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le 13 août - Paris, 1994


1994年8月13日

 電話のベルで目が覚めた。どうやらブルノーからの連絡らしい。ゼンが受話器を取り、何やら喋っている。
 聞こえる範囲で要約してみると、10時半に……サン・ミッシェルの……フォンテーヌの前……。寝ぼけ眼で手元の腕時計を見ると、針は9時半を回っていた。
 一気に目が覚めた。あと1時間もないじゃないか。お前行かないのに勝手にO.K.するなよ、とゼンに文句を言いながら急いで準備をしていると、彼は窓辺で煙草を吸いながら「多少遅れても問題ないんじゃない?」と言い放った。完全に他人事である。

 しかし、5分ほど遅刻して息を切らせながらフォンテーヌの前に到着してみると、まだ誰も来ていなかった。

 さて、これからどこへ行こうとしているのかというと、「Château de Versaillesヴェルサイユ宮殿」である。今日のメンツはブルノー、モンセ、マリア、ローリー、アレックス(ドイツ人。医学生)、ファディ(ドイツ人。別のクラス)、クリスティナ(スペイン人。別のクラス)、メルセデス(モンセのお姉さん。車ではない)と僕の9人。ゼンは「疲れるからいい」と言ってパスした。

 ヴェルサイユはすごかった。宮殿の中へ入るのは50m以上の行列を見て諦めたのだが、庭園(「広大な」という言葉では足りないほど広い。眼下に広がる森も、遠くに見える湖も、見渡す限り全てがヴェルサイユの一部であるらしい)やマリー・アントワネットのサマーハウスは本当に素晴らしかった。これらについてはジェルブロワ同様、何枚かの写真が雄弁に語ってくれるだろう。

 それにしてもよく歩いた。なぜか木登りまでした。とても疲れたが、良い体験だった。

 一度アパルトマンに戻り、少しゆっくりして疲れを癒す。19時にもう一度サン・ミッシェルで皆と待ち合わせだ。しかし19時には、僕は「ランデ・ヴー」でヨシさん達といつものようにビールを飲み、フリットをつまんでいた。なぜかというと「疲れていたから」である。
 ひどい話だが、電話で連絡することもできない。ゼンも朝と同じく「行きたくない」とは言っていたが、それにしても悪いことをしたなあ。明日会ったときのために言い訳を考えなくてはならない。

 マリア達がこれを読んでも問題はないだろう……日本語解らないから。


le 14 août

編集後記

先日のむくれっぷりもどこへやら、良くも悪くも順応が早いようです。とはいえ、いきなりルーズな性格になったわけでもなく、疲れを押して無理するのを避けたというのが正直なところだったでしょうか。

こんなとき、今ならスマホひとつですぐに連絡がとれますが、当時はそうは行かない時代でした。ましてや友人全員が留学生ですから自宅ではないところに暮らしているわけで、連絡手段が本当に限られていましたね。

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