トゥラモンターナ

世の中には一度聞いただけで忘れられない、そして気になって仕方のない名がある。Clos du Rouge Gorgeもその一つだった。そしてシリル ファルの名も。理由は分からない。でも初めてこの名を耳にした時から、すぐにでも行きたいという衝動に駆られた。そして約束の日、ピレネー山脈の麓に位置するラトゥール ドゥ フランスは、ゆうに風速30メートル/秒(時速120km)を越えるTramontana(ト

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ヨイヨイヨイヨイ

毎年春、イタリアのヴェローナで開催されるVINITALYのOFFの一つでVINO VINO VINOの前身、VINI VERIの会場ヴィラ ボスキでのことだった。某出展者が、「有機農法で葡萄栽培をしているが、醗酵がうまくいかず、醸造時に二酸化硫黄添加で制御している」と言う。納得できず、外で談笑していたアンリ・フレデリック ロックと、クリスティアン ビネールに、その疑問をぶつけてみた。するとアンリが

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回転のススメ

一般的にはAOCを落しても、大抵の場合、ラベル変更でことは足りるのだが、ただ例えばアルザスはちと事情が異なる。ドメンヌ ビネールを訪問した時だ。クリスチャンが、
「アルザスのボトルを知ってるだろう。あの細長い特徴あるボトルは、アルザスAOC用のボトルなんだ。だからAOCを落とすと、面倒なんだよな。あのボトルをVdFに使えないので、折角ボトル詰めしてあるワインを別のボトルに詰め直さなければならなくな

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ありがとう

AOCにまつわる話は色々とある。愉快な処では、この世で一番美味しいアリゴテを造ると言われるシャブリのアリス エ オリヴィエ ドゥ モールが、2007年にAOCから落とされた時の逸話がある。AOCから落ちれば、ラベルにアリゴテの名は表記できない。そこでアリスとオリヴィエは考えた。そして、新たなラベルを作成した。そのラベルには、グラスに縄がかかったデザインが施され「A 〝LIGOTER〟」と記されてい

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AOC Le Puy?

ドメンヌ バラル同様、あの「神の雫」に選ばれたシャトー ル ピュイもまた、今までに何度も(例えば2005年や2006年)AOCを落としていることを、ご存知だろうか。「落とす」と、AOCコート ドゥ フランとしての認定を受けられずその名が消え、それだけで、直ぐに販売の三割減に繋がる。悪いのはブランド志向の消費者なのだが、そうは言っても、減益は痛い。どうすりゃいい?
 ワインの場合、AOC認定は、その

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サクランボ

私たちは、ロマネ・コンティに始まり、モンラッシェにとり憑かれての、紛れもないブルゴーニュ派(だった)。もっとも、ブルゴーニュ派になる以前から、私はボルドー嫌いだった。90年代初頭、日本のM社のコマーシャル撮影の仕事でボルドーを訪れた時に始まったこと。とにかく嫌いなんだ、あの体質。ネクタイ族にプリムール、パーカー好みのフレンチ・コーラ(ボルドーの赤)等々、みんな嫌。だから、飲まない。
 でも、例外が

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ラルーの前で

「うちはまず赤から、白は最後に試飲して頂きます。あなた、もう赤は試されましたか。」
と、自らワインを注ぐマダム ルロワをよく試飲会場で目にする。素直に彼女の言葉に従えばいいのに、中にはいるんですよね、彼女の言葉を無視して先に白を要求するへそ曲がりの阿保が。勿論、注いではもらえるけど、その後で赤などと言おうものなら、
「うちは赤からと言ったでしょう。欲しければ、会場を一周してから出直して来なさい。」

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きいて

ヴォーヌ・ロマネには、DRCの他に、忘れられない人のドメンヌがある。その人は、マダム ルロワ。ただ彼女とは、なかなか逢う機会がなかった。色々と噂を聞いていたが、両極端な話が多かった。それだけ個性の強い人なのだろう。安易に会いに行くのは避けようと思っていると、友達のジャン・ミシェル ユエさんが、個人的にマダム ルロワをとても高く買っている。彼の言葉を信じ、それならと、ランデブーを取ってもらうことにし

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チンピラソムリエ

ロマネ・コンティのことで、一度憤りを覚えた出来事がある。グラン ジュール ドゥ ブルゴーニュでのことだ。みなさんもたぶんご存知だろう。今でこそかなり形態が変わりつまらないものになったが、元々はブルゴーニュ中を移動しながら各村毎にご当地ワインを試飲して回ったスケールの大きな催しを。1998年、私たちはその存在すら知らずに、偶然開催時期にブルゴーニュへやってきていた。そこで知り合いのつてで、テロワール

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ル ドメンヌ

初めて「ル ドメンヌ」(人はDRCをこう呼ぶ)を訪れたのは、1998年にモンラッシェの撮影でオベール ドゥ ヴィレンヌ氏に会った時だった。そして二度目は2001年1月。ニースのロマネ・コンティの卸元メゾン ベッシの若旦那ローランたちと一緒に、総員八名で訪れた。ル ドメンヌは、基本的にこの人数で訪問することになっているという。ちょうどボトルを一本開けられる数だ。
 到着すると、早速ベルナール ノブレ

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