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『The Creative Act: A Way of Being』Rick Rubin

The Creative Act: A Way of Being』Rick Rubin

結論から言うと、本著については日本語版が早々に出版されることを切に願う。創作方法は千差万別で正解などない、自分の方法を見つけることだと言うRickさんの本著に救われる人は多いと思う。分野を問わず何かしらクリエイティブな事をしている人はもちろんのこと、そうでなくとも参考になる本著は、タイトルに「A Way of Being(在り方)」とある通り、よくあるハウツー本とも一線を画す。抽象的かと思いきや、具体的な事も書かれているから、ハウツーを読み漁って路頭に迷っているのであれば、本著を読んでみるのもいいと思う。新しい方法を見つけられるかもしれないし、「なんだ、これでよかったんだ」という形での発見になる人もいるだろう。草葉の陰の物書きモドキ(注1)と自らを称し、不勉強である点は否めない私ではあるが、いやはや思い出せないくらい久々にハードカバーで購入した。
 
 注1 七七調で語呂がいいため、気に入っている。 


Rickさん

言わずと知れた音楽プロデューサーであるRickさんは、ラップをはじめとするヒップホップという分野をメジャーにした人物でもある。そう聞くと、若いアーティストだけをプロデュースしているのかと思いきや、市場から忘れ去られた古株の復活に携わっていたりもする。ジャンルどころか老若男女も問わないのは、それ以前にアーティストであることに変わりはないからだろう。
 
YouTubeでも本著出版時のロングインタビューがいくつもある。ミュージシャンの聖地と呼ばれるシャングリラ・スタジオの紹介、プロデュースしたアーティストのエピソードや対談なども面白い。氏は、好きが高じて学生起業で始めたことが実って現在に至るが、大学寮の自室をスタジオにし、発送されるCDでメールルームが埋め尽くされて問題になったことや、成功したダイエットについてもついでに語っていたりと、お茶目だったりもする。
 
氏がアーティストをリスペクトし、フェアな関係を構築しようという姿勢は、選ぶ言葉からも伺える。俺様がプロデュースしてやってるんだとか、こっちが金出してお前の曲出してやってるんだ、ありがたく思えといった、いつの時代の何なのか分からないような高圧的に隷属させる方法(注2)はとらない。自分がプロデュースしたことを謳うのではなく、曲を聞いた人に「なぜかわからないけど、この曲いいよね」と思われるほうを好み、むしろ自分が携わったと気づかれなくてもいいと言うのだから、至極言行一致している。多くの名だたるアーティストが集まってくる訳である。
 
注2 こういう事を言うのが組織の上層部に居座って、体質として長きに渡って醸成されている場合、染みついたものはなかなか取れない。

アーティストも百人百様

アーティストと言っても、一人ひとり違う。創作方法もそれぞれで、正解も不正解もない。その方法が自分に合っているか否かだとRickさんは言う。人も百人百様なんだからアーティストだってそうでしょうに、という当たり前のことだが、結構忘れられているように思う。
この辺の話は、氏が何人かのアーティストを例に出して創作方法の違いを語っている動画も面白い。例えばエミネムさんは、帳面ノートブックを持ち歩いているのだそうだ。楽曲がただ事ではない圧を発しているから、草葉の陰からそっと拝見するだけであったエミネムさんが帳面ユーザだと知り、人間味を垣間見たように思う。
帳面に書くという点だけで言えば、エミネムさんも草葉の陰の物書きモドキ(私)も同じだ。私は現在はルーズリーフ(注2)に切り替えているから、厳密に言えば、同じだった、ではあるが。
あら鳩子さん、エミネムさんのようなビッグネーム出しちゃって、とかですか? 
物事がつまらなくなりますから、権威主義もほどほどに。
 
注2 差し替えと差し込みが容易なため、手書き派にはルーズリーフがいいように思う。

バランスと手放しどき

受け手が求めていることを追求したり、迎合しないこと。アーティストにもそれをさせないことも秘訣のようだ。受け手が求めていること、つまり「こうすれば受けるな」というのを嗅ぎ取って、容易にやってのけることができる者もいるが、それは推奨していない。これはインタビューで話していたことだが、そうすること(迎合すること)によって、ある種の短期的成功を収めることはできるだろうが、それは革命的ではなく、世界を変えることもない。やがてすたれるものだと言う。Rickさんともなると、目指しているところからして全く違うわけだ。
音楽をはじめとするエンタメ業界の拠点の多くが都会にあるからなのか、どうもその周辺のノームが中心となる傾向が見受けられる中で、Rickさんは流されず、流行トレンドだけを盲目的に追うこともしない。そこにきて『The Gatekeeper』の章で語られる「Ruthless Edit(無慈悲な編集)」、いわゆる世に出す前の最終的な編集作業とのバランスをうまくとっているように思う。アーティストとの信頼関係を築き、ちゃんとプロセスを踏み、出しきった上での無慈悲な編集だから成立しているのだろう。これを「ちっ。めんどくせーな」と思うのであれば、やっていることがアートなのかどうか一旦疑ってみてもいいのかもしれない。恐らく別のことが優先されている可能性がある。地位とか、名誉とか、金とか、コスパとか、タイパとか。
氏は、人は誰しもがアーティストであると言ってはいるが、皆がアートをやらなきゃいけないなどと言っているわけでないので、色々すっ飛ばした結論に至りがちな方はお気をつけて。noteユーザの皆さんにおかれましては、そんな心配は無用だとは思うが。
 
何をもって作品の完成とするか。
これは多くのアーティストが一度は通るところだろう。氏は、この最終段階についても言及するが、それで一つ納得したことがあった。つい最近気づいたことだが、私にとって本当の意味で作品が自分の身から離れるのはnoteに投稿したタイミングだった。これでようやく第三者として自分の作品を読むことができているようで、だから投稿後に何度も直しを入れていたのだった。本当に不思議だが、投稿した瞬間にあっと気づくことが多い。これが投稿して数秒後のことだったりするから、なんだかなぁという気持ちもあったりする。

アンテナと朗報

氏曰く、名だたるアーティスト達は高性能なアンテナを持っていると言う。
して、その張り方とは?
それは書いていない。なぜなら、努力して張れるようなたぐいのものではないからのようだ。
しょうがない。
それでも知りたいという方に、全く参考にならない私の方法を紹介すると、アホ毛は風にそよがせておくスタイルを貫く、だ。何しろアホ毛だ。性能の良し悪しはわからない。しかし何かの役には立っている。
ちょっと鳩子さん、何言ってんの?と真剣に眉をひそめる様なヤボな人もnote界隈には居ないとは思うが、念のために言うと、かっこつけるからかっこ悪いんでしょうよ、ってことを言っている。誰が言ってるかって、これについては私が言っている。
 
続いて朗報。
Rickさんは、受け手のことを全く考える必要がないわけではないが、考えるとしても一番最後でいいと言う。むしろそれが受け手のためでもあるとも言う。また、売れるか否かや、市場の動向を考慮に入れてプロデュースしたことはただの一度もないとも言っている。賞レースが禁物な理由もこの辺にあるのだろう。『Non-Competition』の章では、無意味な競争には注意するよう書かれている。鳥のフンほどの価値もない(注3)賞レースに、一時いっときとはいえ踊らされ、雑音まみれとなった自分が悔やまれるが、覆水は盆には返らない。粛々と後始末をするしかない。
 
気を取り直して、Rickさんが推奨する創作時の優先順位を紹介しよう。

1. インスピレーション
2. 自分(アーティスト自身のこと。Rickさんはこちらに語りかけているため「You(あなた)」という言葉を使う)
3. 受け手(Rickさんは音楽プロデューサーであるから「オーディエンス(聴衆)」という言葉を使うが、対象が文章であれば読み手、絵画等であれば鑑賞者のことだろう)

反論については、Rickさんまでどうぞ。

ちなみに『Cooperation』の章では、コラボレーションとそのあり方についても語っており、創作プロセスにおいては上述の優先順位とは違った視点が入ってくる点も興味深い。これは共同作業でクリエイティブなことをしている人に役立つだろうと思う。
 
注3 とは言えど、フンからはその鳥の生態を知ることができ、フンと一緒に落とされた種子は遠く離れた地で発芽もする。考えようによっては、鳥のフンには結構な価値があるかもしれない。

自然にゆずるGuru

私はとうとうGuruグルを見つけてしまったのだろうか。少なくともRickさんの髭は間違いなくグルっぽい。しかし氏は「Nature as Teacher」だと言う。つまり自然を師とすることを推奨しており、才能のあるアーティストの発掘はするが、弟子はとらない。いくつかインタビュー動画を観て、その話しぶりから察するに、Guruになりたいというエゴを持ち合わせているようにも見えない。盲目的に信奉されることは望んでおらず、本著の読者へは参考になるところだけ使えばいいとも言っている。これが多くのアーティストが氏の元を訪れ、結局Guruと呼ばれる存在になっている理由の一つでもあるのだろう。
また、氏からは、プロジェクト参加者の一人として取り組んでいるというスタンスも見受けられる。師弟関係でも従属関係でもないのは、そういった状況下でいいものは生まれにくいことを経験上分かっているからだろう。師弟関係にはならないということについては、そもそもRickさんの元を訪れるアーティストともなれば、トップランナーなわけだからその辺りは既にクリアしているというのもあるだろう。従属関係については、Rickさんの活動拠点であるアメリカの音楽業界においてもそういった構造は見られるが、自分はしない、ということのようだ。その代わりと言えるか否かはわからないが、とにかく創作プロセスに時間をかけて出し切る、実際に試す、という方法をとっている。ただこれも、あえて(時間・スケジュール的、テーマを絞る等の)制約を設けることもあるとのことだ。
Rickさんが誤解されないように書いておくが、Rickさんは師弟関係や強烈な指揮者の元で生まれる芸術について否定はしていない。なにしろバランスの人なのである。

Nothing in this book is known to be true.
It’s a reflection of what I’ve noticed—
Not facts so much as thoughts.

『Creative Act: A Way of Being』Rick Rubin

Rickさんは冒頭で、本著に書かれているのは真実ではなく、自分が気づいたことだと口火を切った。ならば私も、筋金入りのハードコア風来坊の名言を援護射撃としてここに残そう。 

You can't look up to people too much if you want to be yourself. —Snufkin

90年代のムーミンスナフキンのシーン集

いつも自分らしくある秘訣については、風来坊スナフキンが一番よく知っている。
尊敬し過ぎもほどほどに。自分らしくありたかったらね、ということだ。
とにかくバランスなのだ。
 
そして最後に、世のアーティストに向けてRickさんはこうも言っている。
 
All art is poetry.
全てのアートは詩である。

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