人間の「性格」について。
人間の「性格」って、なんだろう?
というのをね、以前、考えてみたときがあって。
それで思いついたのは、その人が
どのような「ことば」を使うのか、
ってゆうことがさ、つまり、その人の
「性格」なのではないか、と思ったのよね。
とは言ってみても、でも、それは
「ことば」だけでは計りきれない、
とも考えるの。
たとえば、あることばを、
どういう声で言うか、とか、
どういうスピードで言うか、とか、
どういう表情で言うか、とか、
だけに限らず、その逆に、
話していないときには、
どういう表情をしているか、とか、
相手の話しを聴くときには
どういうふうにして聴いているか、とか、
相手の話しのあとでじぶんが話すときには
どういうタイミングで話しを切り出すか、とか、
ってゆうような、もろもろ、あらゆることが
性格に関係しているとも思われるけれども。
それをつまり、総称して言ってしまえば、
どのような「ことば」を使うのか、のことがさ、
その人の性格なのではないか、
って考えたんだった。
そして、ともすればっ、
このじぶん自身の性格だっても、
もしも、もしかしたら、もしかすれば、
変えられるような気がしたんだった。
つまりはさ、たとえば、
こういう性格でありたいな、というような
「ことば」を言うことができれば、つまりん、
そういうような「ことば」をね、
場面場面の要所要所で、
思いつくことができるとすれば、それが
じぶんの性格へと成ることができる。
って考えてみるとね、なんだか、
ドラマや映画で演じられる
俳優さんのようにも感じるけれども。
でも、そのことばを、
単発の場面だけで使ったとしても、
じぶんの性格に対して影響は少なくって。
そういうようなことばを、
日々、使い続けながら、
じぶんに定着させる、というか、
じぶんのなかで一貫させられるようになれば、
それはもう、じぶん自身の
性格なんじゃあないかなあー。
ってゆうのをねぇ、
考えてみたんだけれどもぉ、
まあ、そんなに、かんたんに、
うまくゆくわけでもないと思うけど、
「性格」におけるあるひとつの希望として、
そういうことを想っているのよね。
「ことば」は大切だ!
というのもよく言われるけれども、
たとえば、「ことば」とは、
人の性格に関係してくるんだともすれば、
なおのこと、大切だなあ〜。
令和5年1月31日