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北海道で群馬を流行らせた千葉先生と、人間になった野ザルたち


先日、たべっ子どうぶつのビスケットで遊び倒していた私。
パッケージ裏のイベントに翻弄されたり、知らなかった動物の英語表記を学んだり、新しい英単語を作って新生物を生み出したり、それはそれはとても有意義な時間だった。


このように、と言うにはちょっと遊びすぎたかもしれないが、遊びと学びは合体するととてもよい。
「遊び」という楽しい記憶とともに「学び」を得ることができる。
その面白さ、興味深さが学びの吸収率を上げているのだと思う。
たべっ子どうぶつで遊ばなければ、私はヤマアラシという動物の存在も、その英語表記も知らなかっただろう。


ところで、私は群馬には数回しか行ったことがなく、住んだこともないが群馬県の名所や特産品、偉人にやたら詳しい。
これはまさに、私が小学生の時に楽しく学んだ体験がもとになっている。

私が住んでいた北海道の僻地に、新任教師としてやってきた群馬県出身の千葉先生。(ややこしい)
新しく担任となったその先生は自分のクラスであるものを流行させた。
それは「上毛じょうもうかるた」である。

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これが上毛かるた 

「上毛」は群馬県の古称であり、上毛かるたとは群馬県の歴史、産業、名所旧跡や群馬出身の偉人などが札となっているいわゆるご当地かるた、郷土かるただ。

千葉先生が「遊んでごらん」と言って持ってきた上毛かるた。
特に目新しいものもない田舎で、新しい遊びに飢えていた私たちは喜んでそれに飛びついた。千葉先生は上毛かるたによって本当にいい「掴み」をしたと思う。現金な私たちはすぐに先生にも懐いた。

基本的に学校には「遊ぶもの」を持ってきてはいけないというルールがあったが、上毛かるたはそのルールをすり抜けクラスに上陸した。
「学校でゲームっぽいものをしていい」という学びという名目のついた楽しそうな遊びに、普段外を駆け回って野ザルのごとく遊んでいた私たちは夢中になって上毛かるたを覚え、人間のようにきちんと正座をし、そのゲームに熱中した。

その結果、北海道の片田舎に群馬についてやたら詳しい小学生達が量産されたのである。


大人になった今、東京に住んでいることもあって群馬出身の人にもよく遭遇する私にとっては、あの時に培った群馬の知識はかなり役立っている。

まず「上毛かるた知ってるよ」と言うと群馬の人は大体喜んでくれる。
「え?北海道出身なのに?なんで?」というところから始まり「じゃあ覚えてる? "さ”は?」なんて聞かれて、すらすらと読み札の文言を答えたりするともう好感度は抜群だ。
自分の生まれ故郷についてよく知ってくれていると思うと誰しも嬉しくなるようだ。これぞ郷土愛である。


とはいっても、遊んでいた当時は遊びたいだけのただの小学生だった私。
草津温泉など有名で聞いたことのある場所は知ってはいても、見聞きしたことのない名前や、かるた特有の言い回しなどが入った読み札から、全ての情報をきちんと把握していたわけではない。

たとえば「ろ」の札は「老農 船津傳次平 ろうのうふなつでんじべい」という札で、群馬県出身の偉大な農業指導者だった船津傳次平さんという人の絵が描いてあるのだが、そもそもその当時、老農の意味もわからなければ教科書などに出てくる程メジャーな人物でもなかったため何が何だかさっぱりわからない。


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船津傳次平


これをきっかけに船津さんの功績を学んだりするんだよというところまでがゴールなのはもちろんわかってはいるのだが、そこは遊びたいだけの小学生である。
とりあえず、船津さんのヒストリーはさておき「ろ」の札を取りたい私たちは、一つの文言としてワンワードのように暗記するのだ。
勝負に勝つために、エクスペクトパトローナムぐらいのノリで「ローノーフナツデンジベー!」という呪文を覚えるわけである。

でも、そうして夢中になって覚えたおかげで、大人になってから何かの拍子に「そういえば老農ってどう言う意味なんだろう」と調べたり、偶然景色を見かけた時などに「おぉ...これがあの"な"の札に書いてあった杉並木かぁ」と思ったり、昔の呪文が知識に繋がっていくのを後から実感するのだ。


あの時夢中になって群馬のことを覚えた私は、群馬に対してもう一つの故郷のような気持ちで親しみを感じているし、小学生時代を懐かしみながら学びと遊びの喜びを反芻している。


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