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石巻が育てた天才彫刻家たち

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石巻市複合文化施設「マルホンまきあーとテラス」には、地元出身の彫刻家高橋英吉(1911―1942年)の作品群が展示されています。震災前の文化センターに常設展示され、人々に感動を与…
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#彫刻

引き継がれる文化豊穣

引き継がれる文化豊穣

 私の手元に伊達政宗公騎馬像小品を3Dスキャン・プリントで複製した縮小レプリカがあります。これは第1話で紹介したギャラリー南製作所の「小室達展」で行ったクラウドファンディングのリターン(返礼品)です。その他に図録や絵葉書もありました。

 この企画は、劣化が進む石こう像を支援金で後世まで残すことが目的で、昭和15年作の「童(わらべ)」(息子の穣嗣さんがモデル)がブロンズ化され、柴田町に寄贈されまし

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令和2年 もう一つの正輔像

令和2年 もう一つの正輔像

 私の手元に「石母田正輔翁像」(正輔像)の写真があります。住吉公園の像ではありません。

 令和2年1月、正輔の五男達(たつ)さんが、神奈川県でご存命であることが分かり、連絡すると息子の大(だい)さんが対応してくれました。

 家に石こうの正輔像があるというので、てっきり住吉公園の正輔像の原型(石こう像)だと思い説明すると「石巻の正輔像は何度も見ていますが、それとは違うものです」と返ってきました。

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昭和28年 市制20周年記念の像

昭和28年 市制20周年記念の像

 私の目の前に昭和28年に撮影された石巻市制施行20周年記念の「石母田正輔翁像」(正輔像)除幕式後の写真があります。

 達の日記が27年11月6日の野田眞一翁像完成で終わり、写真のアルバム、新聞記事のスクラップ帳を見ても正輔像がどうなったのか分かりませんでした。

 ある時、別な資料を見ていると「石母田正輔翁」という文字板が見える見覚えのある胸像の写真が出てきました。記憶をたどると私の石巻生活が

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昭和27年 謎が残る最後の日記

昭和27年 謎が残る最後の日記

 私の手元に昨年3月からしばたの郷土館(柴田町)で開催された「小室達生誕120年展」のリーフレットがあります。展示作品には、開催の半年ほど前に発見された6点が含まれていました。

 そのうちの木彫3作品「白拍子」、「一條一平壽像」(白石市の鎌先温泉一條旅館17代目)、「野田眞一翁像」(南郷村の篤志家)は昭和27年の代表作です。それぞれが、どのように制作されたのか日記で調べていると、6月8日に「石巻

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昭和12年 今も残るゆかりの場所

昭和12年 今も残るゆかりの場所

 私の目の前に「鶏釜めし」があります。場所は「割烹滝川」です。

 昭和12年7月15日から石巻を訪問した達は、3日目にいろいろな場所に行きました。日記には「木村得太郎氏らと4人で小室十郎君を訪ね、宝印舗に寄った。石母田前市長を訪ね就床中故遠慮し後、毛利コレクションを見学す。三万点のコレクションあるに驚きさらにあらゆる方面の造詣深く全く斯道の学者である。この頃より雨となり此処を辞去して松泉堂支店に

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昭和12年9月 水利事業の功労者

昭和12年9月 水利事業の功労者

 私の目の前に達のアルバムに貼られた「氏家栄次翁 桃生郡佳景山」と書かれた写真があります。日記を調べると昭和12年に制作されたことが分かりました。

 始まりは3月15日「鹿又村の熊谷喜蔵氏から水利翁氏家氏の胸像建立するに就きその代価の問い合わせに接した」でした。その後、制作を依頼され、5月5日に渡辺忠右ヱ門と一緒に佳景山の広渕水利事務所を訪ねました。

 そこで、胸像建設委員に会い建設予定地を調

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑨ 令和2年 新たな作品との出会い

石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑨ 令和2年 新たな作品との出会い

 私の手元に英吉作品の石こう像の写真があります。私が英吉の参考書と思っている「青春の遺作 高橋英吉 人と作品」にも写真がない新たな出会いの始まりです。

 初めて幸工房を訪問した時、事前の電話で幸子さんに英吉作品の所有について聞きました。手元には残っていないということでしたが、訪問した際に「そういえば、7年ほど前に戻ってきた石こう像があるよ」と教えてくれました。

 次の訪問で、微笑んだ男性が足を

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑪ 時は流れて 90年前を追体験

石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑪ 時は流れて 90年前を追体験

 私の手元に「常在寺」の写真があります。何度か紹介している「青春の遺作」に、英吉とゆかりのある寺として写真入りで紹介されている寺で、この目で確かめたいものがあり令和元年の秋に訪問しました。

 この日、英吉と達のお子さんによる「現代の初対面」に立ち会い、ほのぼのとした気分になった私は、次にJR日暮里駅(東京)で下車しました。常在寺は駅周辺の寺が立ち並ぶ地域にあります。

英吉が美校時代に住んだ常在

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑫ 私の願い 未来を拓く英吉の道

石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑫ 私の願い 未来を拓く英吉の道

 私の手元に海の三部作(黒潮閑日、潮音、漁夫像)のポストカードがあります。

 これと同じものが石巻市指定文化財旧観慶丸商店の2階にも展示されています。さらにその横には、第4話で紹介した市制施行50周年記念の潮音のレプリカ像があります。石巻文化センターにあった英吉作品が宮城県美術館に保管されている今、写真や複製ではありますが、石巻で英吉を感じることができる貴重な展示物です。

旧観慶丸商店に展示し

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月 初めての石巻訪問

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月 初めての石巻訪問

 彫刻家・小室達(1899-1953年)は、昭和初期に石巻をたびたび訪れ、多くの人と親交を深めた。日記にはその時々の感想や思い出などがつづられており、当時の石巻の様子を伝える記録としても貴重だ。第2部は達とゆかりの人たちに焦点を当てていく。(全20回)

 「石巻渡辺氏からの書面があった。人間小室は、石巻に好印象を与えたらしい」。私の目の前にある昭和6年の小室達の日記に、こう記されています。

 

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和4年8月 キーパーソン「渡忠」

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和4年8月 キーパーソン「渡忠」

 私の目の前に達の昭和4年の日記があります。巻末の人名録には初代忠犬ハチ公の制作者安藤照や村田勝四郎などの美術仲間の住所が並んでいます。その中に「石巻 渡忠 石巻町中町内海橋通り」という記載がありました。6年7月の石巻訪問以前のことを再度調べた時、巻末で見つけました。

 最初に調べた時は、主な出来事と作品制作ばかりに目がいっていたため、石巻関連で見逃している部分がありました。日記に初めて石巻のこ

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年2月 佐藤露江記者へ手紙

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年2月 佐藤露江記者へ手紙

 私の手元に「露江句集 海の門」(昭和7年10月10日発行)があります。石巻と達について調べる上で重要な資料と考え、入手しました。

 奥付には著作者佐藤露江(ろこう)、印刷者木村得太郎、発行者菅野純一郎、発行所郷土社書房(石巻町坂下通)と書かれています。著作者の露江は石巻日日新聞社の社員でした。印刷者の得太郎は、第1話で渡辺忠右ヱ門から紹介された人物です。

 達の日記に初めて名前が出てくるのは

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月㊤ 石母田市長との親交

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月㊤ 石母田市長との親交

 私の目の前に「石母田正輔」の写真があります。達が残した写真帳に貼ってあるもので、写真の下には「石巻市長 石母田殿」と書かれています。撮影場所は、正輔宅だと思われますが、どのようなつながりで、石巻市長と親しくなったのでしょうか。

 達の日記に正輔が登場するのは町長だった昭和6年です。7月の石巻訪問の2日目の夕方に町長宅の招待会に出席した時です。日記によると、やはりトレードマークの長ひげが印象的だ

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月㊥ お気に入りの菓子店

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月㊥ お気に入りの菓子店

 私の手元に昭和初期の「石巻もなか」の箱があります。箱の表書きには「登録商標 石巻土産親玉」「於各博覧会共進会 名誉金銀銅碑 数十個受領」と書かれていています。発売していたのは松泉堂です。本店は陸前石巻仲町にあり、第1・2支店もあったようです。

 昭和6年7月5日、石巻訪問の1日目の夜、町の歌人連の招待会に参列した帰り道、達は、この店へ寄っています。12時近くに宿泊先の渡辺邸に戻っているので、夜

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