慶長9年(1604)2月18日は毛利輝元が指月山に萩城の築城を許され開始した日。輝元は山陽山陰8ヶ国を有し安芸国の広島城を居城としていた。関ヶ原の戦いで西軍総大将を務めたため減封。隠居し家督を秀就に譲る形で周防・長門2ヶ国を安堵された。広島城に代わる居城を築く許可を幕府から得た。
天正4年(1576)7月13日は第一次木津川口の戦いで毛利輝元の水軍が信長の水軍を破った日。毛利水軍は焙烙玉を駆使して織田水軍の大半を焼き払った。反信長で協力する石山本願寺に兵糧米を運び入れることに成功した。惨敗した織田水軍は2年後俗にいう鉄甲船を建造し再び毛利水軍へ挑むことに。
慶長9年(1604)2月18日は毛利輝元が指月山に萩城の築城を開始した日。関ヶ原の戦いで西軍総大将を務めた輝元は山陽山陰8ヶ国から周防国、長門国2ヶ国に減封。広島城に代わる居城として幕府に許可を得た。城の修繕でも無断だと改易された大名もいた。口実を与えない慎重さは今も必要なこと。