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介護〜義父④〜

ふと思った。

義父と真剣に
対等に会話ができるようになったのは
いつからだっただろう?…と。




義父は私の育児に
あまり自分の意見を
押しつけない人だった。


「読み・書き・そろばん」


英語、習字、そろばん
さらに武道の極真空手。


これが息子
小学生時代の学舎だった。


英語は私のアメリカ人の友人との交流で
お互いの子供を預けあった。


息子は3年間で
リアル英会話を耳で自然と
習得ができるようになっていた。


友人の息子さんであるセドリック君
(方言が使えるくらい日本語ペラペラ)を
突然に週末、
我が家へお泊まりさせることになっても、
義父をはじめ大川の家族は
何も言わずに受け入れてくれた。


ブルーの瞳にゴールドの髪の彼を
自然に受け入れてくれたのだ。


「35歳になったセドリックは
 今ごろアメリカのどこで
 何をしてるのかなぁ?
 会いたいなぁ〜」


と、たまに思いを馳せている。






そんな義父と
息子の高校受験で初めて衝突したのだ。
(前回の記事参照)


「彼なりに孫のことを
 心配してくれていたのだなぁ…
 ありがたいことだったな。」


と、今となっては感慨深い。


義父は義父なりの教育方針があったのだと
この時思った。






義父は病で右半身付随にも関わらず
会社を切り盛りする私を気遣い、
認知症になってしまった義母を
在宅で彼なりに見守ってくれていた。


義父は人のお世話はしても、
私の手を煩わすような
義父自身の介護補助をした記憶が無いのだ。


生き様が常にかっこよかった。


「私もこんな年の重ね方をしよう!」と。






夏に最愛の息子と義母に
続けて先立たれてしまった義父。


まだ義父の肝臓癌の進行が
安定していた期間中に、
少しだけ楽しい思い出作りができた。


息子とお嫁さんが入籍し
(結婚式は翌年となったのだが)
新居のアパートが決まるまで
同居をしてくれたのだ。


ありがたかった。


数ヶ月ではあったが
孫夫婦との同居の思い出を
義父にプレゼントできた。


久しぶりに
朝食と夕食の賑わいが戻ってきたのだ。


沈みがちだった義父の笑顔を
息子夫婦のお陰で見られたことが
1番の親孝行だったと今では思う。






そんな孫息子とのエピソードがある。


「○○(孫)には
 絶対ハンドルを持たせるな! 
 大切な後継者に事故なんてことが
 あってはならん!!」


と、義父から釘を刺されていた。


「お義父さん、ごめんなさい!」


と、心で手を合わせながら
私は息子に大型トラックの免許を取得させ、
修行で5年ほど長距離トラックの
ドライバーをしてもらっていた。


『現場を知らずして経営者にあらず!』


これが私の経営理念だからだ。


…と言うのは
亡き主人は長距離運転の大変さを
知らぬまま役職に就いたため、
彼は晩年経営方針を見出せず
苦しんでいたのを側で嫌というほど
見守っていたからだ。




秋に義父の容態が急変した。


会社から10分の病院へ
入院となってしまったのだ。


私は毎晩、会社帰りに立ち寄り
息子は長距離運転の日以外は
見舞いに通ってくれた。


「ひろこ!
 昨晩○○(孫)が見舞いにこやへんだが、
 まさか長距離運転させてないやろうな!」


「ギクッ…!!」


「いえいえ、お義父さん。
 昨晩は私の代わりに
 会議に出席してもらったから
 来られなかったんです(苦笑)」


大嘘である。


「でもこれだけはお義父さん、
 悪いけれど引き下がれない!
 ごめんなさいね。」


と、心の中で叫んでいた。




晩秋の穏やかな日曜日、
義父が病室の窓の外を眺めながら


「ワシはもう長くないかもしれんな。」


ぼそっと私に告げた。


「何を言ってるんですか!?
 まだまだお元気でいてもらって
 孫息子の結婚式に
 出席してもらわないと!」


本当は「夏まで持たない」と
主治医に宣告されていたのだが、
義父は孫のこと会社のことが心配で
なんと11月22日まで
私達のそばにいてくれたのだ。




11月21日
仕事が終わりお見舞いに行くと
義父が私にこう言った。


「ひろこ!
 大川家に嫁にきてくれてありがとうな。
 オマエがいてくれたから、
 ワシは楽しかった。

 頼りないと思っていた嫁が
 こんなにたくましく育ってくれて、
 ワシは安心して
 ○○(義母)のところへ行けるわ(笑)

 ○○(孫)のこと、頼むな。
 会社のことも頼む!」


私は涙が溢れて何も言えなかった。


ただただ、義父の隣りで泣くばかり…


今まで、
「サラリーマンの娘、
 ドジ!マヌケ!役立たず!」
と言われ続けてきた私にとって
その心のこもった言葉が
胸にジーンとしみわたった。


「そんなに泣くなよ(笑)」


義父の微笑みは
観音さまのようだった。


つづく

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