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関東に住んでいます 日々過ごす中で、感じること、考えることを少しづつ書いていきます 好きなことは、読書、散歩、エッセンシャルオイル、美容、ファッション、旅行、睡眠 どうぞよろしくお願いします

最近の記事

名護屋城跡へ

佐賀県唐津市名護屋城へ。 なごや城と言えば、 名古屋城と、名護屋城。 愛知県の名古屋と、佐賀県の名護屋、後者が今回の舞台。 九州への旅を計画している時期、2023年の大河ドラマ「どうする家康」で、豊臣秀吉が天下人となり、朝鮮攻めを目論み、出兵起点として名護屋城を築くだの、出兵するだのしないだの、をちょうどやっていて、とてもタイムリーだった。 イカで有名な呼子市から名護屋大橋を渡り東へ向かい、さぁ行こう。 名護屋城跡は、本丸跡がある史跡のエリアと、名護屋城博物館から成る。

    • 広島城へ

      広島県広島市広島城へ。 カープのお膝もと、平和記念公園、原爆ドーム、厳島神社と宮島、お好み焼きと紅葉焼き、そして広島城。 広島行くと決めて、思い浮かぶこと、こんなにあった、そうだ、厳島神社のちかくには豊国神社もある。 さぁ巡っていこう。 まずは広島城へ。 広島城は、別名鯉城(りじょう)ともいわれる、お城のある付近一体を、己の浦(こいのうら)の音が鯉に通じることから呼ばれるように。広島カープと同じ由来だそう。 広島合同庁舎や裁判所がならぶ都会的な街の中に、お堀が現れ、その

      • 平戸城へ

        長崎県平戸市の空の城、平戸城へ。 平戸大橋、赤い大きな橋を渡り、平戸島へ入る。平戸市のほとんどが、平戸島という島で、長崎県から陸続きではないとは知らなかった。 正確には、九州本土の西北端、平戸瀬戸を隔てて南北に細長く横たわっている平戸島と、その周辺に点在する大小およそ40の島々から構成されているそう。 平戸城は海に面した高台にあり、天守はもちろん海に面した見奏櫓など、城址内の至る所から見える景色と吹抜ける風が素晴らしい。今見ることのできる平戸城は、昭和37年に復元されたも

        • 岩国城へ

          山口県岩国市にある岩国城へ。 岩国城は、麓に美しい錦帯橋を携える城山の東側の山上にある。 錦川は城山を縁取るように静かに流れていて、川面には空と城山と、色づき始めた木々が写りこんでいた。 橋の架かる錦川沿いに歩き、錦帯橋と岩国城を眺めながら、お城に向かおう。 錦帯橋は、5連のアーチからなる木造橋、 木造部分の幾何学構造の精巧さとともに、白茶色い石積みの橋柱も美しい。石と木造の組合せのせいか、近代的にも見える。 橋は山側、町側のどちらからでも渡ることができる。遠目には、山な

        名護屋城跡へ

          松坂城跡へ

          三重県松坂市の松坂城跡へ。 お隣の津市、津市役所のすぐ裏のホテルに泊まり、9時前に松坂城跡に着くように、向かう。 鈴鹿サーキットのお膝元だからか、心なしか、走る車のスピードが他の街と違う気がする。 松坂城跡よこの、市民駐車場(無料)に車を停めて、松坂城跡のある松坂公園にむかう。駐車場はほぼ満車で、お天気がよく、 城跡横のモーモースタジアムでは草野球の試合中。モーモーの「ー」が牛さんで、かわいい。 市役所側の入り口、表門跡からはいる。 街中の城跡だが、一歩入ると、視野には

          松坂城跡へ

          好きをあきらめない

          あぁ、わたしはこの人がやっぱり好きだ 「あれは、あたしのエゴだったなぁ、  我を通して、わるかったと思うのよ」 ぐっときた あなたのそういうところ、大好きだった いまも変わっていないんだね なつかしく、10数年前の彼女の結婚式の時の思い出を話していた時、 なんとなく答え合わせのような感じになったのだった 健やかに自尊感情がありプライドや自立心もつよい、でも第一印象でそれを決して相手に感じさせることない慎ましさ 相対するようだが、意思を貫く行動力があり、たまにー周囲

          好きをあきらめない

          幸せとは気がつくこと、なのかもしれない

          結婚前に、親と話をする機会が多くありました どうしても親の気持ちは実感を持って理解することはできなかった、理解したかった どちらかといえば過干渉で心配性な母、そんな気持ちがうざったく、どうしてわたしの気持ちをわかってくれないの、やりたいことを理解してくれないのと、よく衝突をしていました 妹には娘が2人いて、女の子の母として、姉であるわたしのことも親目線で心配してくれることも多く、まったく姉らしくないわたしは、まるでわたしの姉のような妹との関係もここちよく思っていた そん

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          祖父の命日

          2022年4月から、1年たった。 この時間で、祖父のことを思い出すこと多かったか、、な、、どうかな、 亡くなる前も、祖父のことはわりと思っていたようにも思う。 海外旅行やスノーボードとか少し危険(わたしが身体的に緊張するイベント)な気がしている予定があると、必ず夢に出てきてくれる祖母、 祖母は18年前に亡くなったのだけど、その祖母をすごく愛していた祖父だった。 家族思い、でも自己中でマイペース。 人懐っこくて、どこに行ってもお友達を作ってくるひとだった。 娘たちを愛してい

          祖父の命日