見出し画像

288.次の常識は、次の常識を生きる人が創る

常識とは、なんでしょうか。
アインシュタインがこんな言葉を残しています。

常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない。

正誤や優劣ではなく、偏見、と。
確かに、常識と一言でまとめがちですが、あまりに人によって違いがあります。

関西と東京での違い。
年代の違い、家族や友人関係などの環境、学生生活……それぞれ歩んできた人生の数だけ、常識も存在するように思います。

そう考えると不思議ですね。
常識、と捉えている世界は一体誰の何なのでしょう。

なぜ、常識に雁字搦めになってしまいがちなのでしょう。

しかも世の中の常識や当たり前は、不変ではありません。

今までも多くの常識が変わり、打ち破られ、生み出されてきました。
時に、受け入れ難いと思う人の心を無情にも置き去りにして変わっていくこともあります。

おそらく今この瞬間も、どこかの世界の何かの常識が変わりつつある一瞬なのです。

「フライボール革命」なんて革命が野球界を席巻する日がくる

例えば、僕が長く続けてきた野球の世界でも、一昔前の常識と今の常識は驚くほど違いがあります。

代表的なのは、野球だけに限りませんが「水を飲むと余計に疲れる」という水分補給禁止の決まりは、すでに時代遅れだと言われて久しいです。
「うさぎ跳び」も膝を痛めると言われて僕ですらあまりやってきませんでした。
球数制限も、高校野球に導入され始めてきていますね。

「ゴロを打て」という謎理論も未だに根強く残っています。
投手はゴロを打たせるために低めに投げているのに、打者もゴロを狙ってどうするんでしょうか、と現役時代からその矛盾を感じていました。
そもそも「転がせば何かが起きる」みたいな相手のミス頼みの打ち方がナンセンスなのです。
「最短距離でバットを出す」の誤った認識も散見されます。
と、長年やってきた野球に関しては「かつての常識」が数多く残っているようにも思います。

そんな中、最近話題な新説が「フライボール革命」です。

打球速度が時速158キロ以上、打球角度が26度~30度で上がった打球が最もヒットやホームランになりやすいとされ、この領域を「バレルゾーン」と名付けた。

ゴロではなくフライの方がヒットやホームランになりやすいというデータが、メジャーリーグで明らかになったのです。
これも少し前の時代では受け入れられなかった考え方でしょう。

スポーツは、こういったことが特に多く見受けられる世界かもしれません。

昨夜のワールドカップドイツ戦の熱い余韻がまだ記憶に新しいですが、サッカーの世界にもそういった常識だったことは数多く存在しているようです。

『フットボールネーション』というマンガを最近読んでいて、今までのサッカーと欧米を中心とした最新のサッカーの違いがたくさん描かれています。

12年前の2010年に連載されていますが、今大きく変わったかといえばそうでもない。
12年という歳月ですら、常識を変えるには短すぎるのかもしれません。

が、恐ろしいスピードで変化する常識もまた多く存在しています。

20年前の人間がスマートフォンを見たらどう思うだろうか

初めてiPhoneを見たのが高校三年生の頃でした。
2010年、友達が手に入れた最新機種がiPhone3Gだったように思います。
それが12年前。20年前というと、2002年ですね。

ガラケーと呼ばれている携帯電話も普及していませんでした。
そんな時代にスマートフォンを見たら、「画面じゃん」で終わって誰も流行るとは思えないでしょう。
今となっては、持っていない人を探すほうが難しいです。

他にも、今では当たり前のものが当時は異端だった、という例はたくさんあります。

コンビニエンスストアの金額も、マクドナルドなどファーストフードという食文化も、異端はまず批判から始まります。
受け入れられないという歴史は、イノベーターの宿命なのです。

そんなことを言い始めると、江戸時代の常識なんて今は残っていません。
戦時中の常識を生きた人々には心から痛み入ります。

たった数十年で、こうも変わるのです。
戦争はたった80年前の出来事で、つい30年前まで誰もお互いが自由に連絡を取り合うことができなくて、3年前に誰もがマスクをして生活する未来なんて描いていなかったのです。

これから何の常識が打ち破られていくのだろうか

学校のように会社に毎朝出社しない人が増えてきました。
メタバースを始めVRの世界も盛り上がっています。
NFTという、一種の概念的価値が取引されるようになってきました。

ここからは、個人的な見解と想像です。
いろんなジャンルの未来を、ばらばらに書き連ねてみます。

正社員という働き方は徐々に減り、転職どころか副業、複業が当たり前になります。本当の安定が何かが問われるのです。
またAIとロボティクスの発展により、仕事がなくなるというよりは、より人間が効率よく働くための補助として活躍するでしょう。単純作業であっても完全になくなるのは、若干早すぎると感じています。

自動運転などAIによる判断を伴う技術は、倫理観と道徳観と法律の整備が追いつかないので、普及するのはまだ少し先かもしれません。

バーチャルの世界はより広がっていくでしょう。
ゲーム業界から発展するかもしれません。
金銭のやりとりも、SNSなどネット上のコミュニティも、デバイスからバーチャルへと移り変わっていきます。

宇宙での生活も近いかもしれません。
イーロン・マスクに次ぐ民間企業が本格的に参入してきたら(すでにあるのかもしれませんが)、そのときが合図です。
宇宙ビジネスは可能性に溢れた未開拓の地です。

これらは22世紀の話ではなく、今世紀の話です。
内閣府は「ムーンショット計画」といって、2050年までにまるでこの3次元の世界からの解放を目指しているような施策を進めています。

ここまで実現するかわかりませんが、医療の発展で寿命は延びています。
次なる課題は健康寿命の延長。
脳のすべてが解明されると、死ななくなる世界線ができてもおかしくないと思っています。
(脳、宇宙、海は人類の威信をかけた永遠の研究テーマだと思っていますが。)

ただそうすると、死とは何かという概念から定義づけが必要となってくるでしょう。
身体は何度でもサイボーグで蘇り、記憶や感情や人格がデータ化されたとしたら、人間はいよいよどこへ向かって進化していくかわかりません。

ここでも多くの倫理的、道徳的、生物学的、法律的、哲学的な側面で物議を醸すでしょう。

こうした未来予想は、昔から僕は好きでよく妄想を広げていました。

今の常識では考えれらないことと、実際にそれが起こったら到底受け入れられないようなことが、未来に起こることは確実です。
今の常識のまま世界が進むわけありませんからね。

そうして、常識は歩みを止めることなく進みます。

厳密には、進ませている人がいます。

今の常識は、一昔前の異端児たちが創造しました。
今の常識に生きていて、新しい常識を生み出すことはできません。

新しい生き方を試みて、あらゆる壁に何度もぶつかって、変化の先に常識の定着があります。

次の常識は、次の常識を生きる人が創るのです。

僕も、次を担う人になりたい。
柔軟に対応するだけじゃなく、常識を大きく変えてみたい。

アインシュタインの名言で、こんな言葉もあります。
(アインシュタインじゃない説もあるそうですが、まあそれはどっちでもいいです。)

狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること

非常識な結果を創り出すには、非常識な原因づくりを。

例え今は逆風だったとしても。

20年後の常識を思い描いてみるのも、面白いかもしれませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?