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君がひとつの空気になって

あなたが顔をくしゃっとさせて笑うとき、いつもあなたの周りには春風が吹いていた。
あなたはいつも私の春だった。
あなたといれば、私も春の空気の一部になれた。
あたたかくて、誰も傷つかない世界の。

君とは、
つまらない、くだらないことでよく喧嘩したね。
だけどさ、根っこの部分、本当に解り合えない部分には、お互い棘を刺さなかった。
解り合えないことを分かっていたから、そこは目を伏せて、解り合えそうなことを選んで喧嘩したんだ。
そう、ほんとうに些細なことで。

中身のない薄っぺらな言葉ばかりを選んで投げつけた。
お互いの少ない語彙で。
ひとしきりにらみ合って。もう一緒にはいたくなくて、離れて。
教室の中に一緒にいるのは辛いから、先生に言いつける。
みんなで悪口を言ってるんじゃないかと思ったら、1人では謝れなかった。さっきまであんなに近くで言い合ってたのに、1度離れたら近づけなかった。

先生はお互いの言い分を聞いてくれる。
でも、先生も人間だから、最初に告げ口した子の肩を持つんじゃないかって
私はいつもハラハラしていた。
先生、先生は子どもだった私たちにとって、すごく大きな存在でした。
良くも悪くも。
大きな存在でした。

「○○ちゃんごめんね」 「いいよ」
いつだってごめんねって言えば、いいよって言ってもらえると思っていた。
それは、私もあの子も、あの場所で守られていたからなんだね。
舞台のセッティング。2人だけだったら向き合えなかったその場所を、先生はいつも簡単につくってくれた。
だから私たちは喧嘩できたんだね。
胸のつかえがとれて、また一緒に笑えたんだね。

「いいよ」
あの頃の私は、その一言で許された気になっていた。
ふと思う。
あの子は本当に、私を許してくれたのだろうか。
私は今誰のことも憎んでいないから、とても幸せなのだと思う。
誰かを憎み続けるのはとても辛いことだから。
けれど、あの頃の私は自分のことばかりで、誰かを傷つけていたことに鈍感だったのではないかと、私は過去をなぞる度に胸を痛めている。
言えなかった「ごめんね」と
言うしかなかった「ごめんね」と。
「いいよ」以外に言葉をもたなかったあの頃と。

歳を重ねるにつれて、人は「ごめんね」さえ言わせてくれなくなる。
傷つかないわけじゃない。痛みに鈍くなったわけじゃない。
ただ、「痛い」と言わなくなっただけ。
解ってもらうことを諦めただけ。
人に期待しなくなっただけ。

そして、人は往々にして、誰かを傷つけたことに気付かない。
どうにもならなくなってから、ふと過去を後悔したりする。
その過去を確かめる言葉は、十数年の時間の分、湿気を吸って、ひどく重たくなっている。

いっそ、怒ってくれたらいいのに。
何があなたを傷つけたのか。
そしたら2人のなかに解り合えることがひとつ増えるのに。
なんでもない顔をして優しくしてくれたから、私は言うべき言葉をあなたにまだ言えずにいる。
道化みたいに、焦りを内側に秘めて私も笑う。
あなたの足を、あの時踏みつけてなかったですか。あの時、笑っていた瞳の奥で、私を憎んでいましたか。
「ごめんね」「ごめんね」
こんなに時が経ってしまって。切り出す言葉を、私はまだ見つけられない。過去の私が、誰かを不自由にしていませんように。
未来の私は、あの頃のあなたに謝りたい。

過去よ。遠く過ぎ去った日々。
過ぎ去りし日の出来事のひとつひとつは、大なり小なり程度はあれど、
いつしか純度を失って、鮮明に思い出せなくなる。
濁って、煮詰められて、抽出されて、歪んで、絞り出して、透明になって。
いつか大切な大切な一滴になる。
思い出の一場面。思い出すのは、その場所の空気。
その時の空気の色だけは、いつまでも鮮明に胸に蘇る。

あの時、あの場所に2人がいたこと、
そこに穏やかに時間が流れていたこと。
ただそれだけ。名前のつかないあの一瞬。思い出の総和。
思い出すにはそれだけで十分なのかもしれない。

写真が宝物なわけじゃない。
写真を撮ったその場所で、静かに流れていた時間こそが宝物なんだよ。
もう二度と手に入らない時間。触れられないあの頃の時間。

「変わってないね、すぐにわかった」
そうやって君が微笑んで、私を見つけてくれたから、私はやっぱり許されたような気になって、その瞬間のことを今でも思い返す。
忘れないように何度も思い返すうちに、記憶と感情が混じってその思い出はまた私になっていく。
歪な私を、また少し愛せるようになっていく。

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