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多様性とか正義っていったい何なのか―朝井リョウ著『正欲』

朝井リョウ氏の『正欲』を読んだ。読んだ後も、しばらく胸のあたりがザワザワしていて、この感情をどう表現したらいいかわからない。

作家生活10周年を記念して書き下ろされた379ページにも及ぶ長編作。朝井氏の作品はほとんど読んでおり、文章力、発想力、表現力のすごさに毎回圧倒される。『正欲』も期待を裏切らない衝撃作だったので、言葉で表現するのは難しいかもしれないが、noteに綴っておきたいと思った。

※引用部分(網がけ)はネタバレ注意

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‟多様性”という概念にナイフを突きつける

多様性、ダイバーシティといった言葉が頻繁に登場する昨今。性別、年齢、人種、信仰、趣味嗜好に関係なく、様々な人を受け入れて、みんなで共存していく社会を目指そうね。みんな分かり合おうね、仲良くしようね。そんな風潮が世の中には流れている。

『正欲』を読んだ時、世間に浸透したこの‟多様性”という概念に、ナイフを突きつけられたような感覚がした。「マイノリティと共存しよう」という社会にすら生きられない人たち、自分の心の内を公にしたところで誰からも理解されない人たちがいるなんて、想像もしなかった。

本書に登場する佐々木佳道、桐生夏月、諸橋大也らは、ある種の性癖を抱えている。世間一般の常識とされるところから逸脱した世界で生きている彼ら。自分の性癖や想いを他人に話すことなどできないし、話したところで理解してもらえない。その生きづらさや苦しみは、彼らになってみないと知り得なかったもので、読んでいて胸を締めつけられた。

多様性って、自分が正しいと思う想像の範疇で語っているに過ぎなかったのだと気づかされる。

話し合えば分かり合えると思っていた

私は神戸八重子のように、どんな人とも話し合えば分かり合えると思っていた。これまでの経験においても、他の様々な作品においても、恥ずかしがらず自分の正直な気持ちを伝えるのは大事なことなのだと学んできた。自分の心に蓋をせず、心の内を素直に打ち明ける。自分の気持ちを相手に伝えることで、見えてくるものもあると。

しかし、そんな簡単な話ではなかった。本書を読み、話したところで誰からも理解してもらえない世界があるのだと知った。供述で佳道はきっと真実を明かしたのだろうと思うが、それに対して現に「わけのわからない主張を繰り返している」と言われてしまっている訳で。

彼らの立場になってみた時、「世間に理解される必要なんてないし、理解してもらおうとも思わない」「もう理解し合える人だけで繋がって生きていればいい!」と開き直る自分がいた。

大也と八重子の口論のシーンが印象的だった。

「自分が想像できる"多様性"だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」
「お前らが大好きな‟多様性”って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ」「自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱいある。そう思い知らされる言葉のはずだろ」
「多様性って言いながら一つの方向に俺らを導こうとするなよ。自分は偏った考え方の人とは違って色んな立場の人をバランスよく理解してますみたいな顔してるけど、お前はあくまで‟色々理解してます”に偏ったたった一人の人間なんだよ。目に見えるゴミ捨てて綺麗な花飾ってわーい時代のアップデートだって喜んでる極端な一人なんだよ」

大多数の人は自分が「理解してあげる側」「受け入れる側」という前提に立って、多様性とか共存社会とかいう言葉を口にしている。自分が思う‟正しさ”の中で生きているだけ。正義って何なんだろう。難しい…

「面倒くさいなーもう!」「何から話していいのかわからないなら、何からでも話していこうよ!もっとこうして話せばよかったんだよ、きっと。私も色々勘違いしてたし、今でも誤解してることいっぱいあると思う。でも、もうあなたが抱えてるものを理解したいとか思うのはやめる。ただ、人とは違うものを抱えながら生きていくってことについては、きっともっと話し合えることがあるよ」

八重子の言葉にも、そうだそうだ!と頷いていたのだが、大也たちの生きる世界や感情を知ってしまった今は、これはどうしようもないのだ、放っておいてほしいと思ってしまう。自分と同じ考えのはずだった八重子の言葉が無意味なものに思えて、それもまた切ない。

理解し合える人とだけ繋がっていればいいのかも

自分を隠して、偽って生きてきた彼らが繋がりを求めるのは当然のことであり、佳道と夏月が最悪の事態を免れて、選択した道は正解だったのではないかと思う。みんな死なないでよかった、出会えてよかったと思わずにはいられない。

多様性を認め合って生きようとか言われているけど、認め合えて居心地よくいられるのは、結局のところ同類の仲間だけなのではないかという思いも生じる。理解し合える人の存在って、本当に大切だと思うのだ。同じ想いをもって同じ方向を向いているだけで安心するし、波風立たずに平穏に暮らしていける。

「いなくならないからって伝えてください」

彼らは理解してもらえるわけない、わかってもらおうとすら思っていないなんて言うけど、結局は誰かに理解してほしい、認めてもらいたいと思ってしまうのが人間なんだと思う。そうしないと生きていけない。だから繋がりを求めた。マジョリティに理解されなくてもいいじゃない。わずかでも理解者がいるのだから。

どんな形にせよ、「明日、死にたくない」と思って生きられることが一番大切で、佳道と夏月たちにもそう思って生きていってほしいと願う。

マジョリティにだって苦悩はある

佳道と夏月がマジョリティたちの‟正解”を体験してみるシーンも良かった。

まともって、不安なんだ。佳道は思う。正解の中にいるって、怖いんだ。
みんな、この不安の中を生きていたのだ。

そうなんだよね。佳道たちは悩んで苦しんで生きているけど、マジョリティもみんな不安を抱えながら悩んで生きているんだよ。それぞれ苦しみの種類は違うけど、マジョリティにはマジョリティの苦悩がある。

マジョリティが彼らの実情や想いを知らないように、彼らもまたマジョリティの想いを知らなかった。相手の立場になってみて初めて気づくことがある。

非現実的な話、体ごと入れ替わり体験してみるのが一番早くない笑?それができない現実社会は成す術もないというか。入れ替わりを体験できない限り、すべての人を理解するなんて不可能だし、一見秩序立って見えるこの世界を変えることはできないだろうと思う。

想像力の限界、正解のない問い

強い者が、大多数の者が、正しいと思う正義を振りかざして、自分たちの勝手な想像で自分たちにとって都合の良いように作り上げていく社会。多様性を尊重する今の社会がまったく別のものに見えた。

想像力にはどうしても限界がある。それはどうすることもできないことで、人間の無力さを感じた。

何が正解で、何が間違いなのか、わからない。
正しいとは何か、多様性とは何かの問いに、正解があるわけでもない。

でも読んでよかった。この胸の痛みややるせなさを忘れずに、多様性社会を生きたいと思う。


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