見出し画像

le 10 août - Paris, 1994


1994年8月10日

 クラスが終わり、また学食へ誘われた。僕が「あそこは不味いから、どこか他へ行こう」と言うと、誘った本人のブルノーもあまり気に入ってはいないらしく、「うん、確かに」と言っていた。でも皆もう行っちゃったし、まああそこは安いからバゲットのサンドウィッチでも齧ろうじゃないか、ということに落ち着いた。

 今日は人数が多かった。ブルノー、マリア、ローリー(カナダ人。"Crazy Canadian" というあだ名で呼ばれていた。うるさい)、モンセ、マーク(アメリカ人。物静かな感じ)、そしてゼンと僕。sandwich au jambonサンドウィッチ・ジャンボン(ハムのサンドウィッチ。大抵ハズレのないサンドウィッチなのだけれど、ここのはやはり不味かった)を齧りつつ、会話に花が咲く。

 英語とフランス語、そして時には日本語まで入り乱れての会話である。ヨーロッパの僕ら世代の人間は大抵英語がペラペラなのだが(ゼンと僕は簡単なことしか話せない)、クラスの直後というせいもあって文章の一部分だけが、それも前置詞だけとか数字だけがフランス語になったりするのだ。もちろんその逆もある。皆、英語を喋り出すとマシンガン・トークになるので(特にマリア)、僕なんかは6〜7割位しか聞き取れないけれど、それでもまあニュアンスで解ってしまうものなのだ。こんなことをしているうちに、フランス語も英語も話せるようになるかな、と淡い期待を抱いたりもしてしまう。

 さて、楽しいランチの後は、問題のサン・ラザールである。まずはカフェでゆっくりして(何かというとカフェに寄る癖がついてしまった)、いざ、CITIBANKへ。「まだ現金はお引き出しできません(日本語)」という表示が出た。「まだ」という部分に希望を残し、とりあえず銀行を後にする。

 プラプラと歩いているうちに、「PRINTEMPSプランタン」の看板が目にとまった。暇つぶしには、デパートはもってこいである。適当に素見して時間をつぶすつもりだったのだが、結局、ガラスの器とポプリを衝動買いしてしまった。暇をつぶすだけの場合には、僕はインテリア・雑貨のフロアには近寄らない方が良いのかも知れない。
 窓の外を見ると、いつの間にかどしゃ降りの雨が降っている。このデパートは3つの建物がそれぞれ空中通路(クリスタル・なんとかっていう大層な名前が付いていたが、完全に名前負けしていた)でつながっていたので、雨宿りがてら別の館へも行ってみる。おもちゃを眺めたり、洋服を見て回っているうちに、雨はやんでいた。パリの雨は、潔くて良い。

 さて、もう一度CITIBANKへ向かう。あれから2時間程が経過していた。今度は……引き出せた。やはり、さっきはまだ口座が振り替えられていなかったのだ。これでとりあえず安心だが、また引き出せなくなると困るので少し多めに引き出しておく。やれやれ。

 今日はナツメさんが仕事で夜中まで帰らないので、ヨシさんと3人でビールを飲んだ。そしてアパルトマンに戻ると、僕がスパゲッティ・ペペロンチーノを作ることになった。鷹の爪がないことに気付き、アベスの近くにある小さなスーパーまで買いに行ったのだが、良く考えたら「鷹の爪」をフランス語で何と言うのか知らなかった。「赤いの」とか「こんなの(手で形を示しながら)」とか、「辛いの」とかやってみた結果、結局赤唐辛子のピクルスしか見つけられなかった。

 些細なことにひと苦労である。でもまあ、面白い。こういうことでも勉強になるというのは、やはり現地に来ないとあり得ない。辞書によると、赤唐辛子は「piment rougeピマン・ルージュ」。


le 11 août

編集後記

語学学校の友人がたくさん登場し始めました。よく登場する人だとイタリア人弁護士のブルノーがいちばん大人だったのかな。大学生を中心に多少バラツキがあったけど、お互い年の差を気にするようなところは特にありませんでした。初級フランス語を学ぶクラスなので、クラスメイトにフランス人はひとりもいません。

この頃はまだ皆フランス語が拙くて、友人同士のコミュニケーションは主に英語でした。時間が経つにつれ、やっとこちらの耳が英語に慣れてきたかな……という頃に皆の会話が少しずつフランス語にシフトしていくという、なかなかハードな状況がもうしばらくするとやって来ます。


この記事が参加している募集

#ノンフィクションが好き

1,393件

#夏の思い出

26,233件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?