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ズバリ、あなたと一緒に「タヒんでくれる」部下は、何人いますか?

戦国時代に興味あり

戦国大名の二つ名 その3

天正14年(1586)12月15日は戸次川の戦いで敗れた豊後の大友義統が豊前龍王城へ逃れた日。3日前に豊臣先遣隊の援軍とともに島津軍に敗れた。義統は勢いに乗った島津家久にわずか1日で本拠の府内を追われるが、家臣の吉弘統幸が殿を務め追撃を遅らせたおかげで高崎山城を経由して逃れた。

太宰府ぶらぶら

11か月前

あることで繋がる九州征伐と北条征伐

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#88 「立花宗茂」ご存じですか?

2年前

天正14年(1586)7月27日は島津軍が岩屋城を落とし高橋紹運が敗死した日。秀吉が西国無双と言う立花宗茂の実父で大友氏の名将。5万対数百でも島津の損害大。これで島津の侵攻は鈍化し豊臣軍九州上陸で撤退。紹運にはとても及ばないけど、この奮闘があったからと思える自分事って何だろうか。

高橋 統増(立花 直次)

お城に籠城する夢

高橋紹運の辞世 戦国百人一首86

戦国時代カレンダー 今日は何の日? 【7月26日~8月1日】

天正14年(1586)7月27日は島津軍が筑前の岩屋城を落とし大友氏家臣・高橋紹運が敗死した日。立花道雪の娘婿で秀吉が西国無双と言った立花宗茂の実父。5万対数百でも徹底抗戦された島津の損害は大きかった。九州制覇を目指す島津の侵攻は鈍化し豊臣軍の九州上陸により撤退を余儀なくされた。

高橋紹運さんの首塚(伝)太宰府 ↑柳川藩主立花宗茂さんのお父さん 九州一義理堅い武将と呼ばれた 紹運さんですが 伝わってないだけでこんな武将は 他にも沢山いたんだと思う 2万の島津勢に囲まれ最後に紹運さんと一緒に玉砕した兵736名。。 援軍の豊臣軍が来るまで2週間城を守りました