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納豆のパックは燃えるゴミ?〜ニュースで変わった私の行動〜


どうもこんにちは。
平日は17時からニュースを見ています、生姜元気腹痛子です。

ニュースからは、事故や事件など一般的な報道から新作スイーツや老舗飲食店の紹介まで、さまざまな情報を得ることができますよね。

怒りや悲しみ、疑問や発見、明日の朝食のメニューまで。ニュースを見ているといろんな考えが揺蚊のように湧いてきます。

今回はそんなニュースを通して得た発見、そして自分の行動の変化についてご紹介していきたいと思います。

■なんでもかんでも燃えるゴミ?


今年の4月1日からプラスチック資源循環法が施行されたこともあり、現代社会でも持続可能な世界を作り上げていくためにゴミ問題への関心が高まってきているのではないかと思います。

私はプラスチックゴミの分別特集のニュースを見ていて、とある地域のゴミ収集所の映像を目にしました。
収集場内には沢山のゴミ袋が積まれており、燃えるゴミの袋の中には卵のパックなどプラスチックゴミが多く入れられているものもありました。

上記のような映像を見てから、私はリサイクルされるべきものが燃やされているという現状を見て、資源を有効活用する機会を私たちの手で奪ってしまっている可能性があると考えるようになりました。

■模試もゴミも見直しが大切


そこで私はふと自分の出しているゴミについて見直してみることにしました。どんな行動も見直すことが大事だと高校時代の学年主任の先生が言っていました。

私が燃えるゴミとして出しているものは、簡単に分けると「生ゴミとプラスチック」。
卵の殻やお菓子の袋、独特の匂いが漂う納豆のパックや使い終わったコーヒーフィルター。
そうです、燃えるゴミの中に入っていたプラスチックの割合は人間の1日の労働時間くらいの割合だったのです。

当たり前ですが、燃えるゴミに分類される生ゴミは夏になると虫が湧く原因になるし、探偵アニメに出てくる第一発見者並みに、臭います。
知人が洗濯用洗剤を変えたらすぐに気付いてしまうくらい鼻が効く私にとってはとてもストレスです。そこまで鼻が効かない人にとってもゴミの臭いというのはストレスになると思います。

私はゴミの分別をきちんと行い、燃えるゴミを少しでも
減らすことでゴミ問題の解決に繋がるだけではなく
臭いのストレスからも解放されるのではないかと考えました。

私が1週間に出す燃えるゴミの量は5ℓの袋2つ分と
一般的には少ない方だと思いますが、今回は量ではなく質に注目します。

お皿洗いやお風呂掃除をしていると湧き上がってくるような思考を分別するのと同じようにゴミの分別を始めました。

卵の殻は生ゴミなので正真正銘、燃えるゴミ。
お菓子の包装容器はプラスチックゴミとして出せそうです。お菓子のカスが挟まってしまっている袋だって今までは燃えるゴミとして出していましたが、少し水で洗えばきれいになります。

しかし、
納豆のパックは、、?

「汚れているし燃えるゴミでしょう」と思いながら20年以上生きてきましたが、パックには「プラスチック」の表示が。

そもそもお肉が入っていたトレーは汚れていても
洗ってリサイクルしているのに、納豆のパックは
何故、燃えるゴミで捨てているのだろう?

私は、疑問を持ち始めました。
そして、納豆のパックをプラスチックゴミとして出してみることにしました。

中学時代の部活の先輩方の小言レベルの粘着質な汚れがある納豆のパックですが、水に数分つけてから洗い流すと綺麗になることがわかりました。あとは一晩乾かして水分が飛んだらプラスチックごみとして出すことができます。
よく見てみると、納豆のパックだけでなく、納豆を覆っているフィルムだって醤油や辛子の袋だってプラスチックなのです。

ゴミの見直しを通して、私が燃えるゴミとして捨てていた物のほとんどはプラスチックゴミだったと改めて気づくことができました。
(汚れが取れないものは燃えるゴミとして出す必要がありますが)

■プラスチック分別を始めて気づいたこと

こうしてプラスチックゴミを意識した生活を続けていき、現在では燃えるゴミの量は1週間に5ℓの袋1つになりました。(つまり今までは5ℓ分のプラスチックゴミを燃えるゴミとして出していたということです…。)

きちんとゴミの分別をしていると、燃えるゴミの袋に入れている納豆のパックなどのプラスチック製品が、ビニール袋を突き破ってそこから生ゴミが溢れる、なんていう燃えるゴミの日の朝の悲劇も体験しなくて良いのです。

燃えるゴミに入れていたプラスチックゴミをプラスチックゴミとして出しているだけなので、ゴミの量そのものに着目すると増減はありません。

しかし、資源を有効活用するという意味では、地球のためにも、自分のためにも良いことができたのではないかと思います。

ゴミの分別をすることは社会、そして地球のためになるだけではなく自らの生活を楽にすることにも繋がると気づくことができました。

■ニュースは私たちが嘆き悲しむために報道されているのか?


最後に、現代社会では様々なニュースが報道され、時には目を背けたくなってしまうような悲惨な内容も多く存在します。
しかし、ニュースというのは、私たちが嘆き、悲しむために報道されているのでしょうか。

今回のゴミ問題に対する報道も、「ゴミの分別をしない人がいるなんて、非常識だ」という感想と世の中の愚痴を言って終わることもできました。
しかし、今回のように、(ほんの僅かですが)自分にできることを考え、一歩引いた視点から自分の生活を見直し行動することもできます。

ゴミの分別を通して、ニュースが報道されている意味というのは、
絶望するためでも悲しむためでもなくて人々に、本当に小さな「できること」を行動してもらうことにあると私なりの結論を出すことができました。

一つのゴミに関するニュースを通してゴミの分別を積極的に行おうという学びや気づきだけではなく、
ニュースとの向き合い方についても考えることができました。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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