太宰府ぶらぶら
近所の歴史を学びましょう。
というわけで太宰府の岩屋城跡と大宰府政庁跡を散歩してきました。
まずは岩屋城跡。
西鉄太宰府駅から40分程度歩きます。
小さい山ですが、私のように運動不足なので割としんどいです。山を歩きなれている人は楽勝なレベルでしょう。
岩屋城は、1586年に大友家家臣の高橋紹運が籠城し、九州制覇を目指す島津家と戦った場所です。
当時の九州は島津家が勢力を拡大し、佐賀の龍造寺家を制圧、残る筑前の大友家を下せば九州統一といった段階でした。
大友家の武将は宝満山城の高橋統増、立花山城の立花宗茂ぐらいで、二人の父親である高橋紹運はこの大宰府の岩屋城に籠ることに。
攻め込む島津軍は島津忠長、伊集院忠棟が率いる5万(一説には3万)。
対する岩屋城はわずか763名。
763名は討ち死にもしくは自害しましたが、大きな戦力差にも関わらず半月以上も抗戦し、島津側も3000~4000ほど討ち取られたとのことです。
これにより九州攻略が遅れた島津は、秀吉軍20万から撤退することになりました。
岩屋城跡からの景色はなかなかの眺めですね。
左の方の青い屋根は九州国立博物館で、その左下あたりに太宰府天満宮があります。
右奥には脊振山も見えます。
この後は下山して、写真中央付近の大宰府政庁跡へと向かいました。
7世紀後半に作られた、西の防衛&外交拠点大宰府政庁跡です。
今は建築物など一切残っていませんが、発掘調査などで当時の様子をうかがい知ることができます。
西の都太宰府VRアプリを、政庁跡で起動すると当時どこにどのような建物があったのかをシミュレーションできます。
今の政庁跡はとにかく広くて何もないことが特徴で、近所の人の散歩コースとして親しまれています。
個人的には体育祭の応援団で、演舞の練習をしたことがあります。高校生の時の話で、非常に懐かしく感じます。
敷地の手前の方に小さな資料館があります。
ここでは、発掘調査の様子やジオラマでの大宰府政庁の再現。大伴旅人や山上憶良が歌会を催した様子を表した人形などが飾られています。
入館料は大人200円、高校生100円、中学生以下無料となってます。
以上、太宰府をぶらぶらと歩いた記録です。
そろそろ外を長時間歩くと暑くなってきましたので、お出かけの際は日差し対策、水分補給をお忘れなく。
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