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Paris, 1994

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1994年、大学の夏休みを利用してパリに短期留学していたときの日記を、全40話の連載形式でマガジンにまとめたものです。 毎回「編集後記」として、現在の自分が当時を振り返っての思い… もっと読む
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Prologue (1998) - Paris, 1994

プロローグ(1998) 1993年、春。僕は大学に入学した。  専攻はフランス語だった。今考えると、何故フランス語を専攻したのかさえわからない。  その夏、大学で知り合った友人と一緒にパリへ行った。  初めて訪れたその街は、強烈に僕を魅了した。滞在中、何か特別なことをしたわけじゃない。どちらかと言えば、むしろ何もしなかったと言う方が近いかもしれない。実際、色々とあったはずなのに、具体的に何をしたかあまり思い出せない。  でも、僕を魅了したその空気を今でもはっきりと思い出す

le 22 août - Paris, 1994

1994年8月22日 頭が少し重い。でも二日酔いではない。僕は二日酔いにはならない体質なのだ。酒は強いわけではないのですぐに酔うけれど、しばらくすると回復する(※後日注:今思えば、これは立派な二日酔いだった)。  ゼンはすっかり二日酔いだったらしく、クラスには出席せずに学校のカフェテリアで寝ていた。もちろん、ナツメさんには内緒である。  20時にサン・ミッシェルで待ち合わせ。明日はブルノーの誕生日なのだが、何故か1日早くパーティをやることになったのだ。しかし、22時くら

le 21 août - Paris, 1994

1994年8月21日 11時半に目が覚めた。そしてバス・ルームへ行き、バス・タブに湯を張ってゆっくりと湯に浸かった。リラックス・タイム。その後は、何をするともなくのんびりと過ごした。  夕方になると、相変わらず「ランデ・ヴー」でハイネケンを飲む。その後ヨシさんをアパルトマンに招き、ライティング・ビューローの完成記念にシャブリのグラン・クリュを開けた。  このワインは、結構きちんとした代物らしい。辛口の白として有名なChablisの畑の中でも、本当に猫の額ほどの土地からしか

le 20 août - Paris, 1994

1994年8月20日 9時起床。9時半に「サン・ジャン」へ行き、朝食代わりにカフェ・オ・レを飲む。そしてその足で、パリ郊外にあるIKEAに行った。  IKEAというのは、スウェーデン出身の巨大な家具屋である。北欧らしいシンプルなデザインの家具が、これでもかというくらいに広い倉庫のような店内に所狭しと積み上げられている。組立式のものが多い。  ナツメさんは今、ロー・テーブルで仕事をしているのだが、膝が痛いのでロー・テーブルの下にチェストを入れて椅子に座って仕事ができるように

le 19 août - Paris, 1994

1994年8月19日 クラスが終わると、サン・ラザールに寄って現金を引き出し、途中のカフェでエクスプレスを飲んだ。そして、「TUXEDO」に寄って例の鹿革のコートを買ってからアパルトマンに帰った。  部屋であらためて羽織ってみる。自然と顔がゆるむのが自分でも判る。鏡の前でよく見てみるとボタンがひとつぐらついていたので、ナツメさんに針と糸を借りてボタンを付け直した。何だかより一層、愛着が増した。そうこうしているうちに何だか眠くなってきたので少し昼寝をした(こっちに来てからな

le 18 août - Paris, 1994

1994年8月18日 夕方にはいつものように「ランデ・ヴー」でビールを飲んだ。今日も4人で「TAKA」へ行くことになっていたので、それまでの時間、モンマルトルを散策した。  フォンデュ屋やらインド料理屋やらを覗いて、今度来てみよう、なんて話しながら歩いていると、毎日歩いている通り沿いに「TUXEDO」という古着屋を見つけた。  ポップな色使いのファサードや内装に、微妙なこだわりを感じる店だった。そして安い。Soldeということもあったのだが、それにしても安かった。いろいろ

le 17 août - Paris, 1994

1994年8月17日 ゼンが学校を休んだ。腹痛を訴えたためである。言うまでもなく仮病だ。昨日の夜「オレ明日の朝、風邪ひくから」と言っていたのに、朝になって腹痛にスイッチさせるあたり、仮病慣れしていると言ったところか。  そんなわけで、ひとりで学校へ行くことになった。滞在中ほとんどの行動をゼンと共にしていたし、それ以外の時間は他の友人と一緒だったせいか、ひとりで乗るメトロはなんとなく雰囲気が違う気がした。そして、今日の授業は久しぶりに面白かった。ゼンはちょっと残念なことをし

le 16 août - Paris, 1994

1994年8月16日 クラスの後で、Palais Royalにある「大阪屋」で昼食を食べた。B定食(炒飯、餃子、スープ、お新香)を注文した。たいして美味いものでもないけれど、たまに食べたくなるものではある。  実は何日か前にも「大阪屋」に来た。ただし、隣の「大阪屋」である。もちろん系列店だ。その時は久しぶりにラーメンでも食おう、ということで来たのだが間違えて同じ名前の和食屋に入ってしまった。別にどちらでも構わないのだけれど。  昼食を済ませると、シンスケのSWATCH探し

le 15 août - Paris, 1994

1994年8月15日 ヨシさんのBMWで、Auvers-sur-Oiseへ行った。ゴッホの過ごした家があり、ゴッホの墓がある村である。村の教会を眺め(ナツメさんは少しだけミサに参加した)、墓地を見学し、その村を後にした。ヨシさん曰く、この村は画家の聖地であるということらしかった。  なかなか良いところだったが、わりと観光地的な場所でもあった。墓地の外壁には日本語で「下記の画家、版刻師のお墓が云々〜」といった案内も掲げられていた。ゴッホ以外は、残念ながら知らない名前ばかりだっ

le 14 août - Paris, 1994

1994年8月14日 10時にサン・ミッシェルで皆と待ち合わせている。8時45分に起きて顔を洗い、髪を整えるのが面倒だったので帽子をかぶることにした。  さっと準備を済ませるとアベスへ下りて行き、Café le St. Jean(ゼンとふたりで毎日のように通っている近所のカフェ)に顔を出す。「クロワッサン、ご馳走するわよ」とナツメさんが言ってくれたからだ。  テラスの端の方にヨシさんとナツメさんを見つけ、腰を下ろす。「Deux croissants, et deux ca

le 13 août - Paris, 1994

1994年8月13日 電話のベルで目が覚めた。どうやらブルノーからの連絡らしい。ゼンが受話器を取り、何やら喋っている。  聞こえる範囲で要約してみると、10時半に……サン・ミッシェルの……フォンテーヌの前……。寝ぼけ眼で手元の腕時計を見ると、針は9時半を回っていた。  一気に目が覚めた。あと1時間もないじゃないか。お前行かないのに勝手にO.K.するなよ、とゼンに文句を言いながら急いで準備をしていると、彼は窓辺で煙草を吸いながら「多少遅れても問題ないんじゃない?」と言い放った

le 12 août - Paris, 1994

1994年8月12日 14時起床。よく眠った。ナツメさんとゼンは午前中から何やら動いていたようだが、僕は全く起きる気になれなかった。  顔を洗って、歯を磨いて、ダイニングのカウンター・テーブルに戻ると既にサラダができていた。お昼ごはんはムールのスパゲッティだ。  そういえば、先週の土曜日はコックのスパゲッティだった。僕が遅くまで寝ている時はなぜか美味い貝のスパゲッティだな、今度はスパゲッティが食べたくなったらゆっくり眠っていようかな、とくだらないことを考えているうちに皿は

le 11 août - Paris, 1994

1994年8月11日 今日の夜はクラスの友人達と遊びに行くことになっていた。20時にSt. Michelのfontaine(噴水)の前で待ち合わせ、ということである。  少し疲れていたのでランチを早めに切り上げ、まっすぐアパルトマンに戻って(とは言ってもカフェには忘れずに寄る)、夜に備えて昼寝をした。  目が覚めると17時過ぎだった。2時間ちょっと眠った。  早い夕食(ナツメさんがわざわざ作ってくれた)を食べ、18時にヨシさんとランデ・ヴーで落ち合い、いつものように4人で

le 10 août - Paris, 1994

1994年8月10日 クラスが終わり、また学食へ誘われた。僕が「あそこは不味いから、どこか他へ行こう」と言うと、誘った本人のブルノーもあまり気に入ってはいないらしく、「うん、確かに」と言っていた。でも皆もう行っちゃったし、まああそこは安いからバゲットのサンドウィッチでも齧ろうじゃないか、ということに落ち着いた。  今日は人数が多かった。ブルノー、マリア、ローリー(カナダ人。"Crazy Canadian" というあだ名で呼ばれていた。うるさい)、モンセ、マーク(アメリカ人