le 11 août - Paris, 1994
1994年8月11日
今日の夜はクラスの友人達と遊びに行くことになっていた。20時にSt. Michelのfontaine(噴水)の前で待ち合わせ、ということである。
少し疲れていたのでランチを早めに切り上げ、まっすぐアパルトマンに戻って(とは言ってもカフェには忘れずに寄る)、夜に備えて昼寝をした。
目が覚めると17時過ぎだった。2時間ちょっと眠った。
早い夕食(ナツメさんがわざわざ作ってくれた)を食べ、18時にヨシさんとランデ・ヴーで落ち合い、いつものように4人で1時間程くつろいだ。頃合いを見計らって、それじゃ僕らはこの辺で、とばかりにゼンと2人で席を外す。
5分程遅れてフォンテーヌに到着すると、何人かが既に来ていた。思ったより少ない。確か、他のクラスの奴も合わせて20人位集まるって聞いていた気がするんだけれど……。何だかんだ言って全員が揃ったのは20時半過ぎ、それでも皆それぞれ勝手に喋っているから、結局動き出した時には21時を大きく回っていた。やれやれ。例のいやな予感が頭の隅を駆け抜けて行く。
そのままクラブへ行くのかと思いきや、セーヌのほとり、ノートル・ダム大聖堂の真下で酒盛りをすることになった。いつの間にか、10本近い安ワインとプラスティックのコップが用意されている。セーヌを行き交うBateaux-Mouches(観光シーズンのため、おびただしい数のバトー・ムーシュが次から次へとやって来る)に手を振りながら大声で冷やかし(おそらく大勢いたであろう日本人の乗客にとって、ゼンと僕はバカ丸出しだったことだろう)、わいわい騒いでいた。
ふと気になって、隣にいたスペイン人の女の子(別のクラスの子。名前は忘れた)にクラブは何時に開くのかと聞いてみると、24時くらいだ、と言う。ちょっと待って今まだ22時にもなってないよ、と言うと「うん、どーするんだろうね。私、どこ行くのか良くわかんないし」という答えが返ってきた。このパーティは一体誰が仕切っているんだろう?
そのうち誰かが地図を見始め(どうして今頃地図を眺めてるんだろうね)、どうやらこの後の行動が決まったらしい。かなりの距離を歩いた後、思いついたようにメトロに乗って辿り着いたところは、何とピガールだった。アベスから歩いて5分もかからない場所じゃないか。
ずいぶん長く歩いた後でメトロに乗ったのもよく分からない。最初からメトロを乗り継げばこんなに疲れることもなかったよね。
しかも、最終的にここまで辿り着いたのは10人もいなかった。皆、勝手にポロポロと帰ってしまったらしい。ローリー達なんて、乗り換えたSèvres-Babyloneのプラットフォームで電車に乗らず、閉じたドアの向こうでこちらに手を振っているのだ。ニコニコしながら。いい加減にしてくれ、せめて帰る理由か行き先くらいは言うべきだろう。
この辺りから僕は少し腹が立ち始めていたので(皆あまりに自分勝手だから)、険しい顔になっていたのだろう。モンセがしきりに「Ça va?」と声をかけてくれた。すごくありがたいし申し訳ないとは思うのだけれど、あまり明るく振る舞う気にはなれなかった。
さて、やっとのことでクラブへ到着。「LOCOMOTIVE」という名前だった。入場+1ドリンクでFRF65(約1,300円)。東京のクラブと比べたらかなり安い。
入ってみると、店の中はかなり広い。2層か3層にフロアが分かれている。何やらすごい色の光が派手に飛び交っている。ハード・ロックが大音量で流れていた。
ソファに座って、しばらく何をするともなくボーっと煙草を吸い、そのうち誰からともなくダンス・フロアへ降りて行く。さっきのハード・ロックのフロアではなく、ポップスがかかっている別のフロアだ。
バーボン・コークで少し機嫌を直してからフロアへ降りて行ったのだが、体を動かして汗をかいているうちにそんなことはだんだんどうでも良くなって、楽しくなってきた。フラッシュするライトのせいで、周りの動きがコマ落としになっていた。途中で「WHAM!」の曲もかかった。僕の踊りを見たモンセが、僕の耳元で「チューイング・ガムみたい!」と叫んだ。
午前3時頃、モンセとブルノーにアパルトマンの電話番号を渡してから帰ることにした。外に出るとすごく涼しくて、気持ち良かった。クラブというよりはディスコという感じだったが、たまにはこういうのも良いだろう。
学校は明日から4連休だ。
編集後記
この滞在中、日本人ってやっぱり律儀なのかな、というのはしょっちゅう感じさせられました。
あと、これは外国語コミュニケーションの理解不足っていう側面もあったかもしれないけど、なんていうか……みんな自由でしたね。約束や予定がその瞬間の気分でコロコロと変更されたり、そもそも予定があってないようなものだったり、この日はそういうことが重なったせいでむくれていたようです。
結果的に、この夏の経験がその後の僕を少しユルくしたところはあると思います。
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