代々木ゼミナール数学講師の荻野暢也先生について思う事。「人が大きな夢に向かって努力する姿は時としてとても滑稽でムダに見えます。その人の能力がそのレベルに達していなかったらなおさらです。しかし、そのみっともない努力こそが不可能を可能にする唯一の手段なのです。」
みなさんは、この言葉を聞いて、何を思いますでしょうか?
実は、私は、今でこそ、翻訳業や、英会話講師、日本語講師など、英語にかかわる仕事をしていますが、実は高校時代の成績は酷いものでした。とにかく、理系のくせに物理は全くできない。最高の点数は「3点」です。英語も、まったく興味も持てずに、1日だけ、定期テストのために、勉強して挑んでみましたが、平均のちょっと下。
高校が長野県諏訪清陵高等学校という、「それなりの」の進学校であったために、なおさら、落ちこぼれであることを日々、情けなく思っておりました。ただ、「数学だけ」はできたのです。何故か?それが、荻野暢也先生のおかげであるという事です。荻野先生の授業を家のスカイパーフェクTVで、見たり、実際に荻野先生の言う通り問題を自分で解いてみたら、なんと、その偏差値64の高校で、信じられないことに成績上位者になってしまったのです。
そして、私は、高校時代は「勉強すること自体」にあまり関心を持つことが出来なくて、ずっといました。しかしながら、私の人生を変えたことが1つだけあります。それはホームページの作成とプログラミングの勉強です。これは、話せば長くなりますが、私の大好きだったプロレスラー「蝶野正洋選手」の非公式ファンサイトを高校1年から、ずっと継続して運営しておりました。
そして、自分では、HTMLもJava ScriptもCGIも自分で全部、組んでいましたので、数学的な考え方が当然必要ですから、数学科、応用数学科に、いずれは進学して、大学ではコンピューティングを研究したいなあと漠然と思っておりました。そして、幸運なことに、私の運営していたサイトは、毎日300人以上が訪れる有名サイトになり、なんと雑誌に15冊以上、掲載されたり、プロレスの映像を作る会社から、「広告を貼る」ことを条件に、毎月、無料で、DVDをいただいていたり、アフィリエイトでも、一定の収入を得たりしていました。
そして、中でも忘れられないのが、私のデザインしたホームページのロゴ「I'm Chono!!」というものなのですが、「勝手に」某コンビニの「蝶野選手をモチーフにした弁当」に使われるという事態まで発生しました。その弁当の名前は「STF弁当」です。今ならば、勝手にロゴを使うなんて!と思うでしょうが、当時は、自分が認知されている事が嬉しくてたまらなかったです。
まあ、話は高校生活に戻ります。数学だけは、荻野暢也先生のおかげでとにかく出来るようになった。じゃあ、大学受験はどうするのか。数学の配転が大きなところにしよう!と思ったのです。そして、受験したのが、東京理科大学(荻野暢也先生の母校)理学部の応用数学科です。結果は、不合格でした。他にも中央、法政、明治など理工学部を受験しましたが、全て不合格でした。
そんなわけで、浪人することになりました。しかし、僕が高校3年の時に起こった「911同時多発テロ」と「イラク危機」がどうしても頭から離れずにもいました。「国際政治学」を勉強してみたいな。そんな風に考えるようになりました。そして、富田一彦先生という超一流の英語講師、そして、荻野暢也先生という超一流の数学講師のおかげで、なんとか、「明治大学政治経済学部」に合格することが出来たわけです。
次は荻野暢也先生のことについて、話します。以下の言葉を読んでみてください。何か、感じるものはありますでしょうか?
極めて言いたいことはシンプルです。「努力を継続することだけが、人生で実現したいことを実現する唯一の方法である」という事です。「不可能だと思うとき、ひとは、やりたくないと決心しているのである」。こんな言葉もありました。
ひとまずは、私の人生を変えた数学教育、そして、英語教育。代々木ゼミナールという学校は本当に素晴らしい学校であるという事を最後に申し述べてこの記事を終わりたいと思います。とにかく、とにかく、全ての人々に感謝をする。本当に自分を変えてくれた人たちに感謝の気持ちしかないのです。それでは、引き続き、英語の学習を頑張っていきましょう。それでは、失礼いたします。
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