8月21日父逝去

8月21日9時25分逝去。
7時23分病院から電話が来た。父がそろそろという電話であった。急がなくてもいいので午前中には来てくださいと伝えていただいた。
私はその言葉を聞き、目が覚めた。以前から準備はしていたものの心臓の鼓動は意識出来る範囲で早くなっていった。
朝食を食べ兄と一緒に向かうことにした。タクシーで向かうか時間はかかるがバスで行くか悩んだ。その時私は直感的にタクシーで急がないと死に目に間に合わないような恐怖感に襲われていた。しかし、午前中に向かえばいいと思っていたのでその気持ちを押し殺しバスで病院に向かった。
病院につき病室に向かう中で病院から電話がきた。その瞬間、自分の中の鼓動は一層早くなった。電話に出る。今どこにいますか?急いだほうがいいかもしれません。と看護師さんから言われた。その時自分は安心した。良かったまだ生きている。生きている間に感謝を伝えられる。私たちはエレベーターに乗り病棟に到着した。到着し、看護師さんが待っていた。少し看護師さんの顔は神妙な面持ちであった。看護師さんに連れられ病室に向かう。
ドアを開けると、ブー、ブーという不快な音が暗闇の病室に響き渡っていた。看護師さんは口を開いた。たったさっき息を引き取りましたと。
何故だろう。言われたあと、数秒間の間この心電図の音と暗闇の部屋で父をただ茫然と眺めていた。おそらく自分の中でこの現実を受け止めることに対して時間がかかっていたのだろう。そう感じられたのは、眺めたあと涙がこぼれてきたからだろう。やはり直感で感じたあの恐怖感は間違っていなかったんだ。父は今にでも起きそうな姿で亡くなっていた。2階のリビングで寝ている時となんら変わらない姿である。ほら、起きてよ。仕事に間に合わなくなるぞ。起きて俺らに口うるさく世話焼きしてくれよ。
父はプライドが高く、きっと息子のまえで死ぬのが恥ずかしくギリギリで先に旅立っていたのだろうと感じた。そう思うと少し笑ってしまった。
その後父は看護師さんに私服に着替えさせていただき、伸びきったひげも剃ってもらった。病室から霊安室に向かう際、看護師さんたちが頭を下げ父はがんと闘った戦場を去った。
父が戦った約半年はがんの勝利で終わった。がんよ、お前の事は何が何でも許さない。待ってろよ。いつかこの最愛の父にしたことをやり返してやるからな。

昨年から始まった、僕の父との病との戦いも終わった。名前は伏せるがここまで僕の話を聞いてくれていた方々に感謝をしている。1人には感謝を伝えることができたが、もう1人は連絡が出来ないのでここで伝えよう。
支えて頂いた皆様のおかげでここまでなんとか乗り越えてこれた。そして父の死まで見送ることができたと思います。ありがとう。本当に心から感謝しています。

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