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le 15 août - Paris, 1994


1994年8月15日

 ヨシさんのBMWで、Auvers-sur-Oiseオーヴェール・シュル・オワーズへ行った。ゴッホの過ごした家があり、ゴッホの墓がある村である。村の教会を眺め(ナツメさんは少しだけミサに参加した)、墓地を見学し、その村を後にした。ヨシさん曰く、この村は画家の聖地であるということらしかった。
 なかなか良いところだったが、わりと観光地的な場所でもあった。墓地の外壁には日本語で「下記の画家、版刻師のお墓が云々〜」といった案内も掲げられていた。ゴッホ以外は、残念ながら知らない名前ばかりだった。

 それにしても、オワーズ川は美しかった。川沿いの道を車で飛ばし、川沿いのレストランに入った。4つ星(ミシュランの評価ではないが)のレストランである。卵を使ったパテと、タラに似た魚のメインにフロマージュとデザート、ワイン、食後にエクスプレスエスプレッソがついて、そこそこの値段だった。まあ(いつものように)ご馳走になってしまったわけだけれど。

 さて、昼食を済ませると(12時半に食べ始めて、店を出たのは実に16時前だった。フランスでは、よく食べよく喋るのが「食事」なのだ)、Chantillyシャンティーイへ向かった。ここには競馬場があり、競馬好きのゼンにとっては非常に興味深いところだっただろう。
 こちらの競馬場は日本のものとは違い、広大で、美しくて、さらにここの場合は目の前に城があり、素晴らしく気持ちの良いところだった。競馬場の芝生に横になったのは、もちろん初めての体験だった。
 大勢の人々がピクニックに来ており、多くの車が路上駐車してあった。当然、そこには渋滞が発生する。我々はパリへ帰る国道が混み出す前に引き上げることにした。

 パリへ帰ってきたのは、ちょうど気持ちの良い夕方の時間帯だった。いつものように「ランデ・ヴー」でビールを飲んだ。今日は皆お腹が一杯だったので、フリットはつままなかった。しばらくおしゃべりを楽しんだ後で、アパルトマンへ戻った。

 20時半頃、ゼンとふたりで散歩に出た。
 ピガールの方をぐるっと回って、カフェで少しのんびりしてからアパルトマンへ戻った。ナツメさんが部屋にいたので鍵は置いてきたのだが、実はアパルトマンの1階の入口は22時で鍵が閉まってしまう。外からは鍵がないと開けられないのだ。
 時刻は22時05分。だめだった。部屋(5階である)にいるナツメさんを窓の下から呼び、わざわざ1階まで降りてきてもらってドアを開けてもらった。こんなに遅くなる予定ではなかったのだが、申し訳ないことをした。
 ゼン曰く、おつかいをきちんと済ませてきて良かった、ということだ。なるほど、危ないところだった(その店も、閉店ギリギリだったのだ)。

 明日からまた学校が始まる。授業は楽しいけれど、朝起きるのは相変わらず憂鬱である。


le 16 août

編集後記

ジェルブロワに続いて2度めのドライブ小旅行。こうして当時を思い出しながら読み返していると、ナツメさんとヨシさんには本当に良くしていただいたなぁと感謝しきりです。

冒頭に登場した「村の教会」は恐らくゴッホの絵で有名な教会だったと思うんですが、ちょっと記憶があやふやでスミマセン。当時はゴッホの作品にあまり興味がなかったようで(ピカソやコクトー、マティスあたりが好きでした)。もし今、再訪したら、もうちょっと違った感慨があるかもしれないな、と思います。

川沿いのレストランで過ごした時間も、美しい芝生にごろんと横たわった競馬場も、どれも素晴らしい体験でした。

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