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2023年1月の記事一覧
人間の「性格」について。
人間の「性格」って、なんだろう?
というのをね、以前、考えてみたときがあって。
それで思いついたのは、その人が
どのような「ことば」を使うのか、
ってゆうことがさ、つまり、その人の
「性格」なのではないか、と思ったのよね。
とは言ってみても、でも、それは
「ことば」だけでは計りきれない、
とも考えるの。
たとえば、あることばを、
どういう声で言うか、とか、
どういうスピードで言うか、とか、
ど
ことばが変化すること、ことばが残ること。
中学生や高校生のころ、
国語の授業が不得意だったぼくは、
古文というのも苦手だったけれども。
今になって考えてみれば、
古文って、不思議、というか、つまり、
じぶんたちが生まれる前のもっともっと
昔の人によって記されたことばが残っていて、
今でも読むことができる、って、
すごいことだなあと思える。
いや、ぼくの場合は知識が無いので、
実質的には「読む」ことはできないけど、
それでもね、現在ならば
「いとおかし」のことを思い出しながら。
きのうとおとといのブログの中でね、
「お菓子」について考えていたら、
これはダジャレで申し訳ないのですが、古文の
【いとおかし(いとをかし)】
のことを思い出していたんだった。
古文についてぜんぜん詳しくないぼくでも、
【いとおかし】とは
「とても趣きがある」のような意味がある、
ということは知っている。つまり、
【おかし】とは、現代の日本語では
「おかしい」とか「変」とか、言うなれば
よくない
ぼくの好きなお菓子のこと。
ぼくのすきなお菓子のことを言うとすると、
たとえば、「アルフォート」はね、
ミルクチョコレート小袋10枚入りを、
だいたい、いつも、家の棚で常備している。
食べながら、そろそろ無くなってきそうになれば
ちょっとさみしくなってくるぐらい、
「アルフォート」好きだなあー。
また、常備とは言えないのですが、
いつも買っているのはね、
「キットカット」のミニの
「オトナの甘さ」12枚入り、と、そして、
摂氏と華氏と生物の繁栄。
おとといにひきつづき、昨日の夜も
車の温度計には「−1℃」と表示されていて、
温暖と言われるここ愛知県豊橋市でも、
時間帯によってはマイナスの気温が登場している。
マイナスということはさ、つまり、
水が凍るということで、
ならば人間だっても、成人の場合では
65%ぐらいが水なのだそうだから、
人間だっても、凍ってしまうのか。。。
と、ここで思い出されるのは、
気温の単位には、
「摂氏」と「華氏
「−1℃」の表示と健康と安全と。
こうもさむいと、もう、
「さむい」のことしか、
かんがえられないなあ。
さむい〜。
ぼくの住む愛知県豊橋市は
温暖な地域と言われていて、
雪だってもほとんど降らないし、ましてや
雪が積もるのは十年に一度ぐらいかな。
たとえば、昨年のクリスマスの日のとき、
名古屋は大雪だったけれども、
豊橋では積もることも、もしくは
雪が降ることも無かった。
そんな豊橋市でもね、
昨日の夜、車の温度計には
「
明日のブログのことを考える日々。
日々、ブログを書く、ということは、
日々、明日のブログはどうしよう?
と考えることと同義だ。
つまりはさ、
毎日、ブログを書く、ということは、
毎日、明日のブログについて考えることであり、
それはつまり、たとえば、
今日のブログを書き終えて、
その文章を見直して、公開してから、
ほっとしたのもつかのま、即、
明日のブログのことを考え始める。
そんな明日のブログのことをね、
食事をしながらも考え
振り向かずにディスカバリー。
先日のブログでは、そのブログをしるしながら
ふと思い出していたMr.Childrenの
『#2601』という曲の歌詞を、
すこし引用するようにして書いたですが。
それからなんだか、この
『#2601』を無性に聴きたくなって、ひさしぶりに
Mr.Childrenの1999年リリースのアルバム
「DISCOVERY」を聴いていたの。
アルバム「DISCOVERY」の発売当時、
ぼくは高校2年生なのか
伝えたいことがあるんだ。(『I'll be』ver.)
前回noteでは、どうしてぼくは、
こうして日々ブログを書いているのか?
ということについてしるしましたが。
もうすこしこのことについて考えてみると、ぼくは、
こうして日々ブログを書きながらも、
なにかを、だれかへ、
「伝えたいこと」というものは、
とくに持っていない。
ともすれば、ぼくは、
なにについて、だれにあてて、
ブログを書いているのか?
というのも、よくわからないんだ。
たとえば、
ぼくには何も創り出すことができない。
ぼくは、おとうふが好きなんだなあ。
たとえば、
夏ならば冷やっこ、そして、
今の季節ならば湯どうふ、
なんて、もう、さいこうだし。
はたまた、どの季節だってもね、
麻婆豆腐はうれしすぎる。
そんなおとうふ好きのぼくなのですが、
そのおとうふがさ、
どういうふうにして創られているか?
ってゆうのはよく存じない。
原材料が大豆だということは、
知ってはいるけれども、でも、
大豆をどのようにしてから
思い始めているような気がすること。
昨日のブログでは、現在40歳のぼくは
これからだんだん老いながら、
いつか亡くなる、ということをね、
このごろ、どことなく
じぶんの中で思い始めているような気がする、
みたいなことを書いたのですが。
とは言ってみても、
「思い始めているような気がする」
ということは、まだ、ぜんぜん
その入り口のドアへと手をかけた、
ぐらいの感覚で、つまり、
「老い」とは何か?
なんてえのは、まったくわかんない。