神出鬼没 キャンピングカーからパワぴろ登場❗️ お片づけであなたの✨ときめき人生✨ のお手伝いに参ります💨(女性限定)

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こんまり流片づけインストラクターへの道

「こんまりメソッドビジネスコーチ」の 認定はいただいたものの、 「こんまり流片づけインストラクター」の 認定をいただかないとセミナーが開けない… ひろこはとても焦っていた。 一刻も早く、 自社で実体験をした こんまりメソッドビジネスを 多くの中小企業に伝えたい!と。 片づけインストラクター合格のために セミナーで使用するスライド作成や、 効果的にこのメソッドの良さを伝えるか 試行錯誤した。 人前でセミナーを開くときに 焦らず落ち着きながらも、 時間内におさめられるよう

    • こんまりメソッドビジネスコーチへの道④

      「こんまりメソッドビジネスコーチ」は “コーチ”と名称に付くだけあって 受講内容は相当濃いものであった。 私が受講した 「こんまりメソッドビジネススクール」は 略称で「KMBS」と呼ばれている。 そして光栄にも 「第1期生」19名のうちの一人として 学ぶことができた。 受講の心得も感動的であった。 ①楽しむこと ②能動的に関わること ③約束を守ること ④お互いを尊重すること ⑤行動に帰結すること これらの心得は我々コーチのマインドに 深く刻み込まれていることは 言う

      • こんまりメソッドビジネスコーチへの道③

        尾道市にゲリラ訪問中のひろこは、 宿でお座布団を高く積み上げ ノートパソコンの前に座した。 「さぁ!  どんな人達と出会えるのかな?  ビジネスメソッドってどんな  内容なのかな?」 ワクワク気分で こんまりメソッドビジネスコーチの 座学初日に臨んだ。 画面の向こうには 東京、大阪、愛媛、名古屋、福岡、 さらに国境を超えて ニューヨーク、ボイシー、カナダ etc… いろんな場所から様々な職業の方々が 参加されていた。 この講座で 一度にたくさんの方々との 素敵なご縁が

        • こんまりメソッドビジネスコーチへの道②

          今だから カミングアウトできることが…笑 2021年3月4日 音声メディアVoicyにて、 こんまりさんのご主人様である プロデューサーの川原卓巳さんと 川原さんのお母様である村上眞奈美さん の 【楽しく生きる親子の会話】を耳にした。 「いやぁ!  この親子関係いいなぁ〜  もともと川原卓巳さんの考え方  Be Yourself “自分らしく”という  人生の楽しみ方に共感していたのだが、  その製造元である  愉快で楽しいお母様にお会いしたい!」 “思い立ったら

        こんまり流片づけインストラクターへの道

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        • 大川浩子の人生の軌跡
          15本

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          こんまりメソッドビジネスコーチへの道

          弊社は三重県北勢地域で 半世紀以上続く運送会社。 そんな弊社の倉庫長は 頭が良くて、綺麗好き。 私が事務所でゴソゴソと お片づけをはじめた様子を見て 「社長!僕も倉庫の中を  リフトでお片づけしてみますわ!」 彼は荷物の積み下ろしや出荷やらで 忙しい合間を見計らっては、 私がこんまりで伝授いただいた 【カテゴリーごとのお片づけ】を リフトを使いながら一旦すべて出し、 「ときめくモノ」を選んで 「定位置」を決めて 戻してくれていたのだ。 鉄枠のラックには ラッシングベ

          こんまりメソッドビジネスコーチへの道

          こんまり流お片づけとビジネス

          ひろこはまるでネズミのように 会社内のあちこちに出没しては ゴソゴソ片づけをしはじめた。 一度モノを全部出しきってから 「ときめく」「ときめかない」の 作業に入るので、 「むしろ散らかしてるやん!!」 と、従業員さん達は 思ったに違いない(笑) 事務所のお片づけで歓声が上がったのは、 消耗品があるストックルームと文房具を 1つの引き出しに収納した時だった。 芳香剤、掃除洗剤、洗濯洗剤、手拭い等が 事務所のあちらこちらに散乱状態… そこで、 無印良品で中が見える引き

          こんまり流お片づけとビジネス

          こんまり®︎流お片づけと出会って

          課題のモニターレッスン2件と 座学を終え、 やっと試験への切符を手に入れた。 試験方式は「オンライン」 昭和生まれの私は驚きを感じつつ 「時代も変わったもんだ」 と、改めて思った。 引っかけ問題に戸惑いながらも スッと回答は出来なかったが、 時間内に終わらせることができた。 結果は…合格!! 久しぶりに「お受験」のようで、 とても新鮮だったことを 今でも覚えている。 そしてついに 「こんまり®︎流片づけコンサルタント」 として認定いただいたのだ。 ひろこ58歳、

          こんまり®︎流お片づけと出会って

          「こんまりお片づけ」を学ぶ

          ひろこは新幹線に乗り込み、 こんまり流片づけコンサルタントの 養成講座が行われる新宿のビルへ向かった。 会場に入ると 大勢のコンサルタント希望者が 全国から集まっていた。 2020年2月2日・3日、 2日間みっちりの座学であった。 その時、運命の出会いが! なんと講師が 自宅のお片づけ合宿でお世話になった 『高山貴代美さん』だったのだ! (前記事参照) 思わず「おかぁ!」と駆け寄った。 高山さんのおかげで 自宅のお片づけは卒業していたので、 講座内容はすでに実体験

          「こんまりお片づけ」を学ぶ

          遺品整理④〜こんまりとの出会い〜

          待ちに待ったお盆休み! 私はワクワクと この日が来るのを待っていた。 「こんまり流片づけ  エグゼクティブコンサルタント」の (こんまり流片づけコンサルタントの最高位) 愛称 「おかあ」こと 高山貴代美さんが最寄駅に降り立った。 彼女は観音様のような柔らかな微笑みと 優しい声で挨拶をして下さった。 「大川さん、はじめまして!  高山貴代美と申します。  5日間どうぞよろしくお願いします。」 「こちらこそ。  こんな田舎まで、  ようこそおいでくださいました。  お片

          遺品整理④〜こんまりとの出会い〜

          遺品整理③〜こんまりとの出会い〜

          主人、義母、義父を同年に見送り 会社を継いだ私は社長業1年生。 慣れないことばかりで ストレスを抱えながら過ごしていた。 遺品整理をしたものの 自分のモノで溢れかえる家を愚痴る私に、 英会話教室のCrisが紹介してくれた 近藤麻理恵さんの著書 『人生がときめく片づけの魔法』が 気になりながらも読めずにいた。 (前記事参照) 言い訳になってしまうが、 本当に時間が無かったのだ。 しかも、読書が苦手(汗) 「そうだ!運転している事が多いから  耳で聴く読書Audible

          遺品整理③〜こんまりとの出会い〜

          遺品整理②〜こんまりとの出会い〜

          遺品整理は 「部屋ごと」に片づけていた。 ・義父の部屋 ・義母の部屋 ・主人の部屋 それぞれに思い出があったのだが 思い起こしていると前に進まなかったので、 あえてダスキンさんを呼んで 進行を助けてもらった。 その遺品は 2tトラック2車分も出たのである。 が、しかし アルバルの整理に差し掛かると 触れなくなってしまった。 懐かしい思い出や 3人の顔を眺められずに、 時は5年ほど経ってしまった。 私は介護つづきたった 慌ただしい日々から解き放たれ、 自分の時間を

          遺品整理②〜こんまりとの出会い〜

          遺品整理

          主人、義母、義父の順に たった1年間で3人も看取り終え、 相変わらず忙しすぎる毎日。 ふと、 11LDKの大きなお屋敷を見渡した。 そこには3人の遺品がここかしこに まるで今も住んでいるかのように 残っていた。 「眺めていると辛いなぁ。  もう3人は居ないんだから、  遺品整理をしよう!」 重い腰を上げてゴソゴソと、 ひろこはひとり黙々と動き出した。 まずは3人の洋服。 オシャレが大好きだった主人のスーツは ランバンばかりだったので、 肩身分けとして欲しい方々にお

          介護〜義父との別れ〜

          明け方に夢をみた 亡くなった主人が 久しぶりに私の夢に出てきたのだ。 場所はクラブのカウンター 向かい側には知り合いのママさんが こちらを向いて微笑んでいた。 彼女は確か首都高速で 謎の交通事故死を遂げた方だった。 「ねぇ〜○○さん!(主人)  またそちらでも飲んでるの?  相変わらずお酒好きだね(笑)」 すると お気に入りのランバンスーツを着た主人が オンザロックのグラスを片手に 「乾杯!」と満面の笑みで振り返ったのだ。 …と、その時! 携帯が鳴った 嫌な

          介護〜義父との別れ〜

          介護〜義父④〜

          ふと思った。 義父と真剣に 対等に会話ができるようになったのは いつからだっただろう?…と。 義父は私の育児に あまり自分の意見を 押しつけない人だった。 「読み・書き・そろばん」 英語、習字、そろばん さらに武道の極真空手。 これが息子 小学生時代の学舎だった。 英語は私のアメリカ人の友人との交流で お互いの子供を預けあった。 息子は3年間で リアル英会話を耳で自然と 習得ができるようになっていた。 友人の息子さんであるセドリック君 (方言が使えるくらい日本

          介護〜義父④〜

          介護〜義父③〜

          一度だけ、義父と思いっきり 喧嘩をしたことを思い出した。 それは 息子の高校進学のことだった。 私はひとり息子を 主人のような温室育ちには させたくなかった。 敢えて私立ではなく 地元に根付いた地元の小中校に 通わせたのだ。 ゆくゆくは運送会社の後継ぎとして 「たくましく育てねば!」 という使命感に燃えていた。 一人っ子のため 兄弟喧嘩をする相手がいなかったので、 小学4年生から6年生まで 寸止めなしの極真空手の教室に入れた。 もちろん週末になると 自宅に呼んでよ

          介護〜義父③〜

          介護〜義父②〜

          今だから、言える。 実父が「産みの父」なら 義父は「育ての父」だと。 はじめは怖くて怖くて… ビクビクしながら義父に物申していた。 義父は「厳しくて意地悪な人」 だと思っていた。 月末締めを慌ててしている時に 「今月の全体の集計を出せ!」など いつも忙しい時に限って 無理難題ばかり言ってくる(怒) 私は毎回 心の中でブツブツ…唱えていた。 「オマエはトロい!  サラリーマン家庭の娘は使えやん!」 と、義父に言われては 「腹立つな!   はい、はい、私は使えない

          介護〜義父②〜