地元のパン屋さん

こんにちは!大学生でした。大学は医療系の大学で作業療法を学んでました。中高ではハンドボ…

地元のパン屋さん

こんにちは!大学生でした。大学は医療系の大学で作業療法を学んでました。中高ではハンドボール、大学ではラグビーをしてました。趣味→カフェに行って本を読んだりダラダラ

最近の記事

立ち飲み日記

こんにちは。地元のパン屋さんです。 今回は1人で飲んでてたまたま声かけたおじさんが俺の親父と同世代だった話を少ししようかなとおもいます。 声かけたおじさんは空港で接客業をさせてる方であと2年で還暦を迎える方でした 職場だったらその年代の方と話すなんてできないですがアルコールがあるから話しかけることができました。 今ではもう還暦間近ですが昔は和風居酒屋で厨房やったりハンバーガー屋さんで働いてたり今の僕ら世代で話すようなことを話してました。今の仕事ついてからは若い頃は朝ま

    • 己を騙して生き抜く23歳

      こんにちは地元のパン屋さんです。 最近23歳になり、一般的には社会人としては一番若手という立場にいます。社会人という新たなカテゴリーに参戦し、新たなフィールドで戦うことになりました。それは人間関係という側面でも恋愛の側面でもいえます。 ここからは恋愛の側面での話をしてその僕の思っていることを表現したいと思います。 大学生からしたら23歳は社会人で良い印象があるとは思いますが僕としてはどうしても1歳下としても大学生というカテゴリーにいるというだけで腰が引けてしまいます。 し

      • チーム医療=チーム友達?

        こんにちは。地元のパン屋さんです。 4月から作業療法士として働きながらもう1か月が経ちました。まだまだ右も左も分からずとにかくがむしゃらにやっています。 1か月働く中で、一つ思ったことがあります。それは 看護師とか医者ともっとラフに話せたら楽なのになぁと感じました。 最近はチーム医療という様々な医療職が連携して患者さんを支援するモデルが当たり前になっています。そのため他の職種との情報交換は必要不可欠です。私自身リハビリでは少ない時間でしか関われない患者さんの事を看護師の方や

        • 菅田将暉が周囲に4人

          こんにちは。最近は春の暖かさを感じられるくらいな季節になりました。 春は入学式や社会人になったりと、出会いの季節になりましたね。また別れの季節でもあります。 最近私の周囲の友達が4人も彼女と別れたり、復縁を断られたりと人との別れが多いやつが多いです。こんなにも自分の周囲で別れたりしていると、何か俺が桃鉄の貧乏神的な存在なのかと変な事を考えたりします。 もっと現実的な話をすると、私の年代は新社会人になり生活が大きく変わる時期ではあるのでそこで彼女との距離が自然と離れてしまうの

          アルコールの春

          1人飲みの3月 三月はまさに人生最大のお酒に溺れた年であろう。国家試験も終わり、引っ越しも終わったため時間が凄く空いていた。この3月で何を得たかと言われたらそれは1人飲みできる度胸を手にいれたぐらいであろう。現在は北千住に住んでいるがここは本当に飲み屋が多い。 といっても、渋谷や新宿のようなおしゃれなお店ではなく、昔ながらのお店や簡単に言うと汚いと言われるお店が多い気がする。しかし、後者のようなお店は汚いでは表現が間違っているとも思わされる。どこか暖かさすら感じるようなお店

          大学4年間を振り返る

          2024年3月1日久しぶりに日記をかくことにした。先月作業療法士国家試験を受験し自己採点では合格点を超えることができた。また試験が終わった後も休むことなく引っ越しや卒業旅行に出かけていた。 4年生は今振り返ればとても多くのことが起こった。多分今後の人生でもなかなかこの濃い1年を超えることはない。 4年生のことは以前もたくさん述べてきたし、今更書くことでもない。 せっかくだからこの大学生活全体でも振り返りたいと思う。 1年生、まずこの時は今後も語り継がれるであろうコロナが大流

          大学4年間を振り返る

          採用

          今日某病院から採用をいただくことができた。 その病院は歴史があり、見学をした時から非常に魅力的な病院でここで働きたいと思っていたから非常にうれしい。 採用面接の際に、自分はがんリハビリテーションの研究を将来的には行いたいこと、多くの患者様に高度な医療を提供したいことを伝えた。 この決意は入職後も忘れてはいけないと感じている。 今は学生の身分で、実際の医療の世界に足を踏み入れていないから夢は大きく言える。だから今の自分は何もすごくないし、周囲から評価される人間ではない。社会

          最愛なる父の死を無駄にしない

          8月20日「お父さん最後までリハビリしたいって。携帯を操作したいって言われていましたよ」と意識が昏迷な父の担当看護師さんが言っていた。おそらく私が父に面会に来るたびにリハビリをしてもらいなと言っていたことや、私が作業療法を学んでいることから父の言葉を生んだのだろう。翌日21日9時25分、父は天国に行ってしまった。昨年父はステージ4という最悪な状態で胆のうがんが見つかった。私はその話を聞いた時から、父が助からない事なんてわかっていた。でもこんなにもがんが父の体をむしばむなんて思

          最愛なる父の死を無駄にしない

          KPはキーパーソンでなく乾杯のKP

          2023年8月27日7時47分 今僕はパソコンに向かうことにした。今日は父の火葬当日である。 昨日はなぜか寝付けず、今日はオールになってしまった。 保険屋さんからいただいたお線香を焚きこのパソコンに文章を打つ。 父が亡くなって6日。今だ実感がない。正直自分と父は大学に入ってからはあまり会話をしない事も多かった。嫌っていたというよりはバイトで帰りが遅くなってしまったり、生活リズムが違ったこともあるが、正直父と話すことが恥ずかしかったのだろう。多分父も息子と話す事は少し恥ずかしい

          KPはキーパーソンでなく乾杯のKP

          8月21日父逝去

          8月21日9時25分逝去。 7時23分病院から電話が来た。父がそろそろという電話であった。急がなくてもいいので午前中には来てくださいと伝えていただいた。 私はその言葉を聞き、目が覚めた。以前から準備はしていたものの心臓の鼓動は意識出来る範囲で早くなっていった。 朝食を食べ兄と一緒に向かうことにした。タクシーで向かうか時間はかかるがバスで行くか悩んだ。その時私は直感的にタクシーで急がないと死に目に間に合わないような恐怖感に襲われていた。しかし、午前中に向かえばいいと思っていたの

          父の横で最期を待つ

          2023年8月20日16時32分父の横でパソコンを打つ。 父の最期を見守るため横にいる。そんな中僕はこのブログに自分の想いを残したい。 父と最後に会話したのは1週間くらい前であろうか。最後の会話になるとは知らずにその日に病室を出る際に聞いた「ありがとさん」という言葉を脳裏には焼き付けていなかった。 昨年宣告されたステージ4の胆のうがん。父は一生懸命死に抗った。たくさんの治療をした。時には涙を流しながらも。病はそんな事さえも跳ね返す。当初医師に言われていた「抗がん剤をしなければ

          父の横で最期を待つ

          根性だろ父よ

          2023年8月11日午後4時父の面会に向かった。 約2週間前医師から電話があり、いよいよ峠であることを伝えられた。 終末期という言葉は幾度となく聞いてきた。それにそのような患者様はたくさん診てきた。 そのような患者様を見てきたはずなのに、親父の今の姿を見ると涙が止まらない。 8月4日に母は精神病院に入院した。7月に精神クリニックに連れていくと統合失調症であった。驚くことに2年前にもうすでに診断されていた。当時は母が一人でいっていたので誰もその事実を知らず今日まで至った

          父には言えない1159文字の想い、夢

          6月27日 入院による父の抗がん剤治療が始まった。2日間かけて抗がん剤を点滴で投与し2日安静で退院するスケジュールである。これを合計7回行う。治る治療でない。簡単に言う、これはただの命を引き延ばす延命である。 今は2回目の抗がん剤治療で入院している。しかし父は今肺に水が溜まり抗がん剤を予定通り行えず入院が伸びているところでいる。 今日は実習が休みであったので面会に行ってきた。父を見た時に感じた昔の頑固さや父の尊厳という衣装をまとった偉大な姿はなかった。副作用で髪を抜けて所々が

          父には言えない1159文字の想い、夢

          死んでから泣けばいい

          6月7日、父の故郷の奄美大島に帰った。 父は歩けるうちに故郷に帰り、家族に挨拶がしたかったのだろう。 いわゆる終活だ。 羽田までバスで向かい飛行機に乗る。奄美大島まで2時間くらいであろう。 父は奄美大島に着陸寸前に涙を浮かべていた。父は最近涙もろい 到着後父の兄弟が迎えに来てホテルに行く。 ホテルはすごくきれいで海が見えるいわゆるオーシャンビュー。 夕食は奄美に居る親戚で集まり、父は1年ぶりに酒を飲む。 父は乾杯の音頭の時に、泣いていた。自分でも驚くくらい泣いていた。 酒が進

          死んでから泣けばいい

          父の涙はどんな映画より泣ける

          2023年5月22日に父は約1か月の抗がん剤治療の結果を伝えられた。 腫瘍は大きくなっており、もう今の治療は難しい。余命は3ヵ月。 要はもう死ぬしかないのだ。この死を宣告された本人の気持ちは想像を絶しているだろう。 私の気持ちは父の死に対して受け止め切れていない。私は父が泣いている姿を見たのはほぼない。しかし、父はここ数日自分のこれからの事を話すとき必ず泣いている。今までは強がっていた父はもういない。死が怖い事を自分の気持ちの中では抑えきれていない。死ぬのが怖いのだ。それは

          父の涙はどんな映画より泣ける

          父の涙を見た日

          今日は来週に控えた抗がん剤治療の説明を受けに行った日。 父といつもと同じように医師の話を聞いて来週の抗がん剤治療の同意書にサインする。 説明が終わり、父と母と自分でコーヒーでも飲み休憩することに。母は購買に買い物をいっている間、父と久しぶりにまじめな会話をした。 そこで父は来年自分の母が13回忌を迎えるにあたり、行けないからお金だけ送ると話した。なぜいけないのか。私は考えた。父は自分が来年生きているかすら危ういし、地元に戻れるほどの体力は残ってないと覚悟していたからだ。こう思

          父の涙を見た日