今の私に何もないこと、だから今の家族の形があること
下の子供が大学に進学し、1年が経った。
まだ幼い子供の面倒を見ているお母さんたちからしたらものすごくうらやましい状態、、、それなのにまだ私は、自由になりきれていない。
言い換えれば、自由になる決心をしていない。
自分のなかの何かが、家庭という場所を最優先すると決めているのだ。
卒業式の保護者のスピーチでよく言われる”生まれたときのこと、幼い頃のことが昨日のように感じられる”という言葉は、ありきたりに感じる方もいるかもしれないが、本当にその通りであると思う。
上の子は普通分娩の予定 → 予定日近辺になってからの帝王切開手術に変更。
両方の両親・姉妹が手術室前で待っているという意外な展開、
初めて自分のお腹から別の命が取り出された後の初対面の感覚。
感動もあったけど、少し不思議に感じたかも。。(普通分娩じゃないから余計だと思う)
若すぎたから、想像より出産後のお腹が凹まず、着たい洋服が着られないことや、傷が大きくて腹筋に力が入らずにショックも大きかった。
赤ちゃんの突然死のニュースが割と流れている頃で、「若いから子育てができなかった、子供が可哀想」と言われないように必死に育児雑誌を読んだり、小児科で出された薬を調べたり、、。
下の子は半月前に帝王切開で計画どおり取り出された割には、「ズシッと重くて落としそうだった」と医師に言われるほど大きかった。
自分が姉妹しかいなかったから、男の子が出てくることを不思議な感覚として捉えていた。お腹から、小さなおっさんが出てきた!!!
さすがに2回目ともなると自分の体型の変化なんて全く気にならなかったけど、お腹から出てきた、異性の赤ん坊の可愛さに驚いた。女の子ももちろんかわいいけど、全然違う可愛さで。こんなおっさんぽくて、伸びをするときもヤカンみたいな音出してるのに、こんなに愛おしいんだって。。
若いからこそ周りはみんな現役で、面倒を見てくれる人や相談できる人なんていなかったから、若いうちのパワーや発想力や感性や、全てのものを活かしきれず、機嫌も体調もおぼつかない子供たちと日々悶々としていた。
自然あふれる田舎で食べるものにも困らず、それは、十分に幸せと言うことができる状態だとも気づいてはいたんだけど・・・
色々あって義理の両親との同居状態を解消すると、やはり生活が不安定になって、色々な仕事をした。子供たちの面倒を見られる・家事を優先にできる範囲でより待遇のいい仕事を求めて、デスクワークに挑戦したり、1ヶ月更新の非正規雇用では、と手に職をつけるためにパン屋さんで働いたり。
どんな時も家族の事を考えて、合わせた仕事や行動をして過ごしてきた。
レストランのキッチンで正社員の募集を見ても、”夜遅くまで家を留守にして、家族とご飯を食べないのは自分的に違うな”とか
昔やりたかった事を勉強して都会に行けばいい仕事があるかもしれないけれど、”勉強のために毎週末留守にするのは家族で過ごす時間がなくなるのはどうかな、今私にかけている予算はないな”とか。
”子供が人見知りにならないためにも、できるだけ多くの人に遊びに来てもらおう、自分が合うとか合わないとかではなくて”とか。
旦那に気を遣っているんじゃなくて、なんとなく、自分の中の母親像っていうところで納得がいかなかったのか、感覚的にうまく行くように進めていたのかはわからないけれど・・・
何も持たず、どこへ行ってもよそ者の非正規雇用と比べて、責任を持って仕事している正社員にあこがれて、どうしようもなくなりたかった時期もあるけれど、今では1つの会社に縛られず自由で色々なことに挑戦できる、非正規雇用にも慣れきってしまった。
子供たちも大学に行き、それぞれ別々の生活をしている。
旦那は結婚当初から、野球にあけくれて家にじっとしているようなタイプでもない。
さぁ。自由だ!
まって?? 私には、本当に何もない・・・
*****
それでも、今の家族の形があること。
それぞれ考え方や時間の違い方は違うけれど、毎日家族LINEで盛り上がって
休みのたびに子供たちが帰ってきて、あった出来事を報告したり、宴会みたいに飲んだり食べたり。
私自身には子供から学んだ以外のことは何も残っていないけれど
きっと、自分に何も残らなくても、家族の未来につながってほしいという私の想いがあったからこそ、今の家族の形があるんだなぁ・・・
さて、これから、母はどう進もう?
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