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バルコニーのベンチで、これからも。


買い物袋を下げ、最寄り駅の商店街を歩く。
レタスと卵は家とは逆の改札を出たところにあるスーパーの方が安い。
今日はそれから洗剤とティッシュペーパーを薬局に買いに行く。

シャンプーはまだあっただろうか。あぁ、名前をメモしてくればよかった。
あのいつもの白地に黄色い文字のやつは、なんて名前だったか。
毎日見ているはずなのに、全く思い出せない。
ボトルを見たらわかるだろうか。
そんなことを考えながら、薬局への道を行く。


妻が出て行ってから約一ヶ月。
行方を知っているかもしれないと、先日一人暮らしをしている娘にも連絡を取った。


娘は、妻の居場所は教えてくれなかった。
それどころかびっくりするような打ち明け話があって、頭をぐわんぐわんと振られたような夜だった。
それでもあの日、娘に言われた色々なことによって、次の日から自分の心持ちが少し変わったような気がする。

娘は会った次の日にこんなメッセージをよこしてきた。

「昨日はありがとう。さすがにちょっと飲みすぎた〜。
お父さんは2日酔いだいじょぶ?私は割と死んでる。
昨日言わなかったけど、お母さんには私が、家出するくらいならちょっと羽伸ばして旅行でも行ってくれば?って言ったの。だから多分今おばあちゃんちとか、あと佐賀のおばちゃんとどっか行ったりしてると思う。
そのうちちゃんと帰るだろうからとりあえず安心して。
家で待ってれば大丈夫だよきっと。健闘を祈る!」


「佐賀のおばちゃん」というのは、九州に住む妻の姉のことだ。年は離れているが姉妹仲は良い。
義姉はなんというか昔からハイカラな人で、ずっと独身でよく海外や国内の色々なところを旅行したりして、自由に人生を謳歌しているような人だ。
数回しか会ったことはなかったが、なかなか勢いが強くて自分はちょっと苦手なタイプではあるものの、彼女といるというのならなんとなく安心な気がした。


妻の帰りを待ちながらも、とりあえず自分の今まで妻に頼り切っていた生活をなんとかしなければと思い、ここのところ家の掃除をしたり、自炊をするのに買い物に出たりして、こっちはこっちでなかなか忙しい生活を送っていた。

1人分の食事を1食まともに作るのも、結構大変だということがこの数週間で身に染みてわかった。
妻はこれを結婚してから、娘がいるときなんて3人分、毎日食事を作って家の中をいつも綺麗に保ってくれていたのだ。
主婦業を軽く見ているつもりは決してなかったが、自分でやってみて予想以上にハードだということもわかった。

あと、ちょっとだけ楽しいということも。
家の近くにはスーパーがいくつかある。
今日はこれが安いとか、魚はこっちの方が質がいいな、なんて思いながら買い物をこなすのも少し面白くなってきた。

とはいえやはり、1人は寂しい。
そういえば自分には、今まで「1人」という時間があまりなかった。
学生時代に何年か一人暮らしをしたことはあるものの、結婚してからは家にはいつも妻がいて、仕事に出れば会社に同僚や部下がいて、昼は一緒に食事をして、帰ると当たり前のように家族がいて、それが普通だと思っていた。

妻はこの家で、1人の時はどんな風に過ごしていたんだろう。
そんなことを考えながら、夕方頃に買い物を済ませて家に戻る。


家の前でつい一瞬、足が止まった。
リビングに、電気がついていた。

光が灯る自分の家を見て、飛び込むように玄関の扉を開け、一目散にリビングに行く。

妻が、キッチンに立っていた。


「あ...。おかえり!あ、いや、ただいま、か。」

「おかえりなさい。...ただいま。」


ぶわっと全身から、汗が湧いた。
妻がいる。
帰ってきてくれた。よかった。


「家の中、結構綺麗だね。もっと、大変なことになってるかと思ってた。」

キッチンで、自分が昼に残していた洗い物をしながら言う。

「いや、結構大変なことになってたよしばらく...。あ、そうだ。シャンプーが切れそうだったから、買ってきたんだ。いつもの、これで合ってたかな?」

「ふふふ。私もちょうどなくなる頃かなって思って同じの買ってきた。ずいぶん大荷物だね。」

「あ、あぁ。来週分の食材をまとめて買いに出てて...」


不思議なくらいいつも通り会話を始めつつも、ちょっとお互い気まずいようなぎこちないやり取りに、なんだか一緒に暮らし始めた頃を思い出す。

「これ、お土産。お姉ちゃんのとこ行ってて。色々もらってきたの。」

妻が見せてきた袋には九州名産の和菓子から、輸入食品店で買ったような見慣れない文字が書かれた食材まで、なんともバラバラなジャンルのものが入っていた。

「最近ハマってるセットだって。ね、レタス買ってきたなら、今日バルコニーでキャンプ用の椅子出して、これ外で食べない?」

妻は黄色いまんまるのトルティーヤを出してそう言った。

「タコスか。いいね。なんかお義姉さんらしいな。じゃあ物置からテーブルセット、持ってくる。あ、酒、あったかな。最近買ってなくて...。」

「大丈夫。買ってきた。料理は全部準備するから、バルコニー、よろしくね。」


妻にそう言われ、物置へ走る。
昔、娘がまだ小学生くらいの時に数回行ったキャンプ。
テーブルセットを買ったものの、それ以来出番はなく、物置にずっと眠っていた。まだちゃんと使えるだろうか。

がちゃがちゃと物置をかき回していると、遠くから妻の声が聞こえる。

「大変そうだったら、テーブルなくてもベンチだけでいいんじゃない?2人だし、食べ物もそこに置けばいいよ。」

うちのテーブルセットは、テーブルとチェアが2脚、そして対面に置く長いベンチタイプの椅子がセットになったものだった。
昔、アウトレットのセールで買ったものだ。

妻に言われた通り、ベンチを引っ張り出してきて2階へ運ぶ。
バルコニーに出ると、買い物に出る前に干していった洗濯物が取り込まれ、綺麗にたたまれていた。

あぁ。
ほんとによかった。帰ってきてくれたんだ。
感傷に浸りながら折りたたみベンチを組み立てる。


「今日多分、満月なんじゃないかな。月がよく見えるね。」

そう言いながら、妻が大きなトレーに色とりどりの具材を乗せ、タコスのセットを持ってきた。

「ワカモレとひき肉は作ったけど、このサルサとかも、全部もらったの。こっちのソースも結構ちゃんと辛くて、おいしいんだって。」

妻からトレーを受け取りながら説明を聞く。
鮮やかなサルサと、スパイスのいい香りがするひき肉、チーズ、パクチーにハラペーニョ、ライムまである。だいぶ本格的だ。
細く刻まれたレタスは先程、自分がスーパーから買ってきたものだと思われる。偶然にもタコスパーティに一役買えた気がしてなんだか嬉しくなった。


「はい、どうぞ。」

妻はそう言って、グラスといつも飲んでいるプリン体ゼロと大きく書かれた発泡酒を手渡してきた。
せっかくのタコス、メキシコの軽やかな瓶ビールか、もしくは昔一緒に代々木公園で飲んだ時のように生ビールでも飲みたかったが、確かにこれが、今の2人のいつものビールだ。


乾杯して、それぞれトルティーヤに好きな具材を乗せていく。
一緒に行ったフードフェスティバルを思い出しながら「メキシカンフェスは、行ったことあったっけ?」と聞いてみる。

妻は自分の問いには答えず、夢中になって具材を詰めたトルティーヤを半分に折って、楽しそうに笑いながら言った。

「ねぇ、見て。半月。」


その笑顔を見て、咄嗟に言葉が口をついて出た。

「あの、悪かった。今まで。多分、気づかないところでいっぱい悲しい思いをさせたんだと思う。これからも...これからは、もっと話をしよう。
またこうやって外に出たり、月を見たり花見でもしたり、2人で飲んだり食べたりしよう。」

「うん。...ありがとう。いいの、もう。急にそんなに頑張らなくていいよ。
でも、これからゆっくり、そういう日をいっぱいつくっていけたら楽しいね。」

妻はなんとなくすっきりしたような顔で言った。


満月の夜、満月のようなトルティーヤに、妻が作った馴染みのある味付けの具材や初めて見るソースなど色々なものを挟んで、半月を作って、2人で娘の話や懐かしい話をしながらタコスを食べる。

「お姉ちゃんも今頃、家でお月見タコスしてるかも。」

「あとで電話してみようか。久しぶりに話したいし、お礼も言わなきゃ。」


やっと、幸せが重なり合った気がした。


でも、まだまだこれからだ。
娘曰く、自分はどうやら無神経なところが多いらしい。
けれどこれからもこうやって2人で、今までたくさん味わってきたいつもの生活を噛み締めながら、新しい定番ももっといっぱい作っていけばいい。

定番なんていうと妻と娘に「ほらまたそうやってお父さんは"普通"を決めたがる」なんて言われてしまいそうなので、そう思ったことは心に留めておくことにした。

それでも、2人で月を見ながらバルコニーでタコスを食べたこの日は、これからもずっと定番にしたいくらい、大切な日になった。

やはり、ベンチの隣には、あなたがいて欲しい。


※こちらは、 #新しいお月見  の「お月見コンテスト」応募作品として投稿させていただきました。


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