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介護〜義父との別れ〜

明け方に夢をみた


亡くなった主人が
久しぶりに私の夢に出てきたのだ。


場所はクラブのカウンター


向かい側には知り合いのママさんが
こちらを向いて微笑んでいた。


彼女は確か首都高速で
謎の交通事故死を遂げた方だった。


「ねぇ〜○○さん!(主人)
 またそちらでも飲んでるの?
 相変わらずお酒好きだね(笑)」


すると
お気に入りのランバンスーツを着た主人が
オンザロックのグラスを片手に
「乾杯!」と満面の笑みで振り返ったのだ。


…と、その時!


携帯が鳴った


嫌な予感


「お義父さんが危篤です!
 大至急、病院へ来て下さい!」


「えっ!?
 まさかあの夢は、
 主人が“父ちゃん連れてくよ!”って
 言いに来たの!?」


まだ日が昇りかける
明け方の道をぶっ飛ばした。


「お義父さん、まだ逝かないで!」






その願いも虚しく
病室に着いた時には事切れていた。


覚悟はしていたものの
その場で泣き崩れてしまった。


主人の時のように
思いっきり泣いて気持ちを切り替えた。


親族への連絡
葬儀屋さんへの連絡
社葬の用意…


またまた頭の中が
グルグルと回っていた。






翌々日、社葬が行われた。


主人の時のように淡々と
弔辞をのべれば良いと思っていた。


…だが、そうはいかなかったのだ。


感情が昂り涙が溢れて言葉に詰まり、
参列者の方々にお礼を告げるのが
やっとであった。


それだけ義父の存在は
私の中で大きかったことを
その場ではじめて気がついた。


参列者の方々は
同じ年に主人、義母、義父の順で
3人を看取った私に労いの言葉を下さった。


「ひろこさん!
 よくここまで頑張ったね。
 これからも支えていくから
 なんでも言って下さいね。」


取引先のお客様も、親族も友人も、
従業員の皆さんも
優しく声をかけてくださった。


「私はなんて人に恵まれているのだろう」
と、幸せでいっぱいだった。


これまでのように初七日も終え
息子夫婦も数日自宅に泊まって
手伝ってくれた。






そして私は
かつて6人家族だった11LDKのこの家に
ポツン…と、たった1人になったのだ。


息子夫婦は新築の家に同居してもいいよ
と言ってくれたが、
私は敢えて一人暮らしを選んだ。


この家が
いつのまにか大好きになっていたのだ。


遊びに出かけると帰るのが少し嫌だった
あの若い頃とは違い、
愛着さえ感じている。





名義は義父が税金のことを考えて
生前贈与というかたちをとり、
息子名義にしてくれていた。


いわゆる私は借家住まい。


「悲しんでばかりはいられない!」


重い腰を上げて
3人の遺品整理をはじめた
ひろこだったのだが、
なんと半年もかかったのである…


「こんなにモノが多いなんて
 ビックリやわ!!」


その時、マジで、、、実感した。



つづく

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