連載十七回 「どんなことをしようとも、自分のすることを愛するんだ」
◆一九九三年十月 渋谷
第六回東京国際映画祭ー、これが僕が初めて行った映画祭だ。渋谷のBunkamura cinemaで映画「ラストソング」の初公開の日。これをワールドプレミアというのだと業界ではいうらしい。大学のある草加から渋谷までは電車にのって一時間あまりの距離なのに心の距離はどこか遠く感じる。ましてや国際映画祭って一体何を着ていったら良いんだろうかと弘樹はそわそわしていた。「舞台挨拶があるなら一緒に行くわ」とR女史が言ってくれたのが救いだった。
「何か質問など出来るかもしれないよ」
と彼女に伝えるとあっさり、
「弘樹くん頑張ってね!」
と返されてしまった。そんなの無理に決まってるだろと今さら言えないムードだ。こういうのをドツボにはまると言うのだろう。僕は色々な妄想シュミレーションをしながら会場に入る。
ドキドキしていた…。監督は「北の国から」で有名な杉田成道、主演は本木雅弘と吉岡秀隆、ヒロインは安田成美。開演と共にいきなりその四人の登場。主演のもっくんの立ち姿がすっくとしていてかっこいい。離れた位置からでもただならぬオーラを放っていることが分かった。これがスターというものなのか……。
マイクが順番にまわる。吉岡くんは照れながら、「吉岡です、今日はありがとうございました。映画観て楽しんでください…」みたいな感じで終了。えっ!確かに舞台挨拶とはなっているけど、一言だけの挨拶で終わっちゃうの?と思っていたらホントにみんなそんな感じであっけなく退場の運びになった。
会場が暗くなり、製作委員会のクレジットが流れ、映画は始まった。
「終わってからトークショーとかあるかな?」
R女史が小さく耳打ちしてくる。
「分かんないよ、多分やらないんじゃない?」
物語の世界に吸い込まれ、僕はいろんなことがどうでも良くなっていた。
特殊なライティングとスモークを多用したお洒落な映像。身体を激し
く揺らし、怒りを絞り出して歌うロックミュージシャンのシュウちゃん(本木雅弘)。クローズアップで華麗なギターソロで乱入してくるイナバカズヤ(吉岡秀隆)。なんだか圧倒されっぱなしだった。
物語は、九州からプロデビューするために上京する仲間が一人、また一人と脱落・離脱しながら「どこかに行きたい、一緒に連れて行ってほしい。でもそれでは結局どこにも行けないんだ」と葛藤する中で激しく、そして静かにぶつかりあっていく。美しく、とても寂しい映画だった。
『どんなことをしようとも、自分のすることを愛するんだ。 おまえが小さい頃、映写室を愛したように…。』 これは映画「ニューシネマパラダイス」のアルフレードの言葉だ。イタリア、シチリア島からローマへ出て行くトトに、アルフレードは語りかける。その言葉はまるで監督のジュゼッペ・トルナトーレ自分自身に語りかけるように、 息子に何かを託すかのように、 力強く、そして愛にあふれている。
そして、更に彼は言う。 「二度と帰ってくるな、電話も手紙もするな。おまえが帰ってきても俺は会わない。 何があってもおまえのやりたいことをやりとおすんだ」 映画「ラストソング」を観ながら、僕はこの言葉を思い出していた。 僕にはどうしても忘れられない台詞だった。 結局、トトもアルフレードもその後アルフレードが死ぬまで一切連絡をとらなかった。 本当は会いたかっただろうに…、ほんとに映画っていうのは…、いや人間の現実というものは残酷で美しすぎる。
「ニューシネマパラダイス」の日本での公開年月は一九八九年十二月六日シネスイッチ銀座。 史上空前の四十週以上に及ぶロングランをはたし、二百数席しかないたった一館のみの公開で二十七万人以上を動員。 興行成績三憶七千万円を記録。これは今でも単館興行成績一位であり、恐らく今後も破られることのない奇跡の上映だったといわれている。
目の前に映る「ラストソング」を観ながら弘樹は「ニューシネマパラダイス」を観ていた。そして初めて魂を揺さぶられたあの時の興奮が呼び戻されていた。
「お前は自分のすることを愛すことが出来るのか?時に非情にも成り得ることに躊躇いはないのか?」そう問われているような気がしてならなかった
後日、僕らの観た「ラストソング」で、もっくんが東京国際映画祭で主演男優賞を受賞。モスクワ国際映画祭でも同賞を獲り、国際映画祭において日本人では三船敏郎さん以来の快挙だと聞いた。現代のミフネと呼ばれても、あながち間違ってはないだろうなと思う。
◆ 久しぶりのJからの手紙
『拝啓 北国の冬は予想していたよりも早く、そして厳しい。釧路では雪は降らないと聞いていたが、何のことはない。つい先日も一日中降り続いた。路肩に残された雪は氷となり、次第に厚さが増していく。食事の方も自然と鍋物が多くなり、当然酒の量も増える。街も人も、かもめさえ寒そうにしている。
元気にしているだろうか…。長い間手紙も出さずにいて申し訳ない。今までいろいろなことがあった。僕だけどうしてこんなに傷つけられなければならないのかと他人を、そして自分を責めたりもした。気分転換にと毎週のように釧路を出た。プールに泳ぎに行った。毎日五キロ走り込むようになった。
でも何も変わらない。釧路は相変わらず寒いし、僕の心も寒いままだ。こうなったら寒くなる前の状態に戻せばよい。そう思って阿寒に行った。
後ろから誰かに殴られたような気がした。
弘樹に手紙を書き始めて二日経過ー。ただ今、十二月二日、午後八時半。夕方六時に目を覚まして熱いシャワーを浴び、何だか外がうるさいと思ってカーテンを開けてみると除雪車、そして一面の雪。駐まっている車は雪にうずもれ、窓は雪の重さで開かず、全てが凍りついている。二日前に訪れたオンネトーも氷結していた。なんとなく純子が自殺した気持ちもわかる。(注:「阿寒に果つ 渡辺淳一」)
それくらい寒さが厳しい。
暗い話ばかりでは仕方が無いので北国ならではの話を一つ。北海道は言わずと知れた競馬王国。競馬場は全道に、札幌・函館・旭川・岩見沢・帯広・北見と六ケ所。今までに旭川、岩見沢を除く四か所に行ってきた。札幌は札幌記念、函館は函館三才、帯広は道営、北見はばんえいと、格はどんどん下がっていくが、面白さとしては上がっていく。サラブレッドの二倍、一トンを超す馬体重。全てのレースは直線二百メートル。スタートからゴールまで観客も一緒に歩く!二つの障害の前で一休み。気合を入れなおして坂を駆け上がる。
三レースやって三レースとも的中。中央のG1はさっぱり勝てないがばんえいで挽回させてもらっている。(中にはジュンという馬もいる)唯一、中央ではナリタブライアンには単勝を、ドラゴンゼアーには複勝で勝ちを拾わせてもらった。
ウインズ釧路にはクリスマスツリーが飾られ、町はクリスマスムード。どこで年を越すか考えてないが、佐藤家にスキーに誘われているのでそうなるかもしれない。(注:佐藤家とは、学生時代に夜行列車で知り合ったスーパーの社長の家である)
十一月は四日しか学校に行かず、年末テストに追われている。そういえば明日九時から心理学のテスト。だが、仕方がない。今年のモットーはレッセフェール、人生なすがまま。周囲の反対を無視して釧路教育大に来た僕である。あとひと月は自分のやりたいように生きることを新たに決意する。タイムリミットはあと三十一日間…。来年のダービー馬予想には、ナリタブライアンを推そうと思ったが、ボディガードも捨てきれなかった。この目でみた函館三才組に期待する。
さて、何だかんだ云っても二単位は二単位。経済学のレポートも書かねばならん。てなことでまた今度ゆっくり手紙を書きます。梅干しはどうだったかな。ではまた。
◆ 十一月から十二月 揺れる師走
大学の学園祭は雄飛祭と呼ばれている。弘樹の参加する映画サークルACT-1も、三年生中心で自主制作の映画の上映会と模擬店を行った。かつては「卒業までに各自一本は監督作品を残そう」ということだったらしいが、今では希望者のみで良いようだった。上映作品は三本、お客さんは三日間を通じてポツポツといった感じ。サークルのメンバーしか観客がいない回もあった。
ふと、これでいいのかなと思った。こうやって疑問を持つことは得てして変化と波紋を生むことに繋がる。それが良かったのか悪かったのか、後々の結果を見なければ分からないし、後になっても結局いいか悪いかなんて、実は本人にすら判断出来ないことの方が多い。
R女史や仲良しのユキに誘われて他の部活やサークルの催しを観て回った時に思ったこと。うちのサークルは無料で上映していてもお客は殆ど来ない。けれど同じように自主制作でやっている演劇部や音楽系のバンドやマンドリンなどのライブは満席で人で溢れ返っていた。しかも有料で千円や三千円とか取っていたりするにも関わらず…。なんかちょっと悔しい気もしたんだけれど、先輩曰く「まあ、価値観の違いじゃない?うちは楽しんでやって満足しているんだから…」とのことだった。
実際に上映会の運営に関わって分かったことなんだけど、うちのサークルの上映は関係者へのお披露目の場という意味合いが強く、作品への評価云々はコージ先輩以外は誰も気にかけてない様子だった。それよりどちらかと言えば、模擬店のホットドッグ屋の収益で何をしようかということの方に皆の関心は集まっていた。もちろんそれがいいとか悪いとかは別にして…。
十二月に入ると、大学はどこか慌ただしく春とは全く違う様相を見せた。夏休み以降来なくなり、休学してるクラスメートも数名いた。他大学を受験しなおすという話や、子供が出来て結婚するらしいという噂などもあった。が、特にそれで誰かが誰かのことを気にするということもなく淡々と日々をこなしていた。
映画サークルの方は役職が三年から二年へ移行され、今まで盛り上げてきた三年生たちは「就活や資格取得モード」の準備へと自動的に入っていった。 学園祭まではどこか浮足立ったムードがあったのだが、今はそれぞれが別々に、個々のやらなければならないことに邁進していくフェーズなのだ。
テスト前。一般教養科目にも日増しに学生が増えてくる。数人しか来ていなかった大講堂にどっと学生が集まった光景をみると、教室を間違えたのではないかと思うほどだった。ただ教授の方はというと、人がいようがいまいがどこ吹く風。元々学生の存在など気にしていないのか、もしくは(これは弘樹の勝手な解釈でしかないのだが)「私はひたすら研究に打ち込むのです、あなた達に構っている暇はないのです」と言わんばかりの姿で淡々と講義を進めている。ある意味そのぶれないスタンスは凄いなとも思ったが、僕自身がそこから何かを学ぼうという気持ちは湧いてこなかった。毎日朝からそんな講義ばかりにせっせと出続け、モチベーションが上がる訳もない。ひたすら一年のうち取れるだけ多くの単位をとっておこう。そして来年から映画づくりに打ち込まなければならない、という点では僕も目の前の教授と似たようなものかもしれない。(実は面白そうな講義もあったのだが)弘樹は単位取得を第一に楽なものばかり取っていて、そのことが心を少し暗くさせていた。自分のスタンスに一貫性というものはなく、弘樹は日々揺れていた…。周りで露骨にふざけて講義を無視している奴ら。テスト前だけ来ている連中。就職に有利だからと英検や資格試験に没頭してるクラスメート、そして自分も、ろくでもなさ加減でいえば彼らと大差はなかったからだ。
出席が厳しい語学の方は、スペイン語以外は全然ついていけなくなっていた。テストはぎりぎりクリア出来るくらい。全て英語で行われる講義は、帰国子女のメンバーが中心となってテキストだけはどんどん消化されていく。弘樹は劣等感を感じながらも、彼女らの中身の薄い討論には嫌気がさしていた。しかし、そこに食い込んでいけるだけの語学力もなく、ただやり過ごすだけの時間。そんな中でただ一人、ベタベタのジャパニーズイングリッシュで彼女らに討論をぶちかます奴がいた。発音なんて気にしない、要は語る中身が大事だと言わんばかりの男、それが小林だった。それ以来小林とは時々話すようになった。
「ハヤシはさ、映画撮ってるんだよね?」
「いや、まだ自分で撮ってはないんだ。でも…、いま、脚本を書こうと思ってる」
「すげえなー。俺はさ、南米音楽のケーナをやろうと思ってるんだ」
素直にいいなと思った。実は弘樹も気になっていたケーナ。駅前でやっているフォルクローレの演奏を見かけると、必ず立ち止まって聞いていた。高校時代に読んだ「ジパング少年」という漫画の舞台、ペルーにはいつか行ってみたいと夢をみていたのだ。
「アンデスをバックにさ、コンドルは飛んでいくを吹きたいんだ。それって良くね?」
「うんっ!いいと思う」
小林はインテリだったが、無邪気な奴だった。
「ハハハ、ハヤシはそう言ってくれると思ってたよ。ってことで一緒にさ、やらない?」
「んんっ?何を?」
どうやら奴は、ハナから僕も一緒にやるもんだと決めてかかっているようだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『コンドルは飛んでゆく』
カタツムリよりスズメになりたい
そうスズメにね
なれるものならね
きっとなれるさ
クギよりもハンマーになりたい
そうハンマーにね
もしなれさえしたら
きっとなれるさ
遠く 飛び去ってしまいたい
ここにいた白鳥が行ってしまったように
大地に縛り付けられた人は
この世に 悲しみの声を響かせる
一番悲しい声を
街路になるのなら森になりたい
そう森にね
もしなれさえしたら
きっとなれるさ
この足で大地を感じていたい
そう感じていたい
もし感じることさえできたら
きっとできるさ
ボクは カタツムリよりも雀になりたい
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